第8話



「さてさて、少し小腹が空いたな」



 この異世界に飛ばされて、まだ一時間と少ししか経過していないが、どうやら腹が減ってきたようでお腹をさする秋雨。

 彼が歩を進めている道中でもちょっとした軽食を販売する露店はちらほらあるが、数が多いためどれを選ぶべきか迷いあぐねていた。



 そうこうしている間に、少し開けた広場のような場所にたどり着いたところで、不意に声を掛けられた。



「おう坊主、お使いか? 何だったら俺が焼いた肉串でも食っていくか?」


「肉串?」



 三十代中頃の男が売っていたものは串に肉を刺し、軽く塩を振って焼いたこの街ではごくありふれた軽食だった。

 秋雨が好んで読んでいた異世界転生物の小説でも度々登場する軽食だったので、覚えていたのだ。



「何の肉なんだ?」


「フォレストボアの肉だ。珍しい肉じゃねえけど、それだけによくある食ベもんだから小腹が空いた時にはちょうどいいぜ? 銅貨2枚でどうだ?」


「じゃあ一つ貰おうかな」



 俗に言う庶民の味という奴なのだろうと当たりをつけた秋雨は、せっかくの彼の厚意を無下にするのもどうかと考え、庶民の味を堪能することにした。

 庶民と言っても別に秋雨は貴族や王族ではないのだが、この世界に来てまだまだ知らない事の方が多いため、いろいろな体験をする事は今後の糧になると考え肉串を購入し食べてみることにした。



「あむ、もぐもぐ……うーん、普通だ!」


「だからフォレストボアの肉で軽く塩を振って焼いただけのものなんだから、不味くはないがこれといって珍しいものでもないからな」


「そんなものか……ところでこの辺りで“そこそこ”な宿屋はないか?」


「そこそこって……宿屋の連中からすりゃ失礼極まりない発言だなっ。まあ俺は宿屋の店主じゃないからいいんだが……坊主の言うそこそこな宿なら一件心当たりがある。この広場を左に進んで突き当りの大通りを右に曲がってしばらく歩くと、左手に【白銀の風車亭】っていう宿が見えてくるはずだ。普通の宿より料金は多少高いが、料理も美味いしこの辺りの宿と比べりゃだいぶマシな宿だ」


「そうか、教えてくれてありがとう」


「礼ならうちの肉串をもう一本買ってくれればいいさ」



 その後店主に礼の意味も込めもう一本肉串を買い、それを食べながらその場を後にした。

 とりあえず腹を満たした秋雨だったが、ここで今日の予定を立てるため頭の中で整理することにした。



(とりあえず、さっきの店主が教えてくれた【白銀の風車亭】っていう宿で部屋を取って、真夜中……午前三時半くらいになった後で冒険者ギルドに登録しに行くってところか)



 この世界の一年が三百六十日で一か月三十日を十二回繰り返すことで一年が経過するというのは知っていたが、時間の概念はどうなのかと言うと、秋雨のいた元の世界と同じで二十四時間で一日が経過する。

 現在の時刻は朝と昼の中間の時間帯である午前十一時を回ったところで、秋雨の考えている午前三時半までかなりの時間がある。



 ではなぜ今から冒険者ギルドに登録をしにいかないのかと言えば、これもまた秋雨が読んでいた異世界転生物の小説の知識からくるものだった。

 冒険者ギルドに登録している冒険者という存在は、モンスターを相手取ることが多いため、戦場で戦う傭兵と同じく荒事にはとかく慣れている。そのような連中が集まる場所であるからこそ、おのずと人当たりが強い人間が集まってくる。

 これから冒険者を始めようという人間に対し、先輩冒険者からの有難い(?)講釈を聞かされることになってしまうのだ。



 場合によっては、冒険者登録自体を妨害しようとしてくる者がいることも少なくなく、面倒臭い事この上ない。

 そんな連中を相手にしないようにスムーズに冒険者登録を行うために、仕事を終えて宿に戻っていたり、酔いつぶれて眠りこけているであろう時間帯を狙って冒険者登録を済ませてしまおうという腹積もりなのだ。



 仮に秋雨が冒険者に絡まれたところで対処できないわけではないが、それだと他の冒険者に目を付けられてしまう可能性が高い。

 そうなると他の冒険者にも絡まれることになってしまい、似たようなことを何度も経験する事になるのは想像に難くない。

 そして、最初は絡んできた連中も秋雨の実力を知り、絡んでこなくはなるだろうが、その時にはすでにギルドの職員にも悪い印象を与えることになってしまう。



 特に注意すべきはギルドの最高責任者であるギルドマスターの存在だ。

 他の職員であれば多少荒っぽい冒険者として認識されるだけだが、これがギルドマスターとなってくると違った見方をする可能性がある。

 すでに冒険者として活躍している連中でも歯が立たないほどの実力者として、指名依頼という名の面倒事を押し付けてくるのだ。



 しかもその依頼を完了してしまった日には、もはや秋雨にとってギルドマスターという存在は面倒事を持ってくるだけのトラブルメーカーに成り下がってしまうのだ。

 だからこそ、他の冒険者に絡まれるという事態は絶対に避けなければならない。



(そうはいっても、今が午前十一時という事は、今から宿を取ったとしても目的の時間まであと16時間もありやがるのか……長いな)



 どうやってその長い時間の暇つぶしをしようかと考えを巡らせながら、秋雨は目的の【白銀の風車亭】へと向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る