目を覚ました本能のまま悲しい世界を壊して何が悪い

ゆきんこ

第1話 竜の肉を喰うということは 01

 何もない真っ白な部屋、部屋というより真っ白な空間でリュカは一人で泣いていた。

 自分が泣いていると認識すると、足元に真っ赤な血が広がっていく。血溜まりの真ん中ではカロルが絶えず血を吐き、謝罪の言葉を口にしていた。


 何度目の光景だろうか。


 幾度となく繰り返し、自分を育ててくれた乳母の死を見ている。見せられていた。

 目から真っ赤な涙を溢し、鼻血に染まりながら、吐血に苦しみ藻掻きつつ頭を持ち上げ謝罪の言葉だけを口にする。


「……もう、やめてくれ」


 リュカの震える声にカロルは反応することなく謝り続ける。終いにカロルの動きは止まり、それ以上の謝罪はなくなった。


「どうして泣いているの?」


 不意に掛けられた小さな子供の言葉にリュカは小さく、呟くように答える。


「カロルが死んでしまったんだ」

「カロルって、その、血だらけの人?」


 隣に立っていた子供は穢れを知らない新緑のような緑色の瞳をリュカに向ける。

 無垢な瞳に責められているようだ。


「そう。俺のせいで死んだ」

「どうして、お兄さんのせいなの?」

「俺が魔法を制御出来なかったから」


 カロルの死は全て自分のせいだという思いを拭う事が出来ない。あの時、菓子を食べなければ。あの時、魔法がどんなものか知っていれば。あの時、魔法を使えるようになっていれば。


「魔法……? お兄さんは魔法が使えるの?」


 子供の銀色の髪が期待に踊るように跳ねた。

 この子供がどんな魔法を思い浮べているのかは知らないが、望むような魔法ではないとリュカの胸に刺さる。


「竜の肉を喰わされたからね」

「お肉を食べたら魔法が使えるの?」


 何も知らない、まだ何も悲しみを知らなかった頃に戻りたいと思わせるほど、無知な言葉は刺さる。


「君のいう肉とは違うよ。竜の肉は……毒だよ」

「なんでそんなもの食べたの?」

「食べたかった訳じゃないよ。大好きな菓子に入れられていたんだ」


 あの日、一人で食べる菓子がカロルの作ったものでなければ、初めて目にするものでなければ、食べなかったのに……過ぎた日を後悔することは容易い。城の厨房で用意された菓子でもきっとリュカは食べていただろう。


「どうしてそんな……」

「カロルが入れたんだ。そのせいで……」

「それってお兄さんのせいなの?」

「そうだよ。全部俺が悪いんだ」


 初めて竜の肉を喰わされた日に死んでいれば……そう、思ったことは何度もある。憎まれ、邪魔だった王子が生きていたからと、リュカは何度も自分を責めた。今も……と不意に思う事があるくらいだ。


「毒を入れたのはその人でしょ? お兄さんは悪くないよ」

「……俺は悪くない?」

「うん!」


 優しい言葉にリュカは鼻で笑う。


「そんなこと言うの、君だけだよ」


 金色の光に引っ張られるように現実へ戻る。リュカが育ったかつてのアンテリナム王国の城。それも玉座の間だ。

 うたた寝をしていたのだろう。かつて父が座っていた玉座の背もたれに体を預けながらリュカは天を仰ぐ。

 高い天井に施された装飾が金色と黒に染まったのはいつだったか、随分と前だったような気もするし、昨日一昨日だった気もする。夢現の中で確かなのは自分はもう、人ではないこと。 ドラゴンに人の姿を与えた『竜王』であることだ。

 悲しみと憎しみに任せて、竜人を引き連れて暴れ回ることになにも価値を見出せず、時折思い出したかのように破壊衝動のままに行動するようになって久しい。

 竜人と化したドラゴンたちもその力を誇示するかのように暴れているが、それを止める気も、囃し立てる気も、無かった。

 ただでさえ、脅威であったドラゴンは人化したことによって、知恵を使うようになり、 ただの人では更に対処が難しくなっていた。世界を壊したいと思っているリュカだ。勝手にやらせておいてなにも問題はない。


