輾転草・令和百物語

序文

　令和二年十月二十七日の夜に不可思議な夢をみた。百の怪談を蒐集（しゅうしゅう）し、物語にして記せという託宣（たくせん）だった。

　怪談物を書くにあたって、まずは偉大な先（せん）達（だつ）である上田（うえだ）秋成（あきなり）の『雨月物語（うげつものがたり）』を紐解（ひもと）いた。彼は序文で次のように述べている。

「羅子（らし）水滸（すいこ）を撰（せん）し、而して三世唖児（あじ）を生み、紫媛（しゑん）源語（げんご）を著（あらは）して、而して一旦悪趣に堕（お）つるは、蓋（けだ）し業（ごふ）の為に偪（せま）らるるのみ。」

　掌に包めるほど細やかで美しい硝子細工（がらすざいく）のような物語を綴（つづ）ることが積年の望みだった。これが業（ごう）となって地獄に堕（お）ちるという報（むくい）を受けようとも構（かま）わない。内から湧き溢れる欲求を抑えることは難しい。この欲求を押しとどめるくらいなら地獄に堕ちた方が、幾分（いくぶん）かましにも思える。また、秋成（あきなり）は続いて次のようなことも記している。

「余（よ）適（たまたま）鼓腹（こふく）の閑話有り、口を衝（つ）きて吐き出（い）だすに、雉（きじ）雊（な）き竜戦ふ。自（みづか）ら以て杜撰（ずさん）と為す。則ち之を摘読（てきどく）する者、固（もと）より信と謂（い）わざるべきなり。豈（あ）に醜脣平鼻（しうしんへいび）の報（むくい）を求むべけんや。」

　秋成（あきなり）は五歳のころに重い痘（とう）を患（わずら）ってから手が不自由であったらしい。彼が業報（ごうほう）について全く憂慮（ゆうりょ）しなかったとは考えがたい。むしろ、この諧謔（かいぎゃく）の裏には秋成（あきなり）の執筆に対する並々ならぬ熱情と覚悟が窺（うかが）えるように思える。

　――俺は既（すで）に報（むくい）を受けているのだ。毒を食らわば皿まで。悪業（あくごう）を重ねることになろうとも書かずにはいられない――

　そんな心の叫びが聞こえてくるような気がする。大学では文学を専攻していたが上田（うえだ）秋成（あきなり）を学ぶ機会は少なかったため詳（くわ）しくない。間違えだらけの所感（しょかん）であるかもしれないので多くは語るまい。ただ、想像を逞（たくま）しくした時、秋成（あきなり）の声が聞こえてくるような心持ちになったのだ。そして、その声は私の背中を後押ししてくれるには充分なものでもあった。

　告白すると私はもう四、五年前ほど以前から不眠症を患（わずら）っている。この掌編小説集の題名を『輾転（てんてん）草（くさ）』と定めたのはこれに由来（ゆらい）する。　　

「輾転反側（てんてんはんそく）」とは思い悩んで、眠れずに寝返りばかりを打つ様子を示すが、その悩みは専（もっぱ）ら恋煩（こいわずら）いのことを指す。懊悩（おうのう）には違いないが微妙に食い違うところがある。それでも、輾転反側（てんてんはんそく）という言葉は病人の脳を大いに刺激した。

　所（しょ）収（しゅう）の物語の内には恋慕（れんぼ）を主題にしたものもあるので、順序が逆になってしまったきらいがあるが、この古（いにしえ）の言葉を採用したことをあらかじめ断っておく。

　最後にこの度（たび）の物語を書くにあたり、惜（お）しみない協力と助言を与えて下さった方々に深い感謝の気持ちを捧（ささ）げたい。

　　令和二年十一月二十六日　　　胤田（たねだ）一成（かずなり）