星の賢者と1等星
星の賢者と1等星(1)
長い長い夜が明ける。窓から差し込む日の光に、少女の瞼が重たげに開く。柔らかく温かなベッドの中。あまりに心地よくて起き上がれない。
寝ぼけた声で「もうちょっとだけ」と呟き、深紅色をした目を閉じて布団の中へもぐりこむ。二度寝という、背徳的な幸福感を味わいながら、暫し眠気の
そこへ、耳を貫くような金属音が鳴り響いた。
ジリリリリ……ジリリリリ……あまりに騒々しく繰り返す金属音に、少女は嫌々体を起こす。そして、枕もとの目覚まし時計を叩いて止めた。
しかし、耳障りな音はまだ鳴っている。
辺りを見回し、少女はあんぐりと口を開けた。ベッドに敷かれた真っ白なシーツと、花模様が描かれた床のラグ。それを敷き詰めるかのように散らばった、目覚まし機能付きの置時計。木目調の壁紙が貼られた壁には鳩時計がいくつか並べられ、小窓から出てくる小鳥が朝の七時をうるさく知らせている。
少女には犯人の目星がついていた。
「もー! アルフの仕業ね!」
少女は目覚まし音を止めることなく、パジャマ姿のまま部屋を出て、階段を駆け下りた。
下りた先はリビングダイニング。その奥にアイランドキッチンがあり、赤と緑のオッドアイが印象的な中年の男性が、エプロン姿で料理に勤しんでいた。彼は器用なのだろう。テーブルに乗せられたランチボックスには、魔法使いのクマをかたどったサンドイッチと、デザートのフルーツが詰められている。
少女はそれを見て顔を赤らめた。
「私はキャラ弁に喜ぶような子供じゃないの」
「ああ、おはよう。スピカ」
朝から不機嫌な少女スピカへ、男性アルファルドは笑って挨拶する。スピカはすっかりふくれっ面で、アルファルドへ近づいて言った。
「て、いうか! あんなに目覚まし時計並べなくても起きれるわ!」
スピカの抗議に、アルファルドはややあきれ顔。
「いつも二度寝するだろう。そのせいで遅刻して、去年の成績をアヴィに抜かれたとむくれていたのはスピカじゃないか」
「うぐ……」
ぐうの音も出ないとはこのことで、スピカは口を真横に結ぶ。
「そんなに眠いなら、夜中の勉強時間を減らせばいいだろう」
「それはダメなの。アルフにもこの前言ったじゃない」
スピカは腕組みし、ふいっと顔をそらせた。
「アヴィに連敗したくないもの。今学期こそ、アヴィを越して学年一位の成績になりたいの」
アルファルドは彼女の決意を聞いてくすりと笑う。そして、スピカの頭をくしゃくしゃと撫でた。スピカも撫でられるのは好きらしい。口角を上げ頬を染める。
「着替えてくるわね」
スピカは階段を上がり、自室へと向かった。
床に転がっている目覚まし時計を、乱雑にまとめて部屋の隅へ追いやる。そして、星雲の飾りをあしらったファンシーなドレッサーに向かい、ヘアブラシを手に取る。腰まで伸びる黒のストレートヘアを丁寧に梳かし、高い位置でツインテールに。ブラウスとスカートに着替え、洗面台で歯磨きを終えると再びキッチンへと戻る。
アルファルドは弁当の準備を終え、エプロン姿のまま今度は木箱を運んでいた。中には緩衝材に包まれた時計達が入っている。かなり重量があるようで、彼は木箱を床に置くと、垂れてきた常盤色の短髪をかき上げる。
「学校行くまでまだ時間あるだろう?開店準備手伝ってくれ」
「ええ」
スピカもアルファルドと同じように、木箱を抱えて運び始めた。
アルファルドは時計屋を営んでいるのだ。もっぱら、売るよりも修理を専門としており、客からの信頼は厚い。この日も修理が終わった品物を客へ返却する予定であり、箱に詰まった時計達はカウンターへと運ばれた。
スピカは、返却予定の時計と顧客リストを見比べながら、時計に名札を貼り付ける。
「今日は、ダンソンさん、クヒオさん、レイソンさん……えっと、あと四つあったが、何とか間に合った」
「アルフ、もしかして徹夜なの? 大丈夫?」
「一応寝たぞ。三時間くらい」
スピカは時計の準備を終えると、しばらく箒で床掃きする。そうしていると、店の外から明るい声が飛び込んできた。
