第11話:黒田、気づかない!

 ふぅー! 、無事にアップルパイを食べきれたわね!


 内なる黒田を抑え込むことにした私は、ふっふーんと得意げにナプキンで口元を拭き、お淑やかな振る舞いを見せた。


「クロエ嬢、もう大丈夫なのか?」


「ん? ええ、大丈夫よ」


 とても心配そうな表情を浮かべるジグリッド王子を見て、私は何気ない顔で返答した。


 きっとアップルパイが好きだと言ったから、おかわりが欲しいか聞いてきたのね。こういう場所では言い出しにくいもの。


 気遣ってくれる優しさを持っているなんて、さすが私の推しだわ。


 本当はまだまだ食べられるけれど、クロエは一つで終わるはずだし、グッと我慢する。


 こんなところで黒田ムーブをするなんて、絶対にやってはいけないことだから!!


 我慢できる自分を心の中で褒めていると、王妃様の元へメイドさんがやってきた。


 連絡事項だったのか、耳元でゴニョゴニョと話しているが……僅かに聞こえてきてしまう。


 転生して気づいたことなんだけれど、この体にクロエの生き方が染みついているのよね。


 周りの視線が気になったり、色んな人の話し声が聞こえてきたりと、黒田の頃にはなかった感覚があるの。


 妹よりもしっかりしなければならないと、常にクロエは気を張っていた影響だと思うわ。最愛の妹を守るためにね。


 盗み聞きは良くないんだけれど、クロエ様が……とメイドさんの声が聞こえると、黙ってはいられなくなる。


「王妃様。私にお手伝いできることですか?」


 そして、これは原作でも同じ場面があった。このあと、ジグリッド王子とルビアが王城を散歩する間、クロエは王妃様と何かをしていたのだ。


 当然、主人公であるルビア視点でゲームは進むため、クロエか何をしていたのかは語られていない。


「実は、お願いしようか迷っていたことが一つだけあるのだけれど……」


「構いません。私にできる範囲のことであれば、お手伝いいたします」


 アップルパイでエネルギー補給した私が完璧なクロエムーブをしていると、ジグリッド王子がギョッとした様子を見せた。


「内容を聞かなくてもいいのかい? クロエ嬢」


「女性には聞かない方がいいこともあるのですよ、ジグリッド王子」


 わざわざゴニョゴニョ話している内容を口に出せ、とはさすがに言えない。


 親しき中にも礼儀あり、という言葉もあるし、相手はこの国の王妃様なのだから。


「そ、そうか。では、母上とクロエ嬢の用事が終わるまで、散歩に付き合ってもらってもいいかい? ルビア嬢」


「もちろん。あっ、さすがに口調は変えた方がいいかな」


「気にしなくてもいいさ」


 知らない間に二人は随分と打ち解けたのね、と思いつつ、私は王妃様と中庭を後にした。


 向こうのイベント内容を知っているだけに、何も危惧することはない。二人の仲が深まるだけの平凡な散歩であり、恋愛ムードには追い風になる。


 問題は、私の方なのよね。ここはしっかり気を引き締め直さないと、王妃様のペースにやられてしまうわ。


「またクロエちゃんのガードが固くなったわね」


 心の声が漏れてるのかな。王妃様、妙に鋭いのよね。


「私はいつもと変わりません。こういう性格です」


「そうね。せっかく打ち解けられたと思ったのに、また口調が戻っているもの。いつものクロエちゃんと同じになったわね」


「周りに人がいないときだけ、というお約束です。不特定多数の方に聞かれやすい場所で、口調を崩すことはできかねます」


「残念だわ。ルビアちゃんなら、普通に接してくれると思うのに」


「ルビアと比較されても困りますよ。あの子は人見知りしやすい子ですが、仲良くなって打ち解けると、心の扉を開けっぱなしにしますので」


「そうね。彼女は良くも悪くも貴族らしくないわ。でも、ああいう子の方が聖女として人気が出ると思うの」


 何といっても、彼女はこの世界の主人公なのだ。


 行動や言動が日本人に馴染みやすいように、貴族らしい振る舞いや敬語が苦手な設定になっている。その部分が庶民に愛されやすい要素でもあるため、聖女としては人気が出やすいだろう。


