第57話



 ケイトを攫った賊の生き残りを【記憶編集】を使って記憶を改竄した数日後、秋雨は賊の黒幕が住まう【ヴェルカノ】へと足を運んでいた。

 彼がこの都市に来た目的は一つ、賊が捕らえた奴隷の救出であった。



 秋雨の性格を考えれば、今回の彼の行動は彼自身の行動理念から大きく逸脱しているものであった。

“面倒事に巻き込まれたくない”という極々単純な思いから、これまで秋雨はこの世界にやってきてから慎重に慎重を重ね行動してきた。



 その行動理念から、時折奇天烈な行動に出ることもしばしばあったが、概ね目立つことなく異世界生活を送ってこれた。

 だが、今回の捕らえられた奴隷たちを救出するという行動は、明らかな面倒事であり彼が最も嫌う目立つ行為であった。



「かといって、このまま見て見ぬふりをしたら寝覚めが悪いんだよなぁー」



 誰にともなくそう独り言ちた秋雨は、自分自身の性格に思わずため息を吐き出す。

 秋雨が面倒事に巻き込まれたくないと強く願っているのは、今までの彼の行動から分かると思うが、それ以上に彼が嫌っていることがある。



 彼の日本人としての気質がそうさせるのか、はたまた彼自身の性分なのかは定かではないが、困っている人が目の前にいたら放っておけないというものだ。

 仮に困っている人を助けず見て見ぬふりをしたことによって、最悪の結末を迎えてしまった場合、あの時助けておけばよかったという罪悪感に苛まれることになる。



 そのことを重々理解している秋雨にとって、それは足枷といっても過言ではないものであった。

 面倒事に巻き込まれたくはないが、かといって目の前の困っている人を無視して平穏な日々を送っていけるほど秋雨は冷酷な人間でもない。だからこそ、周りに困った人がいるのであれば、自分の立場が悪くならない程度には助けるという最低限の良心は持ち合わせていた。



 そんな難儀な性格に嫌気が差すこともあるが、それが自分の性分だと諦めの感情を浮かべつつも、秋雨は目的の都市へとたどり着いた。



(今回はお忍びで来てるからな。馬鹿正直に門から入ると、足が付く可能性があるから、ここは力技でいくか)



 【ヴェルカノ】の街は、秋雨が拠点を置く【グリムファーム】とは違い、ここ数百年の間魔物の大群に襲われるということがなかった。そのため隣領の【グリムファーム】及び【コンマーク】と比較すると、街を守るための防壁の高さが低くなっている。



「これなら飛び越えられそうだな。よし、物は試しだ」



 そう呟いた秋雨は、目の前の壁に向かって大きく跳躍する。通常の城壁の高さは十mから十五mほどあるが、【ヴェルカノ】の城壁の高さは精々五mほどしかなかった。それでも、常人にとって五mの壁を身体能力だけで飛び越える事など不可能に近いのだが、女神から与えられた肉体によりそれを可能とした。



「うわ、ほんとに飛び越えられちゃったよ……これだから異世界ファンタジーってやつは」



 自分が仕出かしたことを異世界だからという理由で片付けてしまう辺り、彼が相当な変わり者だといえる。だが、それは既に今更なことであり、それについて秋雨に指摘する人間もいないため、彼が自分の言動に違和感を感じることはなかった。



 兎にも角にも、街の内部に潜入することに成功した秋雨は、賊の女から手に入れた記憶を元に奴隷たちが捉えられている領主の屋敷へと向かった。

 建物の壁を伝って、屋根の上に登ると、そのまま音もなく疾走する。目的地までの距離が縮まっていく中、展開していた索敵魔法に反応があった。



(敵か? いや、それにしては索敵魔法の反応が薄いな……よし、確かめてみるか)



 そう判断した秋雨は、気配を殺しながら慎重に進んで行く。そして、反応のあった場所に赴いた秋雨が見たのは予想外の光景だった。



「あんっ、ちょっとぉー、ここでするのぉー? 恥ずかしいよぅー」


「いいじゃないかぁ~、そんなこと言って分かってるんだぜ? お前もここでしたいんだろ?」


「……」



 そこにいたのは、二十代と思しき若いカップルだった。

 二人とも興奮状態にあり、お互いに熱い視線を交わし合っている。男が女の唇に自分の唇を重ね合わせる光景が目に飛び込んできた。

 これが美男美女であるならば、秋雨とて許容できたかもしれなかったが、残念ながらいちゃついていたカップルはお世辞にも器量が良いとは言い難かった。



「……はぁー、せめてもの救いは、女の方がいい体してるってところだろうな。確かにあの体なら……抱けるな」



 周囲は明かり一つない闇が支配していたが、女神から貰ったチート能力の一つ【身体能力の高い丈夫な身体】によって視力までもが常人よりも強化されていたため、二人の容姿がはっきりと確認できた。

 男の方になんら興味のない秋雨だったが、女の色気溢れる体つきに秋雨は思わず舌を巻いた。それは、男であれば誰もが魅力的だと感じてしまうほどに素晴らしいの一言に尽きた。



「おっといかん、俺はぶちゃいくカップルのイチャコラを見るために遠路はるばるこの都市まで来たわけじゃないからな、先を急ごう」



 秋雨としては、もう少しだけ観察してみたいという後ろ髪を引かれる思いもあったが、他人の秘め事を覗き見る変態趣味はないため、その場を後にした。

 だが、益々以って秋雨の内に秘める欲求に対する思いが強くなってしまい、今回の騒動が片付いたら絶対に娼館に行くと決意を新たにする秋雨であった。



 想定外の事態はあったものの、それほど時間を掛けずに目的の場所へとたどり着いた。

 刻限は闇夜が支配する時間帯ということもあり、誰にも姿を見られることなく易々と屋敷に到着したのだが、ここでさらに想定していない事態が起きていた。



「なんか、屋敷の中が騒がしいな……」



 屋敷に隣接する建物の屋上から様子を窺っていいると、何やら屋敷内が騒然としていた。

 まるで自分よりも先に何者かか侵入した直後のような警戒態勢に秋雨は怪訝な表情を浮かべながら次に取るべき行動について考えを巡らす。



「屋敷の様子からいって、俺よりも先に誰かが侵入したのは間違いなさそうだ。だが、目的はなんだ? 領主の暗殺か、それとも……」



 あらゆる可能性を頭の中でシュミレートしていたその時、屋敷の門から馬車が走り出してくるのが見えた。

 乗っている人間が何事か叫んでいたので、その声に耳を澄ませてみた。



「追えー、奪われた奴隷共を取り返すのだー!!」


「一刻も早く奪い返さないと、このままではバラム様に殺されてしまうぞ!」



 下にいた兵士たちの言葉から大体の事情を把握した秋雨であったが、それと同時にとある結果が明白になってしまった。



「俺がこの街に来た意味って無くね?」



 秋雨は気付いてしまった。彼の驚異的な身体能力を駆使しても丸一日掛かってたどり着いた【ヴェルカノ】の都市だったが、その丸一日という道程が全て無駄足となってしまった。

 自分の行いが全て徒労に終わってしまったことに対して落胆しながらも、屋敷に捕らわれた奴隷たちを救出する手間が省けたという自分でも苦しいと言わざるを得ない理由で納得することにした。



「はぁ……帰るか」



 その後、転移魔法を使って一瞬でグリムファームへと帰還した秋雨であったが、今回の一件で得られたものといえば、自身の性に対する欲求が強くなったことだけであった事実に、ただただ苦笑いを浮かべるだけであった。 

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