第6話優の大学生時代、会長(祖父)の気持ち

隣室に準備されていた昼食は、日本橋の料亭の素晴らしく豪華な幕の内弁当。

会長が優に説明をする。

「ここの料亭とも、創業以来の縁がある」

「落ち着いたら、優君と一緒に挨拶に行く」


優は、また戸惑う。

とても、自分などが敷居をまたげないような、日本橋どころか、日本を代表する名店なのだから。

それでも、遠慮も難しい。

「はい、その折には」と、頭を少し下げる。


優にとって、普段の食事とは全くかけ離れた「美食の極み」のような、幕の内弁当を食べ終え、雑談となった。


会長が優の顔をじっと見て、聞く。

「ところで、優君は、まだ浜田山のアパートか?」

優は、事実なので、「はい」と答えるのみ。


会長は、またさらに聞く。

「浜田山に住む必要は?特に住み続ける理由はあるのか?」


優は、答えに困るけれど、素直に質問に答える。

「学生時代から住んでいて、暮らしていけるので」

「それだけが理由になります」

「特に愛着があるわけでは、ありません」


優が、そこまで答えると、会長は辛そうな顔。

「倹約と言っても、程度があるよ」

「財産が無い、金が無いわけではないだろう」


優は、驚いた。

確かに、相当な金額の相続財産はある。

優の年収の10倍以上が、普通預金に入ったままになっている。

しかし、何故、会長が、そんなことを言うのかを考える。

財閥系企業で、傘下には都銀がある。

自分の預金残高を調べられたのか、そんな戸惑いがある。

あるいは、相続時の税理士から、情報を得ているのか、それも考える。

それでも黙っているわけにはいかない。

「相続財産から出金したのは、大学の学費だけ、私大なので、お金がかかって」

「それ以外の生活費は、親が死んだ後からアルバイトをして、そのお金で」

「いつ、どんな時にお金がいるようになるのか、それが不安だったので」


会長の悲しそうな顔は変わらない。

しかし、優としては、本社の人事部長も、子会社の人事部長もいるのに、これ以上プライベートなことを言いたくない。

だから、下を向いて、黙り込む。


会長が、本社と子会社の両人事部長に声をかけた。

「少し、血縁だけで話をしたい」

「席を外してくれ」


本社と子会社の両人事部長が、会長室から一旦出ると、会長は優の前に座った。

会長の目には、すでに涙がにじんでいる。

「優君、本当に苦労掛けたな」


優は、ようやく顔を上げた。

「そう言われましても」

「とても、苦労したとか、そんな気持ちはなくて」

「生きるのに必死で」

「アルバイトも楽しかった」

「身体はきつい時もあったけれど、特に部活もしていなくて」

「放課後は、全てアルバイトに時間を使って」

「余計な遊びで、両親が残してくれた財産を無駄にしたくなくて」

優は、そこまで言って、また黙った。


会長は、涙声、しかし言い切った。

「今度こそ、引き取る、わしを信じてくれ」

優は、頭が混乱して、何も答えられない。

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