第9話 一人の恐怖
私は荒い呼吸をしながら両断したライオン怪人の身体を見つめていた。
ライオン怪人の爪は鋭く、その牙は一度噛みつかれれば重傷どころではない禍々しさだった。しかし、私はほぼ無傷で退治することに成功した。今はハサミに反射している自分の姿を見つめている。
「強く……なってる。それも、すごく」
私は自分の実力が向上しているのを感じて思わずニヤついた。修行の成果を感じることは修行を続けるために一番大事なことである。それがなければモチベーションなど保てるはずがない。
ライオン怪人の身体はゆっくりと消滅していった。私はそれを見届けると、変身を解いて「ふう」と息を吐いた。
虚空からデビちゃんが現れる。私が無言でハサミを渡すと、デビちゃんは大きな口を開けてハサミを飲み込んだ。
「……」
デビちゃんが話しかけてくる。
「おい。大丈夫か?」
私にはデビちゃんがどうしてそんなことを聞いてきたのか分からなかった。だから、素直に「なんで?」と聞き返した。
デビちゃんは「何でも何も」と呆れながら言った。
「荒れた呼吸が治まってないぞ。体調でも悪いんじゃないのか?」
デビちゃんの言葉に私は首を傾げ、自分のおでこを触りながら言った。
「自分じゃよく分かんないや。デビちゃんが触ってよ」
私はそう言って、デビちゃんにおでこを差し出す。デビちゃんは私のおでこに触れた。
そして、目を見開いて、次に呆れた顔をした。
「これは……完全にアウトだ。信じられないくらい熱いぞ。さっさと帰って休まないとダメだな」
デビちゃんの言葉を聞いて、私は言った。
「大丈夫。デビちゃんは心配性だよ。私ね? 病気になったことがないの。だから大丈夫」
「いや、これは病気とかではなく……」
私はデビちゃんに対してガッツポーズをして見せたが,デビちゃんが何か言っているのを感じながらふらふらと倒れてしまった。
「あ、おい。シザースグレー!」
デビちゃんが倒れた私に近づいて身体を支える。
「おい!大丈夫か!」
そういえば,頭がぐらぐらしている。そういえば,体の節々が痛い気がする。そして、妙にふわふわしている。
なんだろうこれ。
病気になったことがないというのは嘘でもなんでもなく,こんな風に自分の体がだるくなるのは初めての経験だ。
デビちゃんはちいさな声で「仕方ねえな」と呟き、私の身体を持ち上げて浮遊した。
「これは熱とかじゃなくて、魔人の魔力を取り込んじまった副作用だよ」
デビちゃんの小さな体が、私を持ち上げている様子はきっと、不自然極まりないだろう。
サイズ感としては,人間画像を担ぎ上げている感じ。
デビちゃんってこんなに力持ちだったのか……
デビちゃんの姿は魔力を持つものにしか見えないらしいから,周りの人たちはそんなことに気づきもしないけど。
デビちゃんは私の家のドアを尻尾で開け、私のことをベッドに転がした。
デビちゃんが私を見つめているのが,目の端に写っていた。どこか、悔しそうな顔をしている。
最近、デビちゃんは笑顔を見ていない気がする。
しばらくすると、デビちゃんは部屋の窓を開けて外に飛んでいった。
飛び立つ前に何かの魔法を使用したようだったが,虚な頭ではそれがなんだかわからなかった。
●
コンコン。と窓が叩かれる。
そこは森の中にある不思議な高い塔。誰も知らない、知ることができないその塔の内部には、大きな螺旋階段がある。
その螺旋階段の壁一面には、もはや数えることなど不可能なのではないかと思えてしまうほどの本が並べられていた。
そこに暮らしているのは、魔法少女ペーパーホワイトだった。
その塔の最上階。居住スぺ―スにて、ペーパーホワイトは今日も本の世界に潜っていた。しかし、コンコン。というノックの音で本の世界から引き戻された。
