輝きは夜に消えて(4)

 その夜はパーティーだった。

 牡牛の宮、その広い庭には、アカンサスやシクラメンが咲き乱れている。アルデバランが主催者となり、立食パーティーを開催していた。

 パーティーとはいえ、何かしら余興があるということもなく、ただ豪華な食事を囲み、美しい庭を散策するだけのものだ。

 だが参加者は豪華なもので、大賢人や、その専属の近衛兵、ジャーナリスト達が数人参加している。国のトップ、法王を兼ねている大賢人のスコーピウスが誘ったらしい。

 乙女の帰還を祝して、ということであったが、スピカは気乗りしなかった。スピカ自身は、乙女の大賢人を継ぐ覚悟ができていない。乙女不在の現状をかんがみれば、断れないことは明白であるが、それでも自分の意見を無視して進むアルデバランの行動は面白くない。

 スピカは、庭の隅でぽつんと立ち尽くし、ショートケーキをちびりちびりと食べていた。


「いたいた、スピカ」


 アヴィオールの声が聞こえハッとする。視線を庭の中心へ向けると、皿を持ったアヴィオールがスピカへと近付いていた。


「ボーッとして、どうしたの?」


 アヴィオールの皿には、カルパッチョやローストビーフ等の肉料理が盛られている。


「お肉いる?」


「ううん、いらない」


 スピカは首を振った。


「食欲ないのよね」


 スピカはケーキをバラバラに解体しながら、しかし顔は皿を見ず、アヴィオールからも目を反らしている。ぼんやりと、彼の後ろにある星空を見ている。

 アヴィオールは、スピカの視線を遮るように、彼女の顔を覗き込んだ。


「そのドレス、可愛いね。似合ってるよ」


 スピカは自分の服を見る。

 乙女の宮にあったドレスは、ネイビーブルーのノースリーブ。その上に黒いレースのボレロを羽織っている。どうやら母親が使っていたものらしい。一昔前に流行ったようなデザインの金刺繍が施されている。

 スピカは礼を言う余裕もなく、弱々しく微笑んだ。そして、不安を吐露とろする。


「私の意思なんて関係がないみたいに、周りが進んでて、私、いてもいなくてもいいような……でも、私がいないとダメみたいで……」


 話す言葉にまとまりがなく、無心で崩したケーキはぐちゃぐちゃだ。アヴィオールはそれをスピカから取り上げると、代わりに自分の皿を押し付けた。


「とりあえず食べなよ。じゃないと頭が回らないでしょ」


 スピカは頷き、ローストビーフを一口食べる。上質な肉を使っているらしい。口の中でとろけていく程に柔らかい。


「ディクティオンさんから……えっと……お父さんから、聞いたんだけど……」


 スピカはぽつりぽつりと話し始める。


「私、やっぱり、アルフに攫われたって言ってたの。お母さんは、事故死なのかどうかよく分かってなくて……」


 スピカは、自分の聞いた情報を噛み砕き、組み立てるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。自分が信じたくない情報は少しぼかしつつではあるが、ほぼ聞いた通りの話を、そのままアヴィオールに伝える。


「今日ね、シュルマの麦畑に行ったの。私が乙女を継いだら、きっと私が管理するようになるだろうからって言われて。

 それでね、そこの農場主さんに聞いたの。冬が近付いているのかもしれないって」


 アヴィオールは目を丸くする。とてもではないが、信じられない。


「冬? そんなまさか。だって、スピカは生きてるじゃん」


「それだけじゃダメらしいの」


「ダメって……」


「私も冬を見たわ。大地を縫う氷の糸を。あれが霜っていうのね。

 霜が麦をダメにするの。麦は黒く腐ってたわ。私が乙女を継がないと、冬の訪れを止めることはできないの」


 スピカはアヴィオールから目を反らす。


「でもね、覚悟ができないの。いつかは継がなきゃいけない。わかってるけど、怖いの。

 継承の儀は、星の光を浴びるんでしょう? 私の体は、それに耐えられるの……?」


 アヴィオールは返す言葉がない。

 元より、スピカの体質を改善することが目的だったはずだ。

 賢者を継ぐためには継承の儀をしなければならず、継承の儀では、星の光をその身に浴びる。当然、スピカの体には通常以上の負担がかかる。果たして継承の儀を行っていいものなのか。

