輝きは夜に消えて(2)
スピカは少しだけ後悔していた。
いきなり父娘で遠出は突然すぎないか、友人達は宮殿でどのように過ごす予定なのか、義父の処遇はどうするのか。
アルデバランの隣で馬車に揺られていると、体はガチガチに固まってしまい、落ち着けないのに微動だにできなかった。
馬が足を踏み出す度に馬車が揺れる。しかし、良い御者と馬車なのだろう。揺れは小さく、乗り心地はかなり良かった。窓の外の景色は、ゆっくりと後ろに流れていく。景色は行商街から住宅地へ、そして野原へと変わっていく。遠くに見える黄金色は、おそらく麦畑だろうか。
「覚えてるかな。学校で会った時のこと」
アルデバランが問いかける。沈黙を突然破られ、スピカの肩が跳ねる。アルデバランは嬉しそうに笑顔でスピカを見下ろしている。嬉しくて仕方ないといった具合に。
「実はスピカが娘だとは、あの時気付いてた。でも、突然『パパだよ』なんて気恥ずかしくてね。家も分からなかったから、迎えに行こうにも特定に手間取ってしまって。
ごめんね、すぐに迎えに行けなくて」
一息に言う彼の言葉に、スピカはどんな返事をしたら良いかわからない。曖昧に「ええ……うん」と返事をするしかない。
「早く迎えに行きたいと思ってたところに、スピカが宮殿まで帰ってきてくれて、すごく嬉しいよ」
スピカは自分を見るアルデバランの視線から目を逸らそうと、やや伏し目がちになる。
自分のことを語られるのは恥ずかしい。お互いを遮る壁がまだあるようで、相手が本当の父親だと言われても実感がなかった。
しかし、知っておかねばならないことは沢山ある。このまま置いてきぼりになってしまうのは嫌だ。
密着しているのが窮屈で、スピカは更に身を細める。痛いくらいに、自分の腕を脇腹に押し付ける。
「あの、私、お母さんのこと、ちゃんと聞きたいの」
スピカが言葉を発した瞬間、アルデバランの表情が強ばった。笑みのまま固まり、その表情が崩れ目を細める。スピカはハッとして、
「やっぱりいいわ。大丈夫」
と遠慮するものの、アルデバランはゆるゆると首を振った。
「いや、いいんだ。
いや、良くはないんだが、君には聞く権利がある」
思考が渦巻くのに合わせて、スピカの目は泳ぐ。本当に聞いていいのだろうかと。
だが、知りたいことは山積みで、聞かずにはいられなかった。
「あのね、お母さん、何で死んじゃったの? 何で私、アルフのとこに引き取られたの?」
少しの沈黙。数秒だったか、数十秒だったか。
アルデバランは重たげに口を開いた。
「もう中学生だからね。受け止められると判断して、話すことにするよ」
と、前置きから始めた。スピカは身構える。
「今朝も話した通り、君は引き取られたのではなくて、攫われたんだ。
アルフはね、蟹の賢者であるアンナの従兄弟に当たるんだ。幼い頃から、しょっちゅう宮殿に来ては遊んでいた。そういった経緯から、エルア……君のお母さんとは幼なじみでね。随分と仲が良かったよ。
私とエルアが結婚した後も、疎遠になるなんてことはなく。ヤキモチを妬いてしまう程に仲が良かった」
話したくないのだろうか。アルデバランは、言葉の合間合間にため息を挟む。
「君が生まれて半年が経ったくらいの頃。突然、エルアと君が姿を消した」
再び、数秒の沈黙。スピカは返事もできず、ただ聞いている。アルデバランの言葉を遮らないために。
アルデバランは、窓の外に顔を向ける。その目は何処も見ていない、虚ろなものだ。
「ほんの二日間のことだった。朝早くエルアの部屋に向かうとエルアがいない。子供部屋に行くと君もいない。宮殿中が大騒ぎだった。
知っているかな。乙女が絶えると冬が訪れる。その心配もあって、私達は宮殿中を、街中を探した。二日間見つからず、捜索範囲を広げようという話になった。
そんな矢先、エルアが見つかったと知らせがあった。湖から水死体が上がったと……」