ハンモックから降りて窓にかかっているカーテンを開く。
すると、そこには小さな翼で羽ばたきながら、ふわふわと浮遊しているデビちゃんがいた。
ペーパーホワイトが窓を開けると、デビちゃんは「よう」と言って遠慮なく部屋の中に入り、テーブルの上に座った。
ペーパーホワイトが無表情で機械のように告げた。
「何用ですか。まだ三日間は猶予があるはずです」
ペーパーホワイトが言った三日間の猶予とは、デビちゃんに持ちかけられた、魔法少女を続けるか、魔法少女をやめるかという選択の話だった。
デビちゃんはこの前、ロックブラックにこの話を持ちかけた後、ペーパーホワイトにもこの話をしていたのだ。
デビちゃんはペーパーホワイトの言葉に答えた。
「そうなんだけどな。そんな悠長なことを言っていられなくなっちまった」
デビちゃんはテーブルの上に置いてあった読みかけの本から栞を抜き取ってピラピラと振った。
「シザースグレーがよ。倒れちまったんだよな」
デビちゃんが栞を抜き取ったことには表情を変えなかった。しかし、シザースグレーの情報を聞いて、ペーパーホワイトは顔を真っ青にした。
そして、走り出した。
「どこへ行く!」
デビちゃんがペーパーホワイトの背中に叫ぶ。
すると、ペーパーホワイトの身体が、何かに拘束されたかのように動かなくなった。
ペーパーホワイトはゆっくりと振り返りながら、深刻な顔をして言った。
「シザースグレーの所に……行くんです!」
デビちゃんはペーパーホワイトに近づき、静かな声で言った。
「お前が今からしなくちゃいけないのは、シザースグレーを見舞いに行くことではなく、シザースグレーの代わりとなって魔法少女に復帰するかどうか考えることだ。それが、見舞いに行くよりもシザースグレーのためになる」
デビちゃんがそう言うと、ペーパーホワイトは泣きそうな表情を隠すように俯いて,黙り込んだ。
「ちょっとは考えただろ? 悪いが今すぐ答えを出してくれ」
デビちゃんがペーパーホワイトの頭の上に、さっき抜き取った栞を乗せる。
黙っているペーパーホワイトを見て、デビちゃんはさらに続けた。
「お前らの気持ちは分かっている。分かっているし、すごく同情もしている。だけどな。お前ら以上に苦しんでいるのがシザースグレーなんだよ。あいつはお前らが休んでいる間に、一人でクソほどきつい修行をして、何度も怪我して死にかけて、そんなことをして無理矢理実力を向上させた。それでも、今回はダメだった。これ以上、アイツに無理はさせたくないんだよ。その気持ちはお前も同じだろ?」
デビちゃんの言葉にペーパーホワイトは小さく頷く。
「あの時は、魔法少女を続けるか、それとも止めるかって二択を迫ったけどな。今回はお願いだ。どうか、シザースグレーを救ってくれ」
●
次の日。屋上に現れたのはシザースグレーではなく、ペーパーホワイトだった。
ペーパーホワイトはいつもの無表情をさらにがちがちに緊張させていた。
デビちゃんは屋上の扉が開かれる音で目を覚まし、ふわふわと浮遊して、ペーパーホワイトのもとまで飛んでいった。
ペーパーホワイトはデビちゃんを見つめた。そして、一つ息をついてから言った。
「来ました」
デビちゃんはペーパーホワイトの無愛想な言葉に少し微笑みながら「ありがとう」と言った。
「お礼をされるようなことではありません。むしろ、私がお礼をすべきなのです。魔法少女の仕事を放棄していたのに、地獄送りにしないでいてくれて、ありがとうございます」
ペーパーホワイトは頭を下げた。綺麗に四十度。指先までまっすぐ伸びている。
「そんなことするわけねぇだろ」