 リュカの視界の端に映った赤い髪を結い上げたオーロルが淑女の礼をとる。

 貴族ではなく平民であり、兵士だった彼女が見事な形で淑女の礼をとるのは、生きた屍だからだ。これはリュカの意思ではない。竜王の力に充てられたせいだ。

 死んだはずのオーロルが屍人形として側に控えている事に気が付いたのは暫くしてからだった。

 世界に仇を為すなと、ドラゴンの竜人化を解くように、竜王の力の使い方に口うるさかった黒い精霊『黒焔の獅子』が姿を見せなくなってからオーロルの存在に気が付いた。

 短く刈られていた髪は、元通り腰まであり、喉を裂かれた傷は綺麗に消え、生前のオーロルそのままだった。

 リュカが気が付くよりも早く、竜人は知っていたのだろう。

 毎日のようにオーロルの格好は違っていた。今日のように古臭い花嫁衣装に身を包んでいる日があれば、騎士のような凜々しい姿の日も、町娘のように清々しければ、娼婦のように蠱惑的な姿だったりする。

 ただ、オーロルの表情は全く動かない。声を発することもなければ笑うこともない。

 屍人形なのだから仕方がないと、思えるようになったのは本当に最近だ。彼女の物言わぬ姿に胸が締め付けられるように苦しいことに代わりはない。


「我が愛しき竜王」


 ドラゴンが人の姿に変じたといっても、人間の姿になったわけではなかった。遠目から見ればただの人と変わらない姿だ。だが、竜人たちは背中に翼を持っていた。竜人によって翼の形は様々だ。鳥のように美しい風切り羽を持つものもいれは、蟲のような透き通った羽ををした者もいた。

 リュカに向かって膝をおる竜人は骨に飛膜を張っただけの黒い翼をしている。


「面白いものをお持ち致しました」


 竜人が引く鎖には幼子が繋がれていた。恐怖に心を閉ざしたのか、表情はない。体が小刻みに震えているのは心を閉ざしても感じる潜在的な恐怖からだろう。


「この幼体は竜王のように幼くして同胞の肉を喰らったのです」


 ドラゴンが竜人化しても未だに魔法使いは減らない。魔法使いになるためには竜の肉を喰わなければならない。だが、たかが数十年で、今までに狩り取られた竜の肉は無くなることはなかった。元々、ドラゴンの死骸が腐ることはなく、魔法使い次第でそこに死骸が残されるか、処分されるかだったドラゴンの死骸。巨躰を誇ったドラゴンだ。未だに竜の肉が残っていたって不思議ではない。

 リュカは幼子に視線を合わせ、ゆっくりと瞬きをした。

 片手で数えるまでもいかない幼子に、あの竜の肉を喰らう苦しみを与える者が居るのかと憤るものがある。

 肉体的な苦しみ、精神的な苦しみ。竜の肉を喰らった者にしかわからない苦しみだ。好き好んで喰う者は少ない。


「可哀想に……」


 幼子を憐れむ言葉がその子が聞いた最後の音だ。

 瞬きの間に幼子は金色に包まれそのまま体から力が抜け、床に寝落ちる。繋がれていた鎖は塵となって消え、竜人は幼子を大事そうに抱えた。


「どこだ?」

「はい?」

「この子供に竜の肉を喰らわせた者共がいる場所は?」


 一言で理解をしない竜人に苛立ちをぶつけるように睨み付ける。


「大陸の端に残ったビティス王国にある街に御座います。我が愛しき竜王」


 立ち上がったリュカにオーロルは表情を変えない。外へ向かうリュカに視線を向けることもなく、微動だにせず、そこに居るだけだった。

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