第132話
「よし、ここらでちょっと気を休めよう」
魔法国家マジカリーフの王都マギアクルスへと入り、魔法学園に入学するための手続きを行った翌日、秋雨は試験が行われる間どう過ごすべきか悩んでいた。
いつもの通りであれば、王都の街並みを散策するはずであるが、まるで会社勤めのサラリーマンが勤務先の会社と自宅を往復するような社畜根性丸出しのムーブのような気がして、今回散策は後回しにすることにしたらしい。
しかし、そうなってくると試験までの残りの日数、何もせずに過ごすというのは芸がないということで、ここで滞っていた事案に手を出すことにしたのである。
一体何かといえば……そう、料理である。
この世界にやってくる際、秋雨が女神サファロデに願ったチートの中に実は【料理】が含まれている。
もともと、この世界に転生する際、彼が掲げていた当初の目標は“悠々自適なスローライフ”を送るということであった。だが、それは圧倒的な力を持つ存在……魔族の手によって打ち砕かれてしまったのである。
第二の人生とばかりに期待に胸を膨らませていたスローライフから一転し、命の危機に陥ったことで、当初の予定を大幅に変更し、自らを鍛えるべくいろいろと拠点を移しながらも自身の強化に努めてきたのだ。
その道中でいろいろとやらかしてはいるものの、致命的なミスを犯さずに立ち回ってきた――本人はそのつもりでいる――彼であったが、以前とは比べ物にならないほどに強くなったことで、ここは一つスローライフらしいことをやろうではないかということになったのだ。
前世の秋雨は、卒業間近の大学生であったのだが、基本的に一人暮らしをしていた。実家から大学に通うには遠すぎるということで、大学近くのアパートを間借りしてそこで学生生活を送っていたのだが、そのとき感じた感想としては、もっと料理を頑張っておくんだったというものであった。
一人暮らしを始めて、秋雨は多くのことがわかった。その中の一つとして、日々の献立を考えることがどれだけ大変かということも含まれていた。
日々台所を預かる主婦並びに主夫の方々は、一体全体どういう根拠で献立を考えているのだろうかとばかりに彼は毎日の食事について考えていた。
「今日何食べたい?」という質問に「なんでもいい」と答えていた自分に対し、栄養バランスがしっかりと考慮されたバリエーション豊かな献立を提供し続けていた母親の偉大さを痛感した過去がある。
そういった意味でも、残りの人生において料理の一つもできておいた方がのちのちの人生を豊かなものにしてくれるのではないかということで、秋雨はチート能力の一つに料理を所望したのである。
当初、それを聞いたサファロデも「なぜわざわざそんな能力を?」と半信半疑であった。だが、彼の中ではそれが特別であったのだ。料理ができるというだけで、ちょっとしたチートであると。
「この魔法を使うのも久しぶりだな。てことで、【クッキングフィールド】展開!」
その魔法は、指定した空間内の空気を外に漏らさず、逆に外の空気はそのまま取り込むという特殊な結界を作る魔法であり、料理で出た匂いや煙などをアイテムボックスに収納する合わせ技を使うことで、他の人間にバレずに料理ができるというかつて秋雨が開発した能力であった。
今の今まで自身のレベルアップを行っていたため、この魔法を使うのもかなり久々なのだが、どうやらしっかりと発動した様子だ。
「よし、じゃあ。始めますか」
そう言うと、秋雨は腕まくりをして宿に備え付けてあったテーブルに食材やら調理器具やらを置いていく。
彼が掲げている異世界でやってはいけない禁忌(タブー)の一つに【元の世界にあった料理を異世界の人間に食べさせてはいけない】というものが存在する。
なぜ、彼がここまでして大掛かりな魔法を使ってまで料理をするのかといえば、そういった禁忌を犯さないためであり、こちらの世界の住人に自分の世界の食べ物を食べさせるということを避けるためである。
では、なぜ食べさせてはいけないのか? 答えは単純で、美味すぎるからである。