スピカは息を飲む。アルデバランは、スピカにちらりと目を向けて、弱々しく口角を上げる。
「スピカも死んでしまったのかと、当時の私は肝を冷やしたものだ。だが、それから数日探しても君の姿は見つからず、冬の訪れはない。
そして不思議なことに、しょっちゅう宮殿に通っていたアルフが来ない。エルアの葬式にも来ない。アンナに聞けば、数日前から失踪していると。
これだけ状況証拠がそろっているんだ。アルフが君を攫ったと見て間違いないだろう」
スピカは顔を伏せる。
聞いた限り、母の死亡原因が事故か他殺か、判断はできない。アルデバランは、おそらくアルファルドによる殺害と見ているのだろう。
スピカは物心ついた頃から、アルファルドより、母は事故死したと聞いていた。しかし今朝のアルファルドは、母の死を自殺だと言っていた。異なる死因を叫んだのは何故なのか。スピカに隠したいような内容だったのか。
「アルフは、託されたと言っていたけど……」
「信じられない」
アルデバランはきっぱりと言い放つ。
「地位も名誉も金もある。父親がいて安心して子育てできる環境なのに、何故他人に託す必要が?」
やや強めの語気でアルデバランから言われ、スピカは
「ああ、ごめんよ。君を責めるつもりなんてないんだ。
スピカが、君がこうして戻ってきてくれた。今はそれでいいんだ」
どうもこの人のことは得意ではないなと、スピカは内心そう思う。
しかしそれは、交流がなかったこと、彼に父親としての経験が全くと言っていいほどないために、娘に対する接し方がわからないことが原因だろうか、ならば、歩み寄っていかなければならないのかもしれないとも考えた。
そして、それを引き起こしたかもしれないアルファルドの処遇はどうなるのか。彼は本当に母を殺し、自分を攫ったのか。そうだとしたら、何故そんなことをしたのか。宮殿に戻ったら、彼に真実を訊かねばならない。
「着いたよ」
スピカが物思いに耽っているうちに、馬車は麦畑に到着した。アルデバランが馬車から降り、スピカに片手を差し出す。
スピカはそれに手を重ねることはなく、ショルダーバッグを片手に抱えて降りる。しかし、不注意から足を踏み外した。体がガクンと落ちる。車高が高い馬車であったために、その落差にヒヤリとする。
アルデバランは慌ててスピカの脇腹を支えた。足が地面に着くことなく抱えられたため、スピカに怪我はなかった。スピカは支えられたまま地面に降ろされる。
「大丈夫?」
「ええ……ありがとう」
爆発しそうな心臓を鎮めるべく、スピカは胸を右手で押さえる。礼を言った声はかなり震えていた。
「怪我でもしたら大変だ。次から気をつけて」
アルデバランはふっと笑みを浮かべた。
ふわりと風が吹く。穀物の香りが鼻腔をくすぐる。そろそろ収穫の時期が近いのだろう。沢山の穂が風に揺れる様は、まるで金色の波のようだ。
「お待ちしておりました」
麦畑のそばに立っていたのは、一人の初老の男性。ここの農場主なのだと名乗った。どうやらアルデバランから来訪を知らされていたらしく、小綺麗な格好で二人を出迎えた。
「麦の様子はどうかな」
「ええ、おかげ様で何とか」
アルデバランの後ろで、ぼんやりと会話を聞いているスピカを見つけ、農場主は顔を輝かせた。
「賢者様、もしや……」
スピカは農場主の表情に面食らう。まるで、期待されていたようではないかと。
アルデバランはスピカを手招きする。スピカを農場主の正面に立たせると、彼女の両肩に手を置いた。
「私の娘、次期乙女のスピカ・ディクテオンだ。よろしく頼む」
スピカは背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