 加えて、アヴィオールはアルファルドから不穏な言葉を聞いていた。尚更、スピカにどのように言葉をかけるか悩む。


「僕ね、アルフに会いに行ったんだ」


 考えた上での一言だった。しかしスピカは怯えたように肩を震わせる。


「アルフは、スピカを大事にしてる。今まで何も教えてくれなかったことを後悔してた。

 だからね、明日、スピカに話すって」


 スピカは何も言えない。

 アルデバランから、アルファルドが母を殺したと聞いているのだ。疑いがちらりと脳裏を掠める。

 アルファルドに会うのが怖い。何を言われるのかわからない。彼の全てを自分が否定してしまいそうで怖い。

 義父を否定するということは、彼に育てられた自分を否定することと同義だ。


「明日、面会に来て欲しいって言ってた。

 行くも行かないもスピカの自由だけど。でも、行った方がいいと思う。スピカが今後どうしたいのかを考えるために」


「どうしたいか……」


 スピカは呟く。

 アヴィオールは頷く。


「どうしなければならないか、そればかり考えてたんじゃ、何を選んでも後悔するよ。

 スピカがどうしたいか。それを考えないと」


 スピカは暫し考え、しかし考えはまとまらず、ただ頷いた。


「二人とも、こんなとこにいたのか」


 レグルスの声が聞こえ、スピカとアヴィオールは声を追って振り返る。レグルスは、童話に出てくる王子のような正装で二人に近づいた。その後ろには、黒いシックなドレスを着たファミラナが、おどおどしながらレグルスの背中に隠れている。


「うわ、すごい格好」


 アヴィオールの言葉に、ファミラナが反応した。顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。


「に、似合わないよね、こんな格好……」


 ファミラナの華奢きゃしゃさを強調するレースの長袖。それを隠すように、ファミラナは両手で自分の腕をさする。


「違う違う! ファミラナはすっごい大人っぽくて似合ってるよ。

 そうじゃなくてレグルスだよ。何それ、仮装パーティー?」


 レグルスも顔を真っ赤にし、獅子マントで自分の服を隠す。


「お袋の趣味」


 上下ともに白を基調としたスーツに、レースをあしらった袖口やジャボ。そして金の刺繍。参加者の中で最も目立っていたが、違和感なく着こなしていた。


「つーか、お前こそ何だよ。普段着じゃん」


 レグルスがアヴィオールに言い返す。確かにアヴィオールは、着古した普段着であった。


「アルデバランが貸すって話だったろ」


「無理。あいつに借りを作りたくない」


 アヴィオールはツンとした態度で言い放つ。そして『しまった』と顔を歪めた。

 スピカは俯いていた。


「ごめん」


「ううん、いいの」


 スピカは首を振る。笑ってみせたが、無理をしていることは傍目にもわかった。アヴィオールは口を結び、目を伏せる。


「子供達、パーティーは楽しんでいるかい?」


 大人の声が聞こえた。

 スコーピウスだ。彼は法衣を身にまとい、二人の男を後ろに連れている。蠍の大賢人に従う近衛兵のようだ。


「スピカ、明日は暇かい?」


 スコーピウスの突然の誘いに、スピカは驚いた。同時に悩む。明日はアルファルドに呼ばれている。会わなければならないが、会いたくない、勇気が出ない。暇だと言ってしまえば、アルファルドの用事は後回しにできる。数秒のうちにそう考えた。

 しかし、アヴィオールにはその考えがばれてしまったようだ。スピカが答えるよりも先に、スコーピウスに意見する。


「大変申し訳ありません。スピカは彼女の義父に呼ばれています。半日であれば時間が取れるかもしれませんが」


「あ、アヴィ……ちょっと……」


 スピカは咄嗟にアヴィオールの言葉を遮る。だがそれ以上の言葉は出てこない。声は尻すぼみしていく。

 スコーピウスは小さく唸る。


「スピカを明日の視察に連れて行きたかったのだが……そうだな……

 明日の午前中、時間を貰えるかな。帰りはアンナに送らせよう」


 半日であれば、というアヴィオールの言葉を採用したのだろう。彼は妥協案を提示する。それに反応したのはレグルスだ。

 

「親父さんに会うのが優先だろ? そんなに急ぐ用事なのか?」


 近衛兵達は、スコーピウスに対して砕けた口調で話すレグルスに厳しい目を向けるが、スコーピウスはそれを目配りで制す。


「すまないが、私も忙しくてな」


「ふーん」


 スピカは助けを求めるようにファミラナを見る。しかし、ファミラナも助けは出さない。自分で考えるべきだと言うかのように、ゆるゆると首を振っていた。

 覚悟が決まらないスピカは、


「わかりました。午前は空けておきます」


「おい、スピカ」


 レグルスは呆れ気味に声を発するが、彼女の選択を否定する権利はなく、ただため息をつく。

 アヴィオールは、スピカをじっと見据えている。

 居心地の悪さを感じ、スピカは俯いた。


「ありがとう。明日朝七時に迎えを寄越すよ」


 スコーピウスは最後に軽く会釈をし、大人達の談笑の中へと入って行った。スピカはふうっと大きく息を吐き出す。


「おい、よかったのかよ。明日親父さんとゆっくり話し合うんだろ?」


「レグルス」


 レグルスは言うが、それをアヴィオールが止めた。アヴィオールは、スピカの選択に何も言わない。

 スピカはふいとそっぽを向いてしまった。咎められも、責められもしない。それはそうだ。スピカが決めたことだ。それでも叱責しっせきが欲しいと思うのは、後ろめたく思うのは、後回しにしたアルファルドとの用事を重要なものだと理解しているからだ。


