第114話
女性の案内に従って、いくつかある大通りの一つから外れた場所に、目的の店はあった。
あまり表立って営業するには柄の良い職種ではないようで、一見するとわかりにくい立地にひっそりと店が佇んでいる。
「いらっしゃいやせ。レイヴ奴隷商会へようこそ」
秋雨たちを出迎えたのは、片目に眼帯をしたいかにも胡散臭い風体をした中年の男だった。成人したばかりの少年と言っていい秋雨に対してもへりくだった態度を崩さないところから見て、かなり場慣れしたプロであることが窺える。
そんな男に突っ込みたくなるのを抑えつつ、秋雨は男に用向きを伝える。
「奴隷を拾ったのですが、どうすればいいのかわからないので、連れてきました」
「……そうですか。それはお手数をお掛けしやした。奴隷についてはこちらで預からせていただきやす」
「わかりました。よろしくお願いします」
そう言って、秋雨は主人に捨てられた奴隷……エリスを引き渡す。主人に捨てられたという事実に俯いたまま顔を上げない彼女であるが、それを見ても秋雨がなにかをするということはない。
現状、エリスのことは鑑定によって得られた情報から、奴隷であるということと魔法の才能があり、なんらかの理由でその力を封印されているという二点しかわかっていない。あと胸が慎ましい。
またエリスが悪人ではないという確証が得られておらず、仮に彼女の能力を封印した何者かが、封印する前の彼女の言動を鑑みてその必要性があったから彼女の魔法を封じていた可能性があり、そうだった場合その人物の意図を無下にすることになる。
そして、封印が解かれた後のエリスが暴れ出さないとも限らないため、彼女が奴隷となる経緯を知らない状況で下手に手を出すことは、新たな騒動を引き起こすかもしれないのだ。
「あの、聞いてもいいでしょうか?」
「へい、なんなりと」
店の従業員がエリスを連れて行ったタイミングで、秋雨は男に質問を投げかけた。
「あの女性が奴隷となった経緯を伺っても?」
「わかりやした。あの奴隷。エリスという名前なんですがね。とある街の奴隷商会から、うちへ譲り受けた奴隷でございやして、うちに来る前の詳しい話はわかりやせん。見た目も悪くないですし、すぐに買い手が見つかるんですが、不思議と長くは持たず返品されてくることが何度かありやしてね。今回を入れると、四回目になりやす。まあ、今回の場合は目が見えなくなっちまって捨てられたっていうのが理由なんでしょうがね。とにかく、不気味な女でさぁ」
「そう、ですか」
男の話では、何やら怪しげな内容があるものの、特に問題行動を起こしたとかいう話は出てこなかったため、人間的な要因ではないということになる。
詳しい話を聞いても、さらに踏み込んだ話は聞けず、男が他の奴隷を買ってみないかというセールストークを始めたため、早々に店を後にする。
それから、店を巡りダンジョン攻略に必要な物資を購入して回ったところで、夕方になったので、宿に戻ってその日を終えた。
「んっ、んぅ……」
エリスを奴隷商会に送り届けたその日の夜、突然襲った息苦しさに秋雨は目を覚ます。時刻は草木も眠る真夜中であり、当然室内は闇に包まれている。
だというのに、彼の視界に入ってきた存在は、ほのかに光り輝いており、まるで闇を照らす道しるべのようだった。
「っ!?(こ、声が出ないだと!? か、体も動かん。これは、金縛りか!?)」
前世の記憶を辿ってみても、秋雨が金縛りにあった経験などなく、それが金縛りであるということに気づくのにしばらくの時間を要した。
そして、金縛りといえば怪談に登場するお決まりのシチュエーションであり、もしこれが金縛りだとすれば目の前にある光とは、人魂であることは明白で……。
「……」
(この人は、今日会った奴隷の――)
「ううぅぅぅぅぅぅううううう」
人魂が人の姿に変わり、そこに現れたのは日中に出会ったエリスの姿であった。しかし、どこか虚ろな目をした彼女が目の焦点が合っておらず、どこか虚空を見つめていたかと思った次の瞬間、その形相が悪鬼羅刹のごとく醜悪なものへと変貌し、秋雨に襲い掛かってきた。
「ぐっ(い、息ができん)」
「ううぅぅぅぅぅぅううううう」
この世のものとは思えないおぞましい唸り声を上げながら、首を絞めてくる。状況が状況だけに、一瞬恐怖で体が硬直する。
(動かないが、ダメージはない。首も絞められてはいるが、力はそれほど強くはないらしいな)
しかし、一度冷静になってみれば、特にどうということはなく、むしろ秋雨に対して今も必死の形相で首を絞めつけている相手が滑稽に見えてくる。
(これは、分類的にはアンデッドなのだろうか? とりあえず、除霊してみるか。 不浄なるものに光あれ【悪霊退散(ターンアンデッド)】!)
