第45話
「まずはこれだ」
そう言って、秋雨はバッグから一本の薬草を取り出す。
それはこの世界において、最も流通量の多い薬草とされ、薬師の間だけでなく冒険者や村人も重宝していた。
して、その薬草というのは……。
「ブルーム草ですか」
マーチャントは内心で肩すかしを食らっていた。
あれほど大見得を切ってきたからには、かなり珍しいものを寄こしてくると彼は思っていた。だが蓋を開けてみれば、バッグから出てきたのは何処にでもある普通の【ブルーム草】だったからだ。
だが、秋雨の一言で状況が一変する。
「まあとりあえず最初はこれから始めようか、まだまだ買ってほしいものは沢山あるからな」
「……とにかく、拝見させていただきます」
ただのブルーム草とて、品質や状態を見ないことには何とも言えないと判断したマーチャントは、秋雨がバッグから出した一本のブルーム草を確認する。
そして、薬草の状態を確認すると、マーチャントは先ほど自分が取った態度を後悔することになった。
(な、なんだこの【ブルーム草】は!? 青々としていて瑞々しいだと……馬鹿な、あり得ない)
彼が驚くのも無理はなく、秋雨が持ち込んだブルーム草は、ついさっきまで森にあったものを採ってきたかのような鮮度を保っていたのだ。
通常ブルーム草を採取すると、3時間から5時間以内に劣化が始まり、劣化を食い止めるための保存処理を行わなければ、半日と経たずに薬の材料としての効力を失ってしまうのだ。
入手難易度はかなり低いが、それだけに品質の高いブルーム草にお目に掛かることは珍しいのだ。
特に今目の前にあるブルーム草は、高品質と言っても過言ではなく、この薬草から作られる回復薬は通常の物よりも高い効能が期待できることは明らかであった。
だからこそ、マーチャントの口から出た言葉は仕方のない事といえばそうなのかもしれない。
「これを一体どこで手に入れたのですか!?」
「シー」
秋雨はマーチャントの問いかけに対し、人差し指を口元に当てる仕草で応える。
それは返答することを憚るという意思表示であり、答えるつもりはないという意味を持っていた。
「マーチャントさん、俺の言ったことをもう忘れたのか?」
「はっ」
その瞬間、先ほど秋雨の提示した条件を思い出し彼はハッとする。
この取引の前提条件として、秋雨の持ち込む品に関しての詮索はご法度であると、先ほど説明があったばかりだからだ。
だがそれでも、一介の商人として聞かずにはいられなかった。
これほど高い品質のブルーム草は、ほぼ市場には流れないからだ。
なぜなら、そういった薬草のほとんどが専門的な国の研究機関や権力を持つ王侯貴族が独占しているからなのだが、それが今一本とはいえ目の前にある。
(どうして、一介の冒険者である彼が、これほどのものを持っているんだ? 知りたい……)
マーチャントは内心で歯を噛みしめる思いで打ちひしがれていた。
どうして、秋雨がこんなものを持っているのか? そして、定期的に入手することは可能なのか?
たかが薬草一本で、これほどまでに心を乱されてしまった自分に腹を立てながらも、なんとかして秋雨から情報を得ようと頭を巡らせていたマーチャントだったが、秋雨の一言でさらに頭を抱えることになってしまう。
「ちなみに俺が持ってるこのバッグは【
「ままま、【魔法鞄】だってぇぇぇぇええええ!?」
秋雨の何の気なしの言葉に思わず、声を上げてしまったマーチャントだったが、すぐに平静を取り戻した。
そして、【魔法鞄】についてさらに追及しようとしたところで、秋雨のフォローが入る。
「ちなみにこの【魔法鞄】は魔力を登録することで使用できる仕組みになっていて、最初に登録した人間の血族者でなければ使用することは不可能だぞ? つまりこれを使えるのは今のところ俺だけという事だ」
「うぅ……」
その言葉に残念そうな表情を浮かべるマーチャント。
(ふむ、少しまずいかもな……せめて【契約魔法】か【隷属魔法】のどちらかが使えればよかったんだが)
ここまでのやり取りを見ていて疑問に思ったことだろう。
慎重派である秋雨が、マーチャントとの取引を行うにあたって、口約束しか交わしていないという事を。
普段の彼であれば、【創造魔法】で創造した【契約魔法】や【隷属魔法】で無理矢理約束を取り付けるのではないかと?
順を追って説明すると、【契約魔法】や【隷属魔法】という概念はこの世界では確かに存在する。
ではどうして使わないのか? 答えはシンプルだ。“使いたくても使えない”だ。
どういうことかというと、【契約魔法】はこの世界においてとても珍しい激レアな魔法なのだ。
特定の種族にしか発現せず、その発現確率も一千万人に一人という超低確率だ。
加えて【契約魔法】を使用すると、使用した痕跡が残ってしまい、そこから辿って最終的に秋雨にたどり着く可能性があったからだ。
そもそも魔力というものには、【波紋】と呼ばれるものがあり、それは人それぞれ全く違った形をしている。
それは親子であれ兄弟であれ、遺伝子が近いと言われる双子でさえ違ったものとなっているのだ。
そして、【魔力鑑定】と呼ばれる鑑定法があり、その波紋を調べるための方法がこの世界では確立されている。
であるからして、【契約魔法】で残った魔力から【魔力鑑定】で秋雨までたどり着いてしまう。
【契約魔法】などという魔法は、それこそ王侯貴族や力を持つ教会や神殿などが喉から手が出るほど欲している能力であろう。
つまり、【契約魔法】を使えば、この世界で指名手配される可能性が物凄く高いという事だ。
さて質問だが、今から述べる選択肢のうちどちらを取るだろうか?
街を追い出される可能性がある取引と世界から付け狙われる可能性がある取引の二つだ。
仮にこの二つの選択肢の場合、ほとんどの人間が前者を選ぶのではないだろうか?
そういった理由から秋雨は【契約魔法】を使いたくても使えないのだ。
ちなみに【隷属魔法】はすでに失われたロストマジック扱いとなっており、誰も使えない魔法として知られている。
では、この世界に奴隷はいないのかといえば、ちゃんと存在する。
今から数千年前にとある魔法使いが【隷属魔法】の術式を読み解き、それをある道具に組み込むことに成功した。
それはのちに【隷属の首輪】や【隷属の腕輪】と呼ばれるようになり、現在では奴隷を扱うための魔道具として広く知れ渡っている。
つまり、隷属の魔道具で隷属化することはできても、魔法を使用して隷属化するという技術は既に失われたものなのだ。
そして、例によってこの【隷属魔法】というのも使用すれば、対象に魔力が残ってしまうため、【魔力鑑定】が有効になってしまう。
以上の点から、秋雨は【契約魔法】ならびに【隷属魔法】を使うことを諦めた。
世界を敵に回してまで、素材を買い取ってもらうほど、今の生活は困窮はしていないからだ。
そんなこんなで、未だに【魔法鞄】のショックから立ち直っていないマーチャントに声を掛け、取引の続きを行うことにした。
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