「スピカー! おはよー!」
スピカは顔を上げる。そしてパッと笑顔を浮かべた。
「アヴィ、おはよう」
店の扉が開き、取り付けていたベルがカラカラと音を立てる。入ってきたのは、オレンジの髪をした少年アヴィオールだ。三つ編みで一つにまとめた髪を揺らしながら、スピカに走り寄る。
「アヴィ、おはよう。今日も早いな」
「アルフ、おはよう。まだお店準備中?」
アヴィオールは店の中を見回す。彼の眼には、開店準備はほぼ終わっているように見えている。
スピカは掃除の途中であったため、箒を持ったままアルフを見上げた。アルファルドはスピカの手から箒を受け取ると、ニカッと笑って2人に言った。
「あとは大丈夫だ。学校行ってこい」
スピカはいそいそとリビングに鞄を取りに向かい、弁当を鞄にしまい込む。ブレザーを羽織ると急いでアヴィオールの元へと戻った。
「じゃあ、行ってきまーす」
「行ってきまーす」
スピカはアヴィオールとともに店を出る。それを見送りながら、アルフは片手を振った。
空は快晴。日差しは高いが、潮風が涼しく心地よい。空を見上げれば、本日も光のレールは煌めいており、虹色の煙を吐き出しながら列車が走っていた。
水の上に作られたこの町ダクティロスは、造船が盛んである。客船や軍艦は勿論、河を走るような小舟の製造も多い。街中を走る川には、まるでそれを象徴するかのように、至る所に小舟と船着き場があった。街中の移動用に作られたものだが、使われたのは数十年前まで。現在はもっぱら観光用に使われることが多い。
スピカとアヴィオールは舟に乗らず、二人並んで学校への道を歩く。
「アヴィは家のお手伝いとかいいの?」
スピカは尋ねる。アヴィオールの家庭は、街に三社ある造船会社のうちの一つなのだと以前聞いていた。アヴィはへらへらと笑いながら。
「毎朝の勉強を優先したいって言ったら、父さん怒っちゃった」
「あはは……」
自分の家庭とは大違いだと、スピカは苦笑いした。
「そういえば、昨日アルフに怒られなかった?」
アヴィオールは話を切り替える。
「ああ、昨日?」
「うん、浜辺の洞窟でさ、海に落ちてびしょぬれになったじゃん? 心配性のアルフのことだし、きつく叱られたんじゃないかなって思って」
昨日、たまたま浜辺で見つけた小さな洞窟へ探検に入ったことを思い出す。洞窟の中はコケが生えており、スピカは足を滑らせて落ちてしまったのだ。幸い擦り傷程度で済んだものの、その後傷より嫌な目にあったことを思い出す。
「アルフってば、ただの擦り傷なのに救急に駆け込もうとして、止めるのすごく大変だったのよ。私、全然大丈夫なのに……それと、『危ないところには行くな。何度言ったらわかるんだ』って、怒られちゃった」
「ああ、やっぱり……」
「幼馴染の忘れ形見だからって、心配しすぎだと思うの」
スピカはため息をついた。
スピカとアルファルドは実の親子ではない。スピカの母が事故で亡くなった際、身寄りのないスピカを、母の幼馴染であったアルファルドが引き取ったと聞かされている。
その事実もあってか、自分に対して過保護になっている。スピカはそのように感じ、窮屈に思っていた。
「でもさ、すごいよね。友達とはいえ、他人の子供を男手一つで育てるなんて。僕、尊敬するよ」
「それは……私も感謝してるの」
バツが悪そうに、スピカはつぶやく。
「おはようです」
そこへ、別の声が割って入る。振り返れば、内巻きの茶色いボブヘアをした小柄な少女が歩いてきた。くるりと巻いた二本の角が特徴的な彼女は、首から一眼レフとインスタントの二つのカメラをぶら下げている。
「カペラ、相変わらず早起きね」
「当たり前ですよ。始発列車で列車旅楽しむのが日課だもん」
カペラと呼ばれた少女は、溢れんばかりの笑顔でインスタント写真を見せてきた。そこに映るのは、朝もやに浮かぶ列車だ。
「今日の始発列車です! この艶やかな車体! 厳ついフォルム! 今日の煙なんて、赤紫青と、くるくる色が変化して……」
