第119話



「陛下、お休みのところ申し訳ございません。至急お伝えしなければならないことがあり、まかり越しました」


「よい、して何事だ」



 秋雨がペンドリクスと戦闘の最中、王都では蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。



 もっとも、その異変に気づいたのはごく一部の者のみであり、ほとんどの人間が今も静かに眠り続けている。



 そして、そのごく一部の人間として国王ヨハネのもとにある情報が舞い込んできた。



「王都から北東数十キロ地点にて、巨大な魔力の放出を確認しました。おそらくは、高位の広範囲殲滅魔法が使用されたものと見ております」


「なんだと!? それで、詳細は?」


「現在、調査隊を編成し原因の究明に向かわせているところです。詳細は今しばらくかかるかと……」


「そうか」


「失礼いたします」



 報告を受けたヨハネは困惑していた。そのような事態が起こったことなどなく、少なくともこの百年間は平穏が続いていた。



 まるで静寂を破るようにして起こったことに、どう対処すべきか迷うのは国王でなくとも同じである。



 そんな中、彼の部屋を訪れた者がもう一人いた。第三王女のライラである。



 武人気質で常に油断のない彼女もまた今回の異変を察知し、国王である父親に指示を仰ぎにやってきたのである。



「ライラか」


「父上、此度の件、お聞きになりましたでしょうか?」


「ああ」


「広範囲殲滅魔法クラスの魔力が放出されたと……。魔族でも現れたのでしょうか?」


「詳しいことはまだわかっていない。だがもし魔族だとすれば、由々しき事態だな」



 ライラの推測を聞いて、眉間にしわを寄せながらヨハネは答える。大量の魔力が放出される原因はいくつかあるが、その中で最も可能性があるのは魔族の出現である。



 種族として圧倒的魔力量を誇っているのはエルフなどだが、その中でも随一と言われているのは魔族である。



 仮に膨大な魔力放出が確認されたというのならば、まず候補として上がるのは種族的に魔力量の多い魔族が関係している可能性だ。



 次いで、魔族以上に魔力量がある種族はドラゴン族だが、人が住む圏内に出没する可能性は稀で、その頻度を考えると今回の原因がドラゴンである可能性は極端に低い。



「どちらにせよ、今は情報がない。調査に赴くしかあるまい」


「そう……ですね」


「ところで、メイラの様子はどうだ?」


「はい、未だ眠り続けております」



 魔力の正体がわからない以上、このあとの調査の結果を待つしかないと考えたヨハネは、話題を変えるべく第二王女であるメイラの話を振る。



 ライラが第三王女ということもあり、その上には二人の姉がいる。第一王女のモイラと第二王女のメイラだ。



 そして、このメイラだが、一月ほど前から突然謎の昏睡状態となり、それ以来目を覚ますことなく眠り続けているのである。



 王家もいろいろと手を尽くしてはいるが、一向に回復の兆しはなく、ライラたち王族は家族一人すら助けることができない無力感に苛まれていた。



「そうか」


「ご安心ください。姉上は必ずやお目覚めになられます」


「そうだな」



 ライラの言葉に根拠などはない。しかし、そう口にしなければ最悪の事態が頭に浮かんでしまうのだ。



 もう二度と姉が目覚めることはないかもしれないという考えが……。



「夜分遅くに失礼しました。私はこれで失礼いたします」


「それでは私も戻ります」


「うむ、二人ともご苦労であった」



 ライラとヨハネに報告に来た臣下が王の寝室をあとにする。誰もいなくなった部屋が静寂に包まれる中、唯一聞こえてくる音は国王のため息だけである。



 立て続けに起こる不祥事に、何か呪いめいたものを感じるヨハネ。そして、この状況をなんとかしてほしいという願いからこんなことを口にする。



「誰ぞおらぬだろうか。この状況を解決してくれるまことの英雄が」



 彼自身そんな存在などいるはずがないと思っている。しかし、そう口にしたくなるほどにこの数か月にいろいろと起こり過ぎている。



 第二王女の謎の病、ダンジョンの氾濫によるスタンピード、そして原因不明の巨大な魔力の検知。為政者にとっては、何の冗談だと言いたくなるのも無理からぬことであった。



 そして、まさか王都にそれらの出来事の半分に関わりのある人間で、すでに彼が認識している相手がいるのだが、件の少年と直接会っていない彼では、それらの事件に少年が関わっているかの有無など、わからなかったのである。



「まだ日は昇っておらん。それまでもう少し眠るとしよう」



 このあと待っている問題に対する対処を考えると、頭の痛くなるヨハネであった。だが、今はとにかく少しでも疲れを取るために、彼は再びベッドに横になるのであった。







「姉上……」



 一方で、父のもとを辞去したライラは、未だ昏睡状態にある姉のメイラの現状に憂いていた。



 現バルバド王国王家の家族構成は、国王ヨハネと王妃キーシャの間に三人の子供がおり、長女モイラ、次女メイラ、三女ライラの五人家族となっている。



 以前、王位継承権の関係から側室を向かい入れるべきではという意見もあったが、ヨハネの鶴の一声によって、その意見は黙殺されている。王族には珍しい愛妻家である彼であるが、王妃であるキーシャとしても王位を受け継ぐ王子がいないため、夫であるヨハネに側室を向かい入れろという直談判を行っているが、その度にこう返されている。



