第107話



「ん? なんだこの感覚……まさか」



 それは、何やら不穏な感覚であった。特に明確な問題を起こしたという自覚は秋雨にはない。だが、得体の知れないものが迫っているという胸騒ぎのような虫の知らせのようなものを感じており、今すぐ王都から出なければならないという感覚に襲われる。



 秋雨にとってこの感覚は初めて感じたものではなく、何度か経験したことがあるものであり、この感覚を感じたあといろいろと厄介な出来事が起きている。



「王都に来てまだそれほど経ってないのに、もう潮時だというのか?」



 彼が王都バッテンガムに足を踏み入れて十日も経過していない。だというのに、もう嫌な予感がしている。



 こういった感覚に襲われたとき、秋雨は常にその感覚に逆らうことなく行動してきた。だから、今回もその感覚が正しいものであると判断し、すぐさま行動に移ろうとしたのだが……。



「た、大変だぁー!! ダンジョンが氾濫してスタンピードが起きたぞぉー!!」


「ま、まさかそんなことが!」


「きゃあ、助けてぇー!!」



 残念ながら時すでに遅しといった具合に、トラブルというものは秋雨の都合の良いように待ってはくれなかった。



 どうやら、ダンジョンが氾濫しそこから溢れ出たモンスターが王都に向かってきているらしい。



 さらに詳しい情報を聞くため、秋雨は冒険者ギルドへと向かうことにする。



「おい、どうなってやがるんだ!? 説明しろ!!」


「スタンピードの規模は? ダンジョンから溢れ出たモンスターの規模はどれくらいなんだ?」


「もうだめだ。この世の終わりだぁー」



 冒険者ギルドに足を運ぶと、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。冷静さを失い怒号と共に叫んでいる者もいれば、絶望に瀕し頭を抱えてその場に蹲る者もいる。



 正しい情報を入手しようと冷静に職員から情報を聞き出そうとする者も中にはいるが、それはごく一部の人間だけであり、ギルドにいた冒険者のほとんどがパニック状態となっていたのである。



「静まれぇー!!」



 そこに突如として男の声が響き渡る。その視線の先にいたのは、二メートル近い体格を持った大男であった。



 年の頃は四十代と少しピークを過ぎたあたりの年齢だが、その体つきはまだまだ衰えを見せておらず、慌てふためいている冒険者と比べてもなんら遜色はないほどの鍛え抜かれた肉体を持っていた。



「俺はこの王都の冒険者ギルドのギルドマスター。グレイド・ラオスだ。もう知っているだろうが、ダンジョンが氾濫を起こしてスタンピードが発生した。今から指示を出すからそれに従って行動してくれ」


(まずいな。こりゃあ、逃げ時を誤ったか? いや、スタンピードの情報がこっちに来た時点でおそらく門は閉じられていただろうしな。あ、でも転移魔法なら逃げられるか)



 などと、秋雨が頭の中でいろいろと考えている中、グレイドが状況の説明を行う。



 彼の説明によると、氾濫したスタンピードの規模はゴブリンや一角ウサギといった低ランクのモンスターが数百匹と、オークやダンジョンマンティスなどの上位種も確認されている。



 規模としてはそれこそ数千から数万という絶望的なものではなく、どれほど多くても五百に届くかどうかの小規模のものらしい。



「しかし、小規模といってもスタンピードが発生したという事実に変わりはない。冒険者ギルドからは緊急依頼を出す。強制はできないが、冒険者たちは是非とも参加してくれ」



 こういった緊急事態が発生した場合、ギルドは冒険者に緊急依頼を出すことがある。だが、基本的に冒険者はギルドに縛られることはなく自由な存在であるため、依頼を受けるかどうかの選択権を与えられている。



 だが、冒険者ギルドが緊急依頼を出すことは滅多になく、そういった類の依頼を出す際、冒険者に選択の余地が残されていない場合が多いため、冒険者ギルドが緊急依頼を出すということは半ば強制的に冒険者を動かすということと同義になっている。



 冒険者たちもそれを理解しており、寧ろ緊急の依頼を出すことで通常よりも割のいい報酬を受け取ることができるという利点もあり、よほどのことでない限り冒険者たちが緊急依頼を断るということはしない。



「依頼の受理は今から行う。パーティーを組んでいる者は、リーダー一名の依頼の受理を行う。それ以外は各々が申請するようにしてくれ」



 受付の混雑を緩和させるための対応策だが、それでも受付カウンターに並ぶ冒険者の数は相当なもので、この列に並ぶとなればかなり待たされることになるのは簡単に予想できる。



(しばらく待つか)



 列に並ぶのが面倒だった秋雨は、列がなくなるまでしばらく待つことにする。それから、三十分くらいすると依頼の申請のための列がまばらになり始めたので、改めてギルドカードを提示して依頼の受理を行った。



 正直なところ、秋雨単独であれば転移魔法を使って他の場所へ逃げることは十分に可能だ。だが、それをしないのは彼自身に正義の心が芽生えたとか困っている人を放っておけないなどという高尚な理由ではなく、逃げたことであとになって後ろ指を指されないようにするためという彼らしいものであった。



(まあ、話を聞く限りスタンピードの規模も大したものじゃなさそうだし、これなら俺が目立つこともないだろう)



 現在Eランクの秋雨だが、ランクに見合わないような目立ったことは行っていない。通常よりも多くの素材を納品してはいるものの、それは決して異常というほどでもなく、頑張れば実現可能なレベルのものであり、ギルド側としても新人がランクアップのために少し頑張っている程度という認識でしかない。



 もっとも、そういった認識になるよう秋雨が納品する量を調節しているということもあるのだが、とにかくギルドに圧倒的な実力があるということを勘繰られるような行動は取っていなかったのである。



「フォールレイン様、少々お待ちください」


「な、なんですか?」


「ランクアップの基準を満たしておりますので、ランクアップの手続きを行うため、もう一度ギルドカードをご提示ください」


「……どうぞ」



 どうやらそう思っていたのは秋雨だけだったようで、ギルドには確実に彼の活動が評価されていたようだ。



 本来ならばランクアップをすることは秋雨の本意ではないが、ギルドマスターも近くにいるため、ここでごねて目立つことを嫌った彼は、大人しくランクアップの申請を受けた。



「ギルドカードをお返しします。これでフォールレイン様はDランクとなります」


「じゃあ、僕はこれで――」


「おう、お前が噂の小僧か」


「ああ、グレイドさん」



 目立たないように行動しようとしたが、秋雨の涙ぐましい努力とは裏腹に、グレイドに見つかってしまう。間近で見る彼は圧巻で、秋雨の身長的に山を見上げているような気分になる。



 一応初対面ということもあり、秋雨は簡単に自己紹介をすることにした。



「初めまして、フォールレインです」


「ああ、グレイドだ。お前のことは職員たちから聞いている。なかなか頑張っているそうだな」


「できることをやっているだけです」


「まあ、今回は急な話ですまないが、できる範囲で協力してほしい」


「わかりました」


「ではな」



 そう言うと、グレイドは自室へと戻って行った。おそらくだが、たまたま秋雨のことを見かけたため、顔繫ぎを兼ねて声を掛けてきたらしい。



 だが、彼にとってはあまり組織の上の人間に自分の存在を認知されることは喜ばしいことではなく、面倒な話を持ち込まれる可能性が高くなるというリスクを負うことになるだけのものに過ぎない。



(こりゃあ、スタンピードが終わったら即逃げるべきだな)



 そう結論付けつつ、秋雨はスタンピードに対処するべく、現場へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る