人は以前までの生活水準よりも上の水準を知ってしまうと、元の生活に戻れないなどということをよく聞く。それは料理についても同じであり、文明力に差がある世界の料理の味を知ってしまった人間は、もう今までの料理では満足できなくなってしまうのだ。
そして、そんな特別なものを提供できる人間を放っておくはずもなく、その情報は瞬く間に権力者の耳へと届いてしまうだろう。そうなった場合、待ち受けている結末は一つしかない。
そうならないようにするため、秋雨は万全を喫して事に及んでいるのだ。ただの料理と侮るなかれ。この世界の人間にとって彼の生み出すものすべてが究極かつ至高なのである。
では、そんな究極かつ至高のものを生み出す彼が、今回は一体どのような料理を作るのかと言えば……。
「カツサンドだな」
カツサンド……それは豚カツをパンで挟んだサンドイッチという種類の料理であり、場合によっては鶏肉を使ったチキンカツで作られることもある。
数多くあるサンドイッチの中でも人気のサンドイッチであり、老舗の喫茶店などでは名物料理として出されるほど民衆に長く親しまれてきた料理だ。
作り方は至ってシンプルで、耳を切り落としたパンにカツを挟み、ソースとお好みでマスタードを加えてできるお手軽料理である。
ただ、それはあくまでも秋雨のいた元の世界での話という注釈が付き、現在サンドイッチに使われるパンもなければ、メイン具材となる豚カツすらない状況である。
つまりは、元の世界ではお手軽に作れる料理でも、こちらの世界ではとても貴重な料理といっても過言ではないのだ。
だが、そこは日本にいた知識を持つ秋雨だ。その知識を十全に活かせば、決して不可能ではない。そのため、ここらで懐かしの前世の味を再現してみることにしたのである。
「まずは、食パンととんかつを作るところだな」
そう言うが早いか、アイテムボックスから小麦粉を取り出し、それを木のボウルに移すとそこに適量の水と砂糖と塩を加えてこね始めた。ある程度形になったら一旦それを置き、次に小さめの壺を取り出す。
「技を超えた純粋な能力、それがパワーだ! 握り込む拳の握力でさえ、料理をするための道具になる!!」
などと言いながら、清潔な状態にするため手を含めた体全体に【清浄化(クリーンプリフィケーション)】をかける。そのあと、アイテムボックスから取り出したりんごを壺の上からぐしゃりと潰し始める。溢れ出る果汁や果肉なども同じく壺に入れていき、それを何度か繰り返す。
「こんなもんだろう。それから、スキル錬金術【熟成】」
そして、錬金術スキルの一つである【熟成】という能力を使い、握り潰したりんごを熟成させていく。それによってできるもの……それ即ち、酵母菌である。
現在、パンを膨らませるために使われているのはイースト菌と呼ばれるものだが、それが使われる以前は天然酵母菌というものを多用していた。現代においても果物などから生成される酵母菌からパンを作ってみるという一種の趣味的な試みをする人間もおり、秋雨もまたその方法を使うことにしたのだ。
【熟成】を使ったことでみるみるうちに酵母菌が発生していき、パンを作るために十分な酵母菌を確保できた。できあがった酵母菌を、はけを使って先ほどこねた小麦粉に塗っていき、再び【熟成】をかけていく。
量を多めに作ってあるため、少しだけ選り分けておき、次にパンを作るためのパン種として確保しておく。これで酵母菌を使わなくともこのパン種を混ぜることでパンを作ることができるのだ。
「さて、次は焼きだな」
こんなこともあろうかという言葉通り、以前作っておいた四角い焼き型にパン生地を入れ、いよいよパンを焼いていく。
残念ながら今秋雨が調理している場所は、宿泊している宿の一室である。そのため、当然といえば当然だがパンを焼くための調理設備はない。では一体どうするのかと言えば、やはりここは魔法の出番である。
「【小炎の渦(レッサーフレイムヴォルテックス)】」
秋雨は周囲に小規模な炎の渦を発生させる魔法を発動する。宙に浮かばせた焼き型を中心として、極々小規模な炎の渦がそれを取り囲む。それはちょうどかまどでパンを焼く状態と酷似しており、これでかまどがなくてもパンを焼くことが可能となった。
「次はとんかつだな」