デビちゃんはペーパーホワイトの後頭部を尻尾でひっぱたいた。
ペーパーホワイトは後頭部をさすりながら困ったように顔を上げた。
デビちゃんは口を大きく開き、嗚咽を漏らしながらペーパーホワイトの武器である紙吹雪を吐き出した。ひらひらと舞う紙吹雪がペーパーホワイトの手元に集まっていく。
ペーパーホワイトは小さく呟いた。
「変身」
ペーパーホワイトの頭上に黒い天幕が現れ、身体をくるりと包み込んだ。ペーパーホワイトがその黒い天幕を翻すと、彼女の姿は久しぶりの魔法少女ペーパーホワイトに変身していた。
少し小さな溜息を吐く。
緊張で身体が思うように動かない。怪人退治なんていつぶりだっけ。
ペーパーホワイトが震える手を見つめていると、デビちゃんがからかうような口調で話しかけた。
「緊張してんのか?」
ペーパーホワイトは、ニヤつくデビちゃんを睨んだ。
「緊張など、しているはずありません。私は魔法少女。魔法少女はいつだって強くて冷静で格好良くて可愛くて、少し危うさを秘めていながらも、やっぱり誰にも負けない。そんな存在でなくてはならないのです」
「お前の魔法少女ハードル高すぎないか?」
「適正です」
ペーパーホワイトは少しだけ笑って、屋上から飛び跳ねた。
飛び降りながら、手の中で形成した紙飛行機を空に放つ。
すると、その紙飛行機は巨大化し、ペーパーホワイトを乗せて怪人の元まで超スピードで飛び立った。
電柱の上に着地したペーパーホワイトは、静かに怪人を見下ろした。
ペーパーホワイトは改めて自分の手のひらを見つめる。
手の震えは先ほどよりも酷くなっていた。なんだか視界がグラグラと揺れている気もする。
ペーパーホワイトにとって怪人との戦闘はトラウマを刺激するトリガーになっている。
あの時。死の恐怖を肌で感じた。
魔法少女として活動を続けていく為の心を完全に折られてしまった。
「シザースグレーは」
ペーパーホワイトが呟いた。
「シザースグレーはどうして折れなかったのでしょう」
脳裏に久しく顔を合わせていないシザースグレーの方がよぎる。彼女は大丈夫なのだろうか。
「あいつのことは眠らせた。あいつ、怪人の気配を感じるとベッドから降りて立ち上がるんだもんよ。自分の状態が分からないんだ。馬鹿だから。そーゆう奴が医者に行かずに死ぬんだよな」
デビちゃんは不謹慎に笑う。
「だから、部屋にも結界を張って出られなくしでやったぜ。いい気味だ。そろそろ休むべきなんだ、あいつは」
その声を聞いたペーパーホワイトは、からかうような口調でデビちゃんに語り掛けた。
「前から思っていましたが、デビちゃんはシザースグレーを特別視していますね」
ペーパーホワイトの言葉に、デビちゃんは少し時間を空けてから返答した。
「……別に、そんなことはねえよ。お前らのことだって平等に大好きだ」
ペーパーホワイトはそれを聞くと、少しだけ頬を赤くした。
「そうですか」
そう言うと、ペーパーホワイトは長く息を吐き、自分の頬を叩いて気合を入れた。
そして言った。
「では、行きます」
ペーパーホワイトは飛び跳ねた。飛び跳ねて紙を空中にまき散らす。
「ペーパーホワイト。参上」
●
ペーパーホワイトは紙を武器にしている。
よって、その攻撃に威力は無い。
しかし、彼女は紙を魔力でコーティングし、硬度を上げたり、自在に操ったりして,攻撃の手段としている。
普段から魔力を多用する戦闘方法のおかげか、ペーパーホワイトの魔力量は魔法少女モノクロームの三人の中で突き抜けていた。
宙に浮いたり、紙人形を作り出したりなど、攻撃の多様さも一番豊富で、一番ユニークな戦い方をする。
こう聞くと、弱点のない万能型に思えるかもしれないが、しっかりと弱点がある。