「王子ならば、お前が産めばいいではないか?」



 現在のキーシャの年齢は四十二歳であり、年齢的にはもう子供を産むにはいささか厳しい状況である。



 初めて二十五歳の長女モイラを産んだのが、彼女が十七歳の時であり、二回目の出産となる次女メイラが二十二歳の時に、そして、最後の出産となった三女ライラが二十五歳の時に生まれている。



 それ以降は子供を身ごもることはなく、今の年齢となってしまったという背景もあり、この先キーシャがヨハネの子供を産むことはおそらくないだろう。



 だというのに、夫であるヨハネはそんな無茶ぶりを言ってくる。もちろん、二人の間にそういった行為がないというのであれば、その責任は彼にある。しかし、愛妻家で有名な現国王は、同年代の夫婦と比べても異常なほどに妻との営みを行っており、それこそ本当にもう一人くらい子供ができても不思議はない頻度でキーシャを可愛がっていた。



 彼女自身もそのことについて文句はなく、むしろこの年齢になっても愛を与えてくれる夫を心から愛しており、そういった意味では、理想の夫婦と言えるだろう。



 だが、ライラを産んで以降彼女が身ごもることはなく、自分がこれ以上子供を作ることができないと薄々感じていた。



 というような経緯があり、王家の家族仲は良好で、他国と比べてもかなり家族の情が強かったのである。



 そんな大切な家族の一人である次女のメイラが謎の病で床に臥せ、今も目を覚ますことなく眠り続けている。



 王家もあらゆる医者や薬師に診てもらい、できうる限り手を尽くしてきたが、メイラが目を覚ますことはなかったのであった。



「スタンピードの件が終わったばかりだというのに、今度は魔族の襲来だと? まるで今代の王家が呪われているようではないか!」



 立て続けに起こる事態に、ライラの語気も荒くなる。だが、いくら喚いたところで目の前にある問題が解決するわけではない。



「とにかく、今はできることをやらねばならない。どんな状況をも覆す救世主など居はしないのだから」



 彼女もまたヨハネ同様この状況をなんとかしてくれる存在を望んでいた。だが、父と比べ現実的な考えを持っているライラは、そんな存在が都合よく現れるはずがないとも思っていた。



 引き締まった太ももとぷりぷりとしたお尻を揺らしながら、この状況をどうするべきか歩いていると、男女の営みの声が聞こえてくる。



「あんっ、ジョルジュ駄目だよ。お城でこんなこと……」


「いいじゃないかアンジェリーナ。お前だって期待してたからここまでついてきたんだろ?」


「あっ、そ、そこはダメぇ……」


「ほら、こんなところを固くして。まったく、悪い子だ」


(ちっ、こんな夜中に逢引きとはな)



 男女の息の乱れる声が部屋から漏れてくるも、ライラがそれを咎めることはない。なぜなら、今時間は夜中であり城に勤める人間は就寝中で、言うなれば勤務時間外なのだ。



 夜番に見張りに立つ兵や騎士ならばともなくとして、基本的に城に勤める侍女や料理人などは勤務を終えており、自由時間ということになる。



 もっとも、そういった行為はできれば人の目が届かないところで行ってほしいというのが彼女の本音だが、今は人気の少ない深夜帯ということで自身を納得させた。



「私にも、そういった相手がいれば……いかんいかん、今は国の問題を解決するのが先決だ!」



 ライラとてお年頃の女の子である。男とそういったことをしたいという願望は当然持ち合わせており、最近では一人ですることを覚えてしまった。



 思春期真っ只中の彼女にとって、そういうことに対して好奇心が働いてしまうのは無理からぬことであり、一度でいいから男の人とそういうことをやってみたいと考えるのは女性として自然なことであった。



「女専用の娼館とか、あればいいのだが。いや、一体私は何を考えているんだ。……少しだけ仮眠を取ろう」



 国が緊急事態に陥っている最中であるにもかかわらず、頭の中をピンク色に染めている場合ではないと邪な考えを捨て去り、ライラは一旦寝室で仮眠を取ることにした。



 余談だが、ライラが寝室に入ってしばらくすると、若い女性の艶めかしい声が聞こえてきたとか聞こえてこなかったとか。彼女が朝起きてきたとき、目の下に隈ができていたとかいなかったとか。



 もう一度言うが、彼女はお年頃な女の子なのである。そういったことに興味を持つのは仕方のないことであった。そう、仕方のないことであったのである。

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