第60話:ジグリッド、クロエの剣に見とれる

 ―ジグリッド王子視点―


 まさか初戦でのガウルと当たるなんて、クロエ嬢は気の毒だな……と思っていた俺は、言葉を失っていた。


 いや、俺だけではない。会場全体が信じられない光景を目の当たりにしたのだから。


 去年、グレンと決勝で戦った三年生のガウルは、今年のリベンジに燃えていた。騎士団に所属することも内定し、努力を積み重ね続けた彼を倒せるのはグレンしかいない……はずだった。


 それなのに、クロエ嬢が一瞬で決着を付けてしまったのだ。


 一回戦で優勝候補の一人が敗退するなど、誰が考えるだろうか。それも、相手は武家出身の者ではなく、貴族令嬢である。


 何だったんだ、あの洗練された一撃は。他の試合がどんどんと進んでいくが、消化試合としか思えず、見ごたえを感じない。


 例年ならば、いつもどの試合も盛り上がり、大歓声に包まれる。剣を打ち合う度に心が刺激され、観客の心をつかんでいくのだが……。


「激しい打ち合いではあったのよね」

「選手の気合いが伝わってくるんだが、なんか違うんだよな」

「おっ、ようやく次は嬢ちゃんの試合か」


 今年の剣術大会は盛り上がっていない。クロエ嬢が優勝候補を一刀両断した今となっては、観客が求めるものが例年と変わってしまった。


 良くも悪くも観客の心を裏切り、勝てないと思われる相手を圧倒的な力でねじ伏せる剣術。あのたった一振りで、会場の観客の心をわしづかみにしたのだ。


 その証拠に、再びクロエ嬢が出てきた瞬間、会場は静寂に包まれる。


 武家出身の者とは違い、姿勢を正して歩く貴族の彼女は、風格が違う。緊張・焦り・油断など、そういった感情が存在しないのだろうか。


 本来であれば、どの選手が登場したとしても、その勇気と健闘を祈り、声援が飛び交うのだが……もはや会場の雰囲気すらも変えている。


 剣術大会に紛れ込んだ異質な存在だからこそ、引き込まれるのだ。


 そして、俺もその一人であるのは間違いない。騎士団で訓練する者として、クロエ嬢の無駄のない洗練された剣術が気になって仕方がなかった。


 大勢の観客が息を飲んで見守るなか、筆頭騎士であるライルードが近づいてくる。


「ジグリッド殿下。クロエ殿の剣術が気になる様子ですな」


 この会場に私語は不要だと言わんばかりの緊張感を受けてか、ライルードは小声だった。


「何か知っているのか?」


「騎士団に所属する者であれば、誰もが知っていることですぞ。基礎的な剣術を我流で磨くことなく、実戦レベルまで昇華しただけにすぎません」


「基礎的な剣術……? あれがか?」


「間違いありません。何年・何十年と同じ鍛錬を重ね、愚直に取り組んだ結果なのでしょう。公爵家という地位に相応しいお手本のような戦い方ですな」


「いや、まだクロエ嬢は十五歳のはずだが」


「ワシはそう思うだけであって、現実の年齢と一致するとは限りません。彼女と対峙しなくても、あの剣の構えは百戦錬磨の騎士にしかできますまい」


 ライルードに言われてみると、確かに基礎的な構えではある。ただ、今まで彼女が戦闘した話など、聞いたことはない。


 そんなことを考えていると、試合は始まり、すぐに決着を迎えた。


「胴」


 クロエ嬢の攻撃が吸い込まれるように叩き込まれ、また一撃で試合を終わらせてしまったのだ。


 これが彼女の才能ではなく、剣術の基礎だというのだろうか。


 対戦者と審判に一礼して控え室に戻っていくクロエ嬢に、会場の誰もが声援を送ることはなかった。いや、声援を送ることができなかった。


 彼女の剣術は誰よりも美しく、会場にいる大勢の観客を魅了したため、言葉を失っているのだから。


 しかし、実際に百戦錬磨の経験を持つライルードだけは、ニヤリッと笑っている。


「吉と出るか凶と出るか。最悪、グレンは剣を折るかもしれません。その時は、ジグリッド殿下が支えてやってください」


 剣術の天才と言われたグレンが負けるとは思えないが……、どうしてかな。クロエ嬢が負ける未来などもっと考えられなかった。


 そして、グレンが剣を折ることはないと断言できる。


「無理な話だな。俺の言うことをグレンが聞くとは思えない」


「しかしですな、あやつが信頼する者はジグリッド殿下しか――」


「クロエ嬢が人の心を折るとは思えない。彼女はそういう人だ。信じてやってくれ」


 胸に手を当てたライルードは、小さなため息を吐いた後、ゆっくりと離れていった。


 一人の親として心配な気持ちはわかるが、あの美しい剣術を見れば、俺の言うことにも納得がいくだろう。彼女の美しい心を表したかのような剣には、騎士として、納得するしかないのだから。


 しばらくして、第二試合を行うグレンが出てきたとき、俺は自然と笑みがこぼれていた。


 もしもこの世に運命があるとしたら、きっとグレンが彼女の護衛についたときに決まったんだろう。


 生涯にわたって忠義を尽くす人と、彼はもう出会っているんだ。あとは剣を折るのではなく、捧げるだけだ。

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