それは、単純な威力不足。
魔力で攻撃の手段にしていると言っても,彼女はあくまでサポート型。他の二人の後ろで嫌がらせのような攻撃をするのが、彼女の役目だった。
「ぎいいいいぃやぁぁぁぁぁああ!」
怪人の悲鳴を聞きながら、ペーパーホワイトは明らかに過剰な量の紙吹雪を散らし続けていた。
魔力でコーティングされた紙吹雪が、怪人の身体を切り裂いていく。
それはおそらく、怪人に対する恐怖からきた行動である。怪人に極力近づかないような戦い方。威力が弱く効率の悪い攻撃を遠くから大量に打ち続ける。
『ちりつも』とはこのこと。一つ一つの威力はあまりにも儚い紙吹雪だが、数千にもなれば怪人の体をぐちゃぐちゃにすることだって容易である。
ペーパーホワイトの紙吹雪に切り刻まれ続けた怪人は、ぐちゃぐちゃの肉になって消滅した。
怪人が消滅を始めるまで、実に五分もの間、ペーパーホワイトは紙吹雪を散らし続けた。ペーパーホワイトの魔力は既にオーバーヒートしていた。
「はあ、はあ。」
冷や汗を垂らす。ペーパーホワイトは怪人が消滅していく様子を眺めながら額の汗をぬぐった。
その顔は極度の緊張と恐怖から解放された反動で、薄い笑みを浮かべていた。
いつの間にか虚空から出現したデビちゃんが,ペーパーホワイトの薄ら笑いを見てからかうように言った。
「卑怯な戦い方だな」
「……」
ペーパーホワイトは「別に卑怯でも構わないでしょう」と言いたくなったが、その言葉は喉の奥に仕舞い込んだ。
それは、シザースグレーの姿が頭に浮かんでしまったからである。
敵である怪人にも敬意を払い、正々堂々戦うシザースグレーの姿が。
ペーパーホワイトは俯き、自分の手のひらを見つめた。そして、声を震わせながら言った。
「認めたくはないですが、怖いのです。一人で戦うことが」
妙に素直になったペーパーホワイトを見て、デビちゃんは少し目を見開いた。
尻尾を忙しなく振りながら、デビちゃんは言った。
「シザースグレーはそれをやろうとしていたんだよ。この先一生な」
●
夢を見た。
夢の中で、私は普通の少女だった。魔法少女の戦いを傍から眺めて、憧れちゃったりなんかしている、ごく普通の少女。
「お母さん!」
私にお母さんはいないのだが,夢の中だからだろうか? 顔面を黒く乱雑に塗りつぶされたお母さんに、少女の私は話しかける。
「魔法少女ってかっこいいね!」
そう言うと、お母さんらしき人物は聞き覚えの全くない優しい声で言った。
「そうね。かわいくてかっこいいわね」
お母さんらしき人物の言葉に、私は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
まるでそのお母さんを本当のお母さんとでも思っているみたいに。
「うん!」
そこへ、これまた顔面を黒く乱雑に塗りつぶされたお父さんらしき人物が走ってくる。
「おーい。そんなとこにいたら危ないぞ! 魔法少女を見たいのはわかるが、戦いに巻き込まれでもしたら死んじゃうぞ!」
お父さんらしき人物の声に従って、お母さんらしき人物と私はその場を離れた。
お母さんらしき人物が私を抱き上げる。私はお母さんらしき人物に質問した。
「でもお母さん。どうして魔法少女はあんなに戦えるのかな。私は皆の為だからって、そんなに優しいことできないよ」
すると、お母さんらしき人物は答えた。
「魔法少女が、そういう生き物だからよ」
その言葉に私は首をひねる。
「え? どういうこと?」
「魔法少女は、戦うために生まれてきたの。皆を守るために生まれてきたの。魔法少女の存在価値はみんなのために戦い、皆のために尽くすことなの。それができない魔法少女はいらないのよ」