「はいはい、学校行って聞くから早く行こうねー」
いつもの銀河鉄道語りに、アヴィオールはうんざりしていた。カペラの右手をスピカが、左手をアヴィオールが引っ張って、学校への道を進んでいく。
「ここ最近じゃ、すごくいい色の煙なんですよ」
カペラは言うが、その良さはアヴィオールには伝わらない。
「銀河鉄道には星屑の結晶を使っているから、煙が綺麗な色なのは当たり前なんですけど、ここまではっきりと彩度が高い色が出るのは珍しくて」
「知ってる知ってる。機械のエネルギー源は全部星屑の結晶だもんね。アステリウムが火に触れると化学反応を起こして水蒸気とルチアニウムが発生しそのエネルギーを」
「難しいことはわかんないですー」
「前期の化学で習った基礎中の基礎じゃない」
鉄道自慢がアヴィオールとスピカの化学授業にすり替えられながら、三人は学校への道を急いだ。
やがて学校が見えてくる。早く校門を抜けたくて、三人は足を速めた。
「あれ? 誰かいませんか?」
カペラが校門の左端を指差す。そこには、黒髪の見慣れない一人の男性が立っていた。通学する子供たちの中から誰かを探すかのように、キョロキョロと首を動かしている。
「ほんとだ。ちょっと声をかけてくるよ」
アヴィオールは小走りに男性の元へと向かう。スピカとカペラは、互いに顔を合わせて首を傾げた。
アヴィオールは男性といくらか言葉を交わし、やがてスピカ達を振り返る。
「ちょっと来てー!」
その声に、スピカ達は男性へと近寄った。男性はポケットにしまっていた手を抜いて、ひらひらを振っている。
「この人ね、
アヴィオールに紹介され、黒髪赤目の男性はにこやかに笑い口を開く。
「僕はアルデバラン。かつての領主の血縁者……
スピカはうなずく。しかし、その役に適任なのは、顔が広いアヴィオールの方だ。スピカはアヴィオールを見つめた。
「アヴィの方が詳しいわよ、多分」
「いや、でも僕も心当たりがなくてさ」
アヴィオールは困って眉尻を下げる。アヴィオールは探し人の特徴をいくらか聞いているようだった。彼がアルデバランを見上げると、アルデバランは説明し始める。
「探しているのは、麦の
カペラは首を傾げた、話の内容に違和感を覚えたからだ。
「知り合いなのに、ずいぶん曖昧なんですね?」
アルデバランは、仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「知り合いの子供なんだ。ファミリーネームはディクティオンと言うんだが」
「ディクティオン?」
アヴィオールは、空色の目を大きくする。
「
「あの『13の
スピカもカペラも驚いた顔で、アルデバランの顔を見上げている。
「そんな次期
「アルデバランさんは、そう言ってますよ?」
「僕たちじゃわからないから、誰か先生呼んで来ようか?」
守るかのように、スピカの前に立ちふさがりながら、アヴィオールは尋ねる。
「いや、そこまでのことじゃないんだ」
アルデバランは、スマートにアヴィオールの申し出を断った。
「他をあたってみるよ。ありがとう」
アルデバランはにこやかに片手を振って踵を返す。アヴィオールは緊張がほどけたようで、肩の力を抜いた。そして首を振る。
「何あれ、気持ち悪い」
カペラも同意し、何度も首を縦に振る。しかしスピカは、アルデバランが去っていった後をじっと見つめていた。
「何となく、何処かで会ったことがある気がしない?」
スピカの問いかけに、アヴィオールはわざとらしく震えて見せた。
「あんな知り合いいないよ。気のせい気のせい。
それより、早く教室行こうよ。で、今日の予習しておこう」
「わあ、勉強バカですねえ」
「鉄道バカには言われたくないなあ」
アヴィオールとカペラは互いにじゃれあい、スピカはそれを見てカラカラと笑った。
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