第69話:黒田、死……なない

「ごめんね、アルヴィ……。私、もう死ぬかもしれないわ……」


 空腹が限界に達した私は、マットの上で横たわり、大変だらしない姿を見せていた。


 貴族令嬢らしからぬ行為であり、異性に見せるような態度ではないのだが、こればかりは仕方ない。いくらアルヴィの前とはいえ、黒田が空腹に敵うはずがないのだから。


「大丈夫ですよ。人はそう簡単に死にませんので」


 普通の人間で考えてはいけない。黒田だったら、本当に死にかねない。


 だって、前世はケーキを食べながら死んだ女なんだもの。


「もしものことがあったときは、ルビアをお願いね」


「大丈夫ですよ。もしものことはありません」


 どうしよう、急にアルヴィが冷たい態度を取り始めている。きっとお腹が空いてイライラしているのね。


 でも、もう私は限界なの。せめて、最後くらいは推しの膝枕で死にたい……。


「アルヴィ……。一生のお願いを聞いてほしいの。最後に一度だけでいいから、ひざ――」


 その時だった。僅かに音が聞こえてくるのを感じた。


「膝がどうかされました?」


「ひ……膝の方角から音がするわ。誰か来ていないかしら」


 どうしてアルヴィに聞こえていないかと言うと、これは黒田の特殊能力によるものだ。


 助けが来るということは、ごはんが食べられることに繋がり、聴覚が敏感に察知してしまう。単純にガメツイ女とも言い換えられるが、ごはんが食べられるのであれば、何でもいい。


 しばらくすると、ものすごい勢いで誰かが走ってきたため、さすがにアルヴィも気づく。


 ただ、助けを求めるよりも先にガゴンッ! ガゴンッ! と無理やり扉を開けようとする音が鳴り響き、声を上げる暇もなかった。


 その後、冷静にガチャコンッと鍵を開け、ゴゴゴゴゴッと扉が開く。そこには、息を切らして大量の汗を流すグレンがいた。


 真っ先に近づいてきたグレンの表情は真剣そのもので、心配そうに見つめてくる瞳は愛らしい。


「毒か!」


 間違いないと思う。そういう表情は黒田にとって毒よ。推しに心配されるなんて、お腹が減っていなければ、素敵なシチュエーションだわ。


「お腹が空いているだけですよ。体育終わりで閉じ込められて、体が持たなかったみたいです」


 お願い、アルヴィ。冷静に状況を解説するのはやめて。


 グレンが何とも言えない表情を作ってしまったわ。


「……ややこしい奴だな」


「人は食事しないと死ぬ生き物なのよ」


「いや、数時間では死なんだろう」


「死ぬ人だっているのよ。たとえば、私とか」


「心配して損した気分だ」


 私が悪いわけではないが、心配させたのは事実だ。紛らわしい状態であることも謝罪しよう。


 でも、一つだけ気になるところがある。


「心配してくれたの?」


「……仕事だ」


 プイッとそっぽを向くグレンは、妙に恥ずかしそうだった。


 これもルビアと関わり続けてきた影響だろう。グレンがこんな顔をするなんて、今までになかったことだから。


 幸せな騎士生活を送れているみたいね。まだ王妃様の命令があるし、ルビアが聖女になるまでは、もう少し我慢してね。


 それまでは……当て馬特権として、ちょっとだけ良い思いをさせてもらおう。


 頭の中で半分以上は食べそびれた昼ごはんのことを考えているけれど、徐々にグレンに侵食されてしまう。そうして、ようやく私は気づいた。


 万が一の護衛とはいえ、イタズラでも事件に巻き込まれてしまったら、迷惑をかけるわよね。グレンの経歴に傷をつけたかもしれないわ。


 これはもう、責任を持ってルビアに引き取らせよう。でも、ひとまず謝るしかない。


「ごめんね、心配かけて」


「心配などしていない。仕事だ」


 素直になれないところが、また一段と可愛い。滴り落ちる汗を見れば、心配していないはずもないのに。


「ひとまず、事の経緯は僕が説明しましょうか」


 しまった。アルヴィがいる前でやることではなかった。


「お願い。とりあえず、私はごはんが食べたい」


 そして、だらけっぱなしの黒田である。これには、百年の恋が冷めてもおかしくはないと思うが……死にかけているのだから仕方がない。


「本当にややこしい奴だな」


「彼女らしいところだと思いますよ」


「貴族らしさがないぞ」


 どうしよう。推しと推しが私について話している。話の内容が大変恥ずかしいけれど。


 そして、もう一つ恥ずかしいことが発覚した。


「ポーラを呼んでもらってもいい? 昼ごはんを持ってきてもらいたいの」


 お腹が空きすぎて、動けない。こんな我が儘を言うのは、貴族らしいと思う。


「ここでメシは食えんだろう」


「大丈夫よ。ポーラのごはんなら、どこでもおいしく食べられるから」


「本当に貴族か?」


 鋭いツッコミが入るが、今の私はどうしようもない黒田でございます。


 でも、実際にお腹が空きすぎて動けないわけであって……。


 そんなことを考えていると、ため息を吐いたグレンが、急に私の首と膝に手を入れてきた。


 体が宙に浮き、推しの顔が近くに見えるのは……。


「ま、待って……グレン。し、死ぬ……」


 乙女が憧れるシチュエーション第一位、お姫様抱っこだからである。


「心配するな、空腹では死なん」


「ち、違う……。い、息が……」


 もし推しが急にお姫様抱っこをしてきたら、普通の人は致命傷だろう。推しが近すぎて、呼吸困難になるのも無理はない。


「どうした? ……おいっ!」


「クロエ様!? もうすぐごはんが食べられますよ!」


「遅効性の毒じゃないのか!?」


「いえ、彼女は食に飢えているだけです。そういう方なんですよ」


「こいつは本当に貴族なのか?」


 こんなことで黒田の認知度が高まるなんて、ちょっと恥ずかしいと思いながら、私は意識を手放すのだった。

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