このままというわけにもいかないので、とりあえず目の前のエリスに似た何かに対処するべく、アンデッド系に有効な浄化の魔法を使う。ちなみに、呪文の前に唱えている言葉は詠唱ではなく、秋雨がノリで言っているものだったりする。そのため、最悪魔法の名前すら言わなくても魔法自体発動するのだが、そこは彼の中にある中二心が刺激された結果だと思っていただきたい。
ひとまず、魔法を使った秋雨であったが、エリスに似た何かが消えることはなかった。そのことに、彼は怪訝な表情を浮かべる。
(ターンアンデッドが効かない? ということは、アンデッドではないということか。ならば、次はこれだ。邪を払え【呪術解呪(カースドディスペル)】!)
次に秋雨が使ったのは、呪いを解く魔法だ。ターンアンデッドが効かないということは、目の前の存在はモンスターの類ではなく、呪術による効果ではないかと彼は考えた。
仮に今起きている現象が呪いであるならば、解呪の魔法を使えば消えるのではと思ったのだが、残念ながらターンアンデッドを使ったときと結果は同じであった。
(ふむふむ、呪いでもないと……興味深いな)
もはや、秋雨に恐怖はなく彼の頭の中を占めているのは、目の前の現象がどういった種類のものなのかということのみであり、差し詰め魔法の研究者とさしたる差はない。
いろいろと考え、次に秋雨が立てた仮説はこの現象が“起きている”のではなく“見せられている”ということに思い至る。つまりは、精神魔法を使った幻術の類ではないかということだ。
(あるべき姿に戻れ【状態異常回復(リカバリーキュア)】! あっ、消えた)
アンデッド系モンスターでもなければ、呪術による呪いでもない。であれば、最終的に残るのは幻術による錯覚ということで、状態異常を治療する魔法を使うと、先ほどまで恐ろしい顔で襲い掛かってきていたエリスに似た何かが瞬く間に消え去った。
状態異常を回復させる魔法を使ったことで怪異が消えた。このことから、今回の原因は幻術によってそこにいるはずのないものを見せられていたということになる。
「ふう、感触もあったし、妙にリアルだったな。かなり高位の幻術か」
なんとか状況を打開した秋雨は、一度むくりと起き上がり、首元をさする。そこには確かに何者かに首を絞められたような跡が残っており、とてもではないが幻術によって錯覚させられていたとは到底思えないほど現実味があった。
しかし、レベルの高い幻術となれば人体に影響を及ぼすほどの錯覚を与えることはままあることであり、秋雨は自分にかけられた幻術のレベルが高いものであると結論付ける。
そして、その結果にたどり着いた時点で新たな問題が浮上してくる。それは、一体いつ幻術をかけられたということである。
「エリス自身に怪しい点はなかった。奴隷商会の連中も魔法を使ったようには見えなかったし、それ以外の第三者がいたような気配も感じられない」
秋雨自身、今日起こった出来事を反芻しながら、一体どのタイミングで幻術をかけられたのか考えていく。だが、どれだけ考えても答えが出ることはなかった。そして、あまり想像したくない可能性が憶測として彼の頭の中に浮かんでくる。
「つまり、俺に悟られないように高位の幻術をかけたってことか? となれば、相手は相当な手練れか高レベルの隠蔽系スキルを保持していることになるな。どちらにせよ、厄介であることに変わりはない」
それから、しばらく幻術をかけた相手のことを考えていた秋雨であったが、いくら考えても答えが出ることはなかった。
とりあえず、今回のことは棚上げするとして、次に同じ手を使われたときの対処法を模索することに思考をシフトさせる。
「まさか、幻術を使う俺が、逆に幻術をかけられることになろうとは……幻術対策が必要だな。まあ、魔法でなんとかなるだろう。てことで、レッツ【創造魔法】」
こういった柔軟な対応をしなければならないことを想定して、秋雨はあえてこの世界に存在する魔法すべてではなく、魔法そのものを生み出す能力を女神サファロデからもらったのだ。
魔法は魔力量も重要だが、魔法を行使するためのイメージ力も重要となってくる。元日本人である秋雨であれば、頭の中で想像を膨らませることは容易であり、元の世界では科学的なアプローチから摩訶不思議な現象を理解することもある程度はできる。
「とりあえず、結界でいいか。わが身を守れ【魔法結界(マジカルプロテクト)】」
秋雨は自身の周囲を薄い膜で覆うような結界を張る。それは、すべての魔法効果を無力化するというものであり、これで次に幻術をかけられた場合、幻術を無効化することはもちろんのこと、魔力自体を感知しどこで幻術が使われたかというある程度のこともわかるようになった。いわゆる逆探知のような能力だ。
「少々面倒だが、この俺に悟られることなく幻術をかける使い手がいる。放っておいていい問題ではないな」
秋雨は基本的には面倒事には首を突っ込まない主義だ。それは今までの彼の行動から見てもわかることであり、今回の件についても確実に厄介な案件である。
しかし、これを放っておく方が後々にさらなる面倒事が待っていると察知した場合、彼は躊躇いなく動く。正確には動かざるを得ないと言った方が正しい。
そして、今回の案件もまた後々に面倒事が待っている可能性を感じたため、彼は今回の一件について調べることにした。
「ふぁー、とりあえず。二度寝だな」
いろいろと考えていたため、眠気が襲ってきた秋雨は明るくなるまで再び眠りに就くことにした。
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