パンが焼きあがるまでの間、秋雨はパンに挟む具材である豚カツを作ることにした。今回使用するのは、バルバド王国の王都バッテンガムのダンジョンでドロップしたスモールピッグマンからドロップした【オーク肉】だ。
まずは、下ごしらえとしてオーク肉を適当な棒で叩いて塩コショウで下味を付ける。それを数十枚も作り、次からはアイテムボックスからそれを取り出して調理できるようにストックを確保した。
そうこうしているうちに、パンが焼けたので炎の渦を消し焼き型からはみ出すくらい膨れ上がったパンを火傷しないよう注意して取り出す。
「ああ、ちょっと焦げたな。まあ、最初だしこんなもんだろう」
少し熱の加減を失敗してしまったようで、ところどころ焦げができていた。だが、最初にしては上々なものができあがったので、次はもう少し火加減を調整しようと秋雨は思った。
味見のため一部分を千切ってみると、その千切れた部分からは真っ白な生地と出来立てほかほかの湯気が立ち上っているのが確認できた。
「では、味見といこうか。ふーふー、はむっ。もぐもぐ」
舌を火傷しないよう出来上がったパンに息を吹きかけてから秋雨はぱくりと齧り付く。それは、かつての食パンとなんら遜色ないできになっており、少なくとも彼がこの世界にやってきてから食べたパンの中では最高の出来となっていた。
「嗚呼、日本で食ってたパンと変わらない。むしろ、化学薬品が使われてない分すごく自然な味がする」
この世界には化学薬品はおろか食品添加物といったものも存在しない。つまりは、この世界で手に入る食材はすべて天然由来のものになっている。それを使って地球の調理技術を用いて作られたものが今目の前にあるパンなのだ。最高の食材と最高の調理法で作られたものが、不味いと思うだろうか。答えは否である。
「おっと、感動に浸っている場合ではない。急ぎとんかつも仕上げてしまおう」
出来上がったパンに感動する秋雨であったが、まだ料理は途中である。気を取り直し、調理を再開する。
残りの工程は焼きあがったパンを魔法で乾燥させてパン粉を作り、下ごしらえをしたオーク肉をといた卵にくぐらせてパン粉をまぶしたものを高温の油で揚げるだけである。
ちなみに、卵はどこで入手したのかといえば、これまたダンジョンである。バッテンガムのダンジョンの低層に【コケッコ】という鶏によく似たモンスターがおり、そいつからドロップするのが【コケッコエッグ】という鶏の卵とまったく変わらない見た目をした食材だ。
「いざ、入ります」
そういうと、用意しておいた油の入った鍋にパン粉をまぶしたオーク肉を投入する。“ジュー”という油の揚げる音が室内に響き渡り、意図せず食欲を掻き立てられる。
きつね色になるまで揚げ、これも味見をしてみたところ地球のとんかつとそれほど大きな違いがなく、むしろあっさりとした口当たりで、食べやすかった。
「これでカツ丼を作ったら最高だろうな。……じゅるり」
そんなこんなで、食パンととんかつを完成させた秋雨は、早々に野菜から抽出したエキスで作ったソースを使って瞬く間にカツサンドを完成させたのである。
「いただきます。はむっ。っ!? こ、これはぁー!?」
ふわっとしたパン生地にかりっとしたカツの衣がハーモニーを奏で、それはまさに究極で至高の名に相応しいカツサンドとなっていた。
「はむっ、もぐもぐ。はむっ、もぐもぐ」
味の感想を口にすることなく、無心にカツサンドを頬張る秋雨。それだけで、カツサンドの味が想像できてしまうほどに彼は夢中で食べ続けた。
「うん、余は満足じゃ」
普段言わないようなことを口にしている時点で、秋雨はどれだけ満足したのかが窺える。こうして、気分転換に行った彼の久々の料理は大満足のうちに幕を閉じたのであった。
余談だが、料理を片付けていたところに誰かがやってきたことで、部屋で料理をしていたのがバレそうになり、秋雨が慌てる一幕があったが、魔法でバレないようにしていたことが幸いし、最終的にはバレずに済んだことを付け加えておく。
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