第74話



「ん……」



 とあるベッドの上でとある男の意識が覚醒する。彼の目にまず飛び込んできたのは、見覚えのある石造りの天井だった。



 それは自身が根城としている城の一角であり、男が寝室として利用している場所でもあった。冷たい印象を与える石造りの内装に、必要最低限の家具が設置されているだけの簡素な造りをしている。



 男が自分部屋だと認識した瞬間、彼はなんとなしにこう呟く。



「知っている天井だ」


「どうやら目が覚めたようね。ヴァルヴァロス」



 彼の独り言に返答する者がいることに若干驚きはしたものの、その姿を見てヴァルヴァロスは納得する。彼が横たわるベッドの対面側の壁に背を預け、腕を組みながら蠱惑的な笑みを顔に張り付けている女がいた。



「マリアナか……俺は一体どうなった?」


「覚えていないの? あなたがあの坊やに負けそうになってたところをわたしが助けてあげたんじゃない」


「くっ……余計な真似をするんじゃない! 貴様に助けてもらわなくても、俺はまだ負けていなかった」



 蘇る記憶とマリアナの言葉が合致したところで、ヴァルヴァロスは半ば八つ当たりのような悪態をつく。そんな彼の言葉など歯牙にもかけないといった様子で、マリアナは話を続ける。



「そんなことより、あなたの耳に入れておきたいことがあるから聞いてちょうだい」


「なんだ?」


「わたしたちが狙っていたマリエンベルク家の当主だけど、どうやら病気が治ったみたいなの」


「馬鹿な! あれの治療薬は存在せず人間の間では不治の病とされていたはずだ。一体どうやって治療したというのだ!?」



 マリアナの言葉に、ヴァルヴァロスは目を見開き驚愕する。マリエンベルク家の当主であるランバーをイビル病にしたのは、他でもないこの二人だ。



 そもそもイビル病というのは、魔族が住まう土地に生えるとされるある毒草が原因で引き起こされる病で、そのメカニズムも至ってシンプルだ。毒草から抽出した毒液を一滴だけ飲み物や食べ物に混入させるだけでその毒素が体内で増殖していき、最終的に致死量を超え死に至るというものだ。



 魔族の間では古くから暗殺の手段として使われてきた手ではあるのだが、この毒草から取れる毒は魔族にとっては毒になり得ないため、通常魔族以外の他種族に使われるのが通例となっている。



 だからこそこのイビル病という病は魔族以外の種族間では不治の病とされており、魔族の土地にしか自生していない毒草なため、たとえ毒の成分を検出できたとしてもその毒が何の毒なのかが断定できないので、解毒薬を作ることは至難の業なのだ。



 そんな毒を食らってランバーが生き続けることなど不可能なため、マリアナの言葉をヴァルヴァロスが信じれなかったのにも頷けるというものだ。



「それについては原因は不明なんだけど、問題はそこじゃないのよね」


「……どういうことだ?」


「実はあなたが眠っている五日の間に、何者かがグリムファームの街に結界を展開したみたいなのよね」


「なんだと! 一体どういうことだ!?」


「どうもこうのないわよ。いつの間にか知らないうちにグリムファームにけっか――」


「俺は五日間も眠っていたというのか!?」


「……気にするところそこなの?」



 マリアナの説明を聞いたヴァルヴァロスが、見当違いなところを気にし出したため、呆れを含んだ視線を彼女は向けた。



 実際のところヴァルヴァロスが眠っていたこの数日の間、マリアナはただ彼が目覚めるのを待っていたわけではなく、ヴァルヴァロスに重傷を負わせたあの少年を監視するため使い魔を放っていた。



 ところが、少年が拠点としているであろうグリムファームの街に使い魔が侵入しようとしたところ、目には見えない壁に阻まれ街に侵入することができないという事態に見舞われたのだ。



 その調査に赴くべくマリアナ本人が直々に現地に赴き結界の正体を調べた結果、その結界が魔族に特化したものであるということを突き止めていた。



 そんな本人の涙ぐましい努力を無下にするかのようなヴァルヴァロスの態度を見て、マリアナが呆れるのも仕方のないことだといえるだろう。



 目覚めたばかりで寝ぼけているヴァルヴァロスの目を覚まさせるかのように、マリアナは自身の考えを口にする。



「グリムファームに結界を張ったのは十中八九あの坊やの仕業ね」


「なぜそう言い切れる?」


「簡単なことよ。グリムファームを治めるマリエンベルク家当主の命をわたしたち魔族が狙っていることを知っている人間は、死んでいる者を除けばあの坊や以外にはいないもの」


「だからといって、あの小僧が結界を張ったという証拠にはならない。他にも俺たちの動きに気付いた連中がこれ以上好きにさせないためにやった可能性もあるだろ?」



 マリアナの見解に対し、反対の意見を述べるヴァルヴァロス。実際に結界が張られている状況を目の当たりにしていない彼らにとって、今この場で議論したところでその結論は推測の域を脱しない。



 推測を決定的なものに昇華させるには今二人の持っている情報では不足なのだ。それ故に、今二人の取るべき行動はたった一つであったが、ヴァルヴァロスがこれに異を唱えた。



「あの小僧以外に俺たちの邪魔する勢力があるっていうんなら、あの小僧を八つ裂きにするついでに潰すだけだ」


「待ちなさい、今はあの坊やに復讐するよりも情報の収集に専念するべきよ」


「そんなものは必要ない。俺を止めたきゃ、殺してでも止めることだ」



 それだけ言うと、ヴァルヴァロスは部屋を去って行った。マリアナが本気になれば、止めようと思えば止めることはできたであろう。だが、意固地になった男が聞く耳を持たないことを長年生きている彼女は理解しているため、止めるだけ無駄だと判断したのだ。



 寝室を後にしたヴァルヴァロスに向けるように部屋の扉に視線を向けながら、マリアナ一つため息を吐くと誰に向けることもない言葉を呟く。



「まったく、これだから男っていうのは……。しょうがないわね。坊やの動向はヴァルヴァロスに任せて、わたしは別路線から情報を集めることにするわ」



 マリアナが決意を新たに呟いたあと、次の行動に移るべく部屋をあとにする。



 かくして、魔族側にも新たな動きが起こっている最中、そんなことになっているとは毛ほども思っていない秋雨といえば、次の目的地に続く街道を鼻歌交じりで暢気にスキップしていたのであった。

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