 現実で一部始終見ていると、予想以上に天然でビックリするけれど。


「私も同意見です。ルビアは人を惹き付ける何かを持っていますし、聖女は彼女であるべきです」


「意外ね。仲良し姉妹でも、普通はもう少し対立すると思うわ。私がこんなことを言うべきではないけれど、三十年ぶりの聖女となれば、ある程度の望みも叶うはずよ」


「では、なおさら対立する必要はありません。ルビアが聖女になって幸せになること、それが私の望みです。とても可愛い自慢の妹ですから」


 これはクロエの思いを尊重しての回答になる。ルビアが略奪行為さえしなければ、本当に大切な妹でしかない。


「昔から、堂々と振る舞うクロエちゃんの傍を、ルビアちゃんがベッタリとしていたものね。双子の貴族令嬢は珍しくて、注目を浴びていたのを思い出すわ。特に、完璧な振る舞いを見せるクロエちゃんの評価は高かった」


 王妃様の言葉を聞けば、クロエに期待していることが推察できる。おそらく、クロエのプライドを刺激しようと思って、ルビアの方が聖女として人気が出る、と言ったんだろう。


 原作でも、ジグリッド王子と婚約するのはクロエで、そこからルビアの略奪が始まるパターンが多かった。愛し合う二人が駆け落ちするルートまであるのに、ジグリッド王子とクロエはキスすらしなかったのだ。


 しかし、この世界でクロエが婚約することはない。なぜなら、これは最高の当て馬になる私の戦いでもあるのだから。


「否定はしません。今もルビアに情けない姿を見せるつもりはなく、姉である私が常に前を歩くつもりです。妹が歩むべき聖女の道を照らし続ける、それが姉である私の役割です」


 最高の当て馬ロードは、聖女の道と常に隣り合わせだと知っている。つまり私は、恋も当て馬、聖女も当て馬、二段階で当て馬になるというスーパー引き立て役なのよ。


「そこまでクロエちゃんが言うなら、考えを改めるわ。でもね、感情に流されやすいルビアちゃんが聖女になれば、裏で動く者も多くなるの。王家としては、クロエちゃんが聖女になるべきだと思っているわ」


 普通に考えれば、聖女が政治の材料として使われやすいのは当然のこと。原作で何度も大事な場面になるとクロエが登場していたけれど、ルビアが心配で仕方なかったのかもしれない。


 学園に潜む脅威だけなら、ゲームを通じてだいたい把握している。でも、ゲームに登場しなかった展開になれば、難しい展開も余儀なくされてしまう。


 陰で動けるように、王妃様との関係だけは悪化させない方がいいわね。


 ルビアの逆ハールートのためにも!!


「私を気にかけていただけるのは光栄ですが――」


「クロエちゃん、今だけはルビアちゃんのことを忘れてちょうだい。王家の人間としてではなく、一人の人間として気になるわ。感情をあまり表に出さないクロエちゃんが心配なのよ」


 お義母さま……。間違えた、王妃様……。


「だから、お着換えしましょう」


 唐突に意味不明な言葉が入ってくると同時に、王妃様が立ち止まり、近くのドアを開けた。


 そこには、クールなクロエのイメージとは正反対のラブリーな衣装ばかりがズラリッと並んでいる。


「もう少し感情を表に出せると、クロエちゃんはもっと素敵になるわ。アップルパイを食べている時の笑顔をもっと見せてほしいの」


「アップルパイの笑顔とは何のことですか? えっ! ちょっと、メイドさん!? これはいったい……!」


「女の子は可愛いものを着ると生まれ変われるのよ。少し新しい扉を開きましょうね」


「いや、ちょっと! これはクロエのイメージとは……! ヒャーッ!」


 この後、着せ替え人形イベントが始まり、クロエの精神に多大なるダメージが与えられるのだった。

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