お母さんらしき人物の顔を見つめていた。黒く塗りつぶされていてわからないが、私には黒く塗りつぶされた奥で、お母さんらしき人物が微笑んでいるように見えた。
「お母さん、それってなんか……」
そう言うと、お母さんらしき人物が割り込んでいった。
「良かったわね。貴方は魔法少女じゃなくて」
そこで目が覚めた。
ぐっしょりと、服が汗で濡れている。
外では大雨が降っていて、雨粒が窓を叩く音がうるさかった。
普段は夢の記憶など全く残らないのだが、今日の夢は嫌というほどに鮮明に思い出せた。
「フフ。嫌な夢」
私はいつの間にか流れていた涙を拭きとる。
「私は……魔法少女だよ……」
●
ペーパーホワイトが怪人を倒した次の日。
屋上に登ってきたのはシザースグレーでもなく、ペーパーホワイトでもなく、ロックブラックだった。
ロックブラックは暗い表情のまま、屋上へ足を踏み入れた。デビちゃんは扉が開かれる音で目を覚まし、ふわふわとロックブラックに近づいた。
デビちゃんはペーパーホワイトに選択を迫ったあの日、ロックブラックの豪邸にも訪れ、あの選択を━━お願いをしていた。
シザースグレーを救ってくれ。と。
「卑怯だよ……」
ロックブラックはそう言って泣いた。
「すまん」
デビちゃんはそう言って,ロックブラックの豪邸を後にした。
「ロックブラック。ありがとな」
デビちゃんは屋上に登ってきたロックブラックにまず感謝を伝えた。ロックブラックはデビちゃんが素直に感謝することの珍しさに驚いて顔を上げる。
「ど、どうしたのデビちゃん。キャラ変したの?」
ロックブラックの驚いた顔を見て、デビちゃんはこれまた素直に笑った。
「確かに。お前らと出会ってから、俺のキャラはブレまくりだ」
そう言ってデビちゃんが笑うと、ロックブラックもつられて笑った。
「ところで、ペーパーホワイトは?」
ひとしきり笑ってからデビちゃんが尋ねると、ロックブラックは溜息をついた。
「……私も、怪人を一人で倒す経験をした方がいいって言って、来てくれなかった」
「それは……なかなかスパルタだな……じゃあ何だ? これからは交代しながらやって行くのか?」
「嫌だよそんなの。次からは引きずってでも連れてくるんだから」
それを聞いてデビちゃんは「それがいい」と笑った。
ロックブラックはデビちゃんが吐き出した武器を受け取る。ロックのブラックの武器は石である。それを自分の手に装着し、手と一体化させ殴りまくるのが彼女の戦闘スタイルである。
ロックブラックは石を手に装着した……のだが、なかなか変身をしない。それを見たデビちゃんはロックブラックにからかうような口調で話しかけた。
「お前、大丈夫かなぁ」
デビちゃんがそう呟くと、ロックブラックはデビちゃんをキッと睨む。
「は?」
デビちゃんはロックブラックを煽るように過剰な演技をしながら言った。
「いやな? 魔人にボコられた時、一番ぐちょぐちょに泣いてたのはお前だったなぁと思ってよ」
「は!? 私は泣いてないし!」
「……その嘘は無理あるだろ」
「泣いてないったら泣いてない!」
「あっそ」
ロックブラックはデビちゃんを無視するように「変身!」と叫んだ。すると、彼女の体はたちまち黒い天幕に包まれ、魔法少女へと変身した。
ロックブラックは拳を打ち鳴らし、デビちゃんを睨んで言った。
「デビちゃんは怪人を倒した後に殴る」
デビちゃんは安心したように微笑んだが、すぐに不吉な笑みへと表情を変えて言った。
「怪人と戦った後にそれだけの元気が残ってるといいな」
「私を誰だと思ってるのさ。魔法少女ロックブラックは、もう何にも負けないんだ」