麦畑に向かうと聞いた時から、乙女の大賢人を継ぐ者として紹介されるだろうと予想はついていた。だが、実際に乙女と紹介されると実感のなさから違和感を覚えてしまう。自分の口から自己紹介しようとしても、簡単な言葉さえ口から出てこない。喉を詰まらせたかのように。
そんなスピカに対して、農場主は安堵を顔に浮かべていた。僅かに潤んだ両目を細め、スピカに声をかける。
「顔を上げください。私は、あなたがここにいらして下さっただけで嬉しいのです。そんなにかしこまらないで」
スピカはゆっくりと顔を上げる。不安を浮かべた彼女を安心させるかのように、農場主はスピカの両手を握った。
スピカは
「私は乙女を自覚したばかりで……無知で申し訳ありませんが、何故歓迎をされているのか、思い当たる理由がなく……」
農場主はアルデバランを見つめる。アルデバランは頷いて、スピカを見下ろした。
「説明もなく連れてきてすまない。ただ、百聞は一見にしかず、と言うからね」
農場主は頷き、スピカ達を案内するべく、麦畑の中へと先導していく。スピカはアルデバランに手を引かれ、麦畑へと進む。
「私ら一族は、この麦畑を初代乙女様の時代から守っておりました」
農場主は、顔は前方に向けたままスピカに語る。
「乙女様とは遠い親戚、とも聞かされております。しかし、数千年も前の話ですし、眉唾でしょうなあ」
快活に笑うその声は、日に照らされる麦畑と同じくらい輝いている。しかし、その声はすぐに萎んでしまう。
「あなた様の責任ではないと存じております。ただ……あなた様が失踪なされてから、不可解なことが起こってしまいまして……」
スピカはそれを聞き身構える。責任はないとは言われても、その言葉は責められているのと同じだ。
ふと麦に目を向ける。遠目からは美しく見えていた麦穂だったが、実際は違った。随分と実が痩せていた。中には健康な麦もあるのだが、スピカが見る限りではかなり多くの穂が白く変色している。
「ご覧ください」
農場主は立ち止まり、そこに身を屈めた。アルデバランはスピカを追い越し、農場主の隣に屈む。スピカは実父に手招きされ、彼らに近付いて屈んだ。
農場主は、一本の麦を指差す。葉は斑に黒い斑点が入っており、素人目でも異常だと判断できた。徐にそれを持ち上げると、力を入れてないのにずるりと抜ける。その根はインクに浸したかのように真っ黒だ。その根を触れば、根も葉もボロボロと崩れ、跡形もなくなってしまった。
「病気、ですか……?」
スピカは問う。しかし、農場主は首を横に振る。
「ただの病気なら良かったのですが……」
農場主は更に、片手で穴を掘る。先程麦が根を生やしていた箇所。少し穴を掘ると、白い糸のような何かが見えた。
「何、これ……」
思わず呟く。見た目には固そうで、土を持ち上げるように立っている。カビではなさそうだが……
「古くは、霜と呼んでいたもの。氷なんだ」
アルデバランが呟く。スピカは彼を見上げ、眉を寄せた。
「何で土に氷が……?
あ……まさか……」
スピカはハッとする。
乙女が耐えた時、冬が訪れる。冬とは、この世界が寒さで覆われ、空から氷が降り積もる、死の季節。
スピカが失踪してから起きたことだと言うならば、この地中の氷は冬の訪れを暗示しているのではないだろうか。
「気付いたかい?」
スピカは頷く。
「だからね、私はスピカに、早急に乙女の賢者を継いで欲しいんだ」
スピカの失踪が原因だと断言できるわけではない。そもそも、冬が訪れているという確証もない。だが……
「本当に、考えさせてください……前向きに考えたいけど、でもあまりに突然すぎて……」
スピカは顔を覆う。
抱えるものが大きく、多すぎる。スピカは限界を感じていた。
「一旦帰ろうか」
アルデバランは立ち上がる。
差し出された彼の手を、スピカは握れないでいた。
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