「私、戻ってるわね」


 罪悪感に押されてたまらず、スピカはアヴィオールに皿を押し付けた。アヴィオールは皿を両手で受け取ると、拍子抜けした表情を浮かべる。


「え? 宮に戻るの?」


 スピカは返事もせず、早足で逃げ出した。

 花畑を分け入るように、柔らかな地面を踏み荒らし、前も見ずにただ走る。パーティー会場は庭の中心のみ。そこから少し離れると、ざわめきは花々が覆い尽くし、辺りは静かになる。

 大して走っていないものの、逃げ出したという事実に胸はぎゅっと苦しくなる。喘ぐように浅く呼吸し、不安を吐き出そうと口を開く。何も出てくることはないが。

 空を仰ぐと、相変わらず星々は美しく、星の合間に見える黒の深さに不安を重ね、涙が溢れてくる。


「スピカ」


 声がして、慌てて涙を拭った。スピカは振り返る。


「どうしたんだい? 急に会場を抜け出したりして」


 そこにいたのはアルデバランだった。彼のストライプ柄のスーツには、花畑を歩いてきたためか、花弁や葉があちこちにくっ付いていた。

 スピカは顔を逸らし、黙りこくった。


「困ったな。パーティーの主役なんだから、戻ってくれないと」


 スピカは首を振り、唇を強く結んで歯を噛み締めた。プレッシャーと恐怖とが、スピカの中で渦巻いてざわついて仕方なかった。


「スピカ、賢い君ならわかるだろう」


 スピカはわかっている。だが、それを受け止められる程に器用ではないし、強くはない。

 アルデバランはスピカに期待をしているのだ。それはスピカにもよくわかる。だがその期待は、親が子に対するものとは、どこか違う。


「ディクテオンさんの期待通りにはなれないわ。アスクラピアさんから聞いてるでしょう?」


 サビクもグリードも、先日確かに言っていた。継承の儀については、すぐにアルデバランへ説明しておくと。


「継承の儀をする時に、星の光を浴びるんでしょう?なら、私、きっと倒れてしまうもの。

 もし輝術を受け継いでも、自分の光で倒れるなんてマヌケだわ。ただのお飾りでしかない賢者なんて、誰が望むの」


 ざあっと風が吹き抜けていく。それはスピカの長い髪をかきあげ、潤んだ瞳を隠す。

 父親ならば慰めてくれるだろう。そんな淡い期待を込めて、スピカは言葉を投げかけた。

 しかし、返ってきたのは……


「なんだ、そんなこと」


 スピカは打ちひしがれた。耳を疑った。


「君のお母さんも、そのお母さんも、光を受け付けない体質だ。乙女は代々そうだ。スピカだけが特別じゃない」


 乙女として生まれた以上、当たり前のことだと、そう言われたようで。

 まるで心配していない実父の態度に目眩がした。


「まあ、今まで継承の儀をしてこなかったからな。一回で済ませる『特例』を使うとなると、本来の継承より多くの光を一度に浴びる。君の体にはかなり負担がかかるだろう。

 でも死ぬようなことじゃない。大丈夫さ」


 否、アルデバランとしては、励ましているつもりなのか。にっこりと笑った彼の顔は、話す内容に似合わず爽やかであった。


「死なないから大丈夫、ですって……?」


 スピカの両腕が、わなわなと震える。


「親なら娘の心配してちょうだい……」


 しかし、アルデバランは何故スピカが怒っているのか理解できていない様子で。

 そもそも、怒っていることに気付いていないのか、それとも怒られていることを気にも留めていないのか。まるで他人事であった。


「エルアを見てきたから、私にも対処はわかるし、一時的な症状であって命に関わるものではないと理解もしているよ。

 むしろ、エルアはものともしていなかった。スピカ、精神力を鍛えるべきた。君は春待ちの賢者なんだから」


 スピカは怒りを通り越して、恐ろしささえ感じた。ヒヤリと冷たい水滴が、項から腰まで背骨を伝っていくような感覚。

 アルデバランの言葉からは、人らしい感情が感じられない。


「私は、あなたの娘じゃないの……?」


「ああ、大切に思っているよ」


「でも、私を心配してくれないわ」


「心配したさ。君がいないと困るんだから」


 スピカは震える脚を押さえつけるように、ドレスの裾を強く握り、太ももに拳を押し付ける。


「とにかく、パーティーに戻ろう。スピカのためのパーティーなんだから」


 アルデバランの手が、スピカの肩に伸びる。スピカはそれを反射的に片手で弾いた。


「あ……」


 自分でも思いもしなかった自分の反応に、スピカは目を丸くする。

 アルデバランは目を鋭く細めた。冷たく、突き刺すような視線。

 スピカは思わず走り出し、乙女の宮へと向かった。

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