そう言ったロックブラックだったが、デビちゃんには彼女の手が震えているのが分かっていた。
デビちゃんは彼女の頭を尻尾で叩き、そして言った。
「ハハ。やってみろ」
ロックブラックは屋上から飛び跳ね、屋根を伝って怪人の下まで走った。
住宅街のど真ん中で民間人に詰め寄っていたのは、大きな剣を持った鎧の怪人だった。
「ヨロヨロォー」
そんなことを言いながら、剣を片手に民間人の前で何かをしている。
「待て!」
その間に飛び降り、ロックブラックは名乗りを上げた。
「民間人に手出しはさせないぞ! ロックブラック参上!」
ブラックロックは名乗り上げるとともに、鎧怪人の腹に一撃をお見舞いした。
しかし、鎧怪人は少し後ずさるだけで、ロックブラックの攻撃によってダメージを受けた様子はなかった。
当然である。
怪人の身体は鎧であり、物理攻撃が簡単に効くような相手ではない。
ロックブラックはこの前のペーパーホワイトと同様に焦っていた。とにかく早く決着をつけてしまおうと雑な攻撃をしてしまった。怪人はロックブラックの攻撃にイラついたのか、力任せにその巨大な剣を振り下ろしてきた。
ロックブラックは追い詰められていた民間人を抱きかかえて、攻撃を回避し、飛び跳ねて距離を取った。
「あ、ありがとう……」
ロックブラックの腕の中で、大学生くらいのお姉さんがお礼を言う。
「どういたしまして」
ロックブラックはお姉さんに笑顔を見せた。その笑顔はお姉さんに恐怖を与えないための演技であり、虚勢である。
ロックブラックの心は恐怖で埋め尽くされていた。今にも泣きだしてしまいそうなほどに。
「ダメだダメだダメだ! 弱気になっちゃダメだ!」
ロックブラックは姿勢を整え、怪人の方を見る。怪人はコンクリートを粉砕した大剣を重そうに持ち上げて、ロックブラックを睨んだ。
しばしの沈黙が流れる。
ロックブラックは考えていた。どのようにすれば怪人にダメージが与えられるのかを。
(私は不器用だからペーパーホワイトのような繊細な魔法は使えない。できる魔法と言えば、せいぜい身体能力を強化するくらいだ)
しかし、相手の身体は鎧。身体能力を強化したところで、物理攻撃が聞くかどうか……
ロックブラックが考えているうちに、鎧怪人は行動を開始していた。そのごつい見た目に似合わない気の抜けた、しかし大きな雄たけびを上げながら、剣を振り下ろしてくる。
「ヨロォー!」
ロックブラックは背後に飛び跳ねることでその攻撃をかわしたが、鎧怪人が振り下ろした剣がコンクリートを破壊し、飛び散った石の礫がロックブラックを襲った。
「くっ!」
石の礫を腕で防ぎながら、考える。
いや、正確には……諦めた。
地面に着地したロックブラックは石と化している自分の拳を打ち合わせて叫んだ。
「どうせ私には、脳筋でぶん殴ることしかできないんだよ!!!」
石と化している拳から徐々に、腕、肩とどんどん石化が侵食していく。ロックブラックは苦悶の表情を浮かべている。
まだ、ロックブラックはこの必殺技を使いこなすことができていないのだ。
それはシザースグレーの『両断鋏』と同じように、自分の武器に魔力を流し込み一時的な進化を可能にする必殺技。
その名も──
「
ロックブラックの身体は、真っ黒な岩石と化していた。
鎧怪人がロックブラックに向け、大ぶりの横薙ぎを放つ。ロックブラックはその横薙ぎを腕を盾にして受け止めると、そのままスライドさせ鎧怪人の懐に入り込んだ。
そしてその勢いのまま、ロックブラックは怪人の腹を思いきりぶん殴った。
「ヨロッ!?」
すると、鎧怪人の鎧が凹んだ。
鎧怪人が焦ったような声をあげる。ロックブラックの心はいまだに恐怖でいっぱいだったが、その声を聞いて少し余裕が生まれた。
「そこか! お前の弱点はそこなのか!?」
ロックブラックが鎧怪人との距離を詰める。鎧怪人も負けじと大剣を振るうが、ロックブラックの体を砕くことはできなかった。
「ていうか、よく見ればそこにハートマークが書いてあるじゃんかよ!」
先程ロックブラックが凹ませたお腹。そこに、あからさまなハートマークが刻まれていた。
ロックブラックがハートマークを殴ったのはおそらく無意識だが、運良く無意識が功を奏した。
ロックブラックは鎧怪人の大剣を受け止めると、鎧の隙間に手を差し込んだ。
「ヨロッ!?」
ロックブラックは狂気に満ちた顔で叫ぶ。
「たぶん痛ぇぞ!」
そう叫ぶと,ロックブラックは全身に力を込めて、鎧怪人の鎧、すなわち皮をバキバキと剥がし取った。
鎧怪人にとっては、生きたまま皮を剥がれているかのような生き地獄である。悲痛な悲鳴をあげながら、後ずさった。
ロックブラックはその隙を見逃さなかった。後ずさり隙を見せた鎧怪人の体内に手を突っ込んだ。
そこには、ハートマークの拍動する内臓があった。
「わかりやすくて助かるよッ!」
ロックブラックは鎧怪人の体内に突っ込んだ手で、その内臓を掴み,ブチブチと無理矢理摘出した。
「ヨ……」
ハートマークの内臓を取られた鎧怪人は、大きな音を立てながら崩れ去った。
そこには、ただの鎧が転がっていた。
「はあ……はあ……」
ロックブラックの身体が真っ黒な岩石から、少女の柔肌へ戻っていく。そして彼女は力尽きたように地面に手をついて荒い呼吸をした。
それでも怪人が消滅しているかどうかの確認は怠らなかった。
ロックブラックは疲れによるぼやけが酷い目でしっかりと鎧怪人が消滅していくのを確認すると、その場に仰向けで寝転がった。
「よう。お疲れ」
怪人を見事退治してみせたロックブラックに、デビちゃんがスポーツドリンクを渡した。ロックブラックはスポーツドリンクを受け取りながら、デビちゃんに微笑んだ。
「怪人退治って……こんなに疲れるものだっけ?」
ロックブラックの言葉に、デビちゃんは意地汚く笑いながら返答する。
「へへ。それはお前が怖がってるからだよ」
「誰が、何を怖がってるって?」
ロックブラックはデビちゃんを睨んだ。
鋭い目線で睨まれたデビちゃんは、しかし高笑いをして言った。
「元気じゃねかよ。ロックブラック。よかったよかった」
ロックブラックは怪人との戦闘が始まる前のことを思い出していた。
「そういえば、デビちゃんのことを殴る約束があったんだよね」
「約束ではねえぞ」
ロックブラックはのろのろと立ち上がると、デビちゃんに向けてその黒岩の拳を振り下ろした。
「デビちゃんはいつもうるさい!」
しかし、疲れ切ったロックブラックの攻撃がデビちゃんに当たるはずもなく、デビちゃんはゆらりと回避しながら馬鹿にするように笑った。
「お前のためを思ってんだよ。もっと冷静になれってことだ。ハハハ」
「それは他の二人がやってくれるからいいもん。私の役目は相手に特攻して隙を作ることだもん」
ロックブラックはそれから、何度もデビちゃんに拳を振るったが、遂に彼女が力尽きて眠ってしまうまで、彼女の拳がデビちゃんに当たることはなかった。
●
「ふんふんふ~ん」
料理をする。
怪人の気配を感じて部屋から外に出ようとしたら、部屋のドアが開かなかった。鍵は開けているのに開かない。
そこには不思議な魔法がかけられているようだった。
おそらくデビちゃんの仕業だろうなと、私は考えた。
しかし、自分で言うのもなんだが,私は狂気的なまでに責任感を持った魔法少女である。
内心無理だと気づいていながらも、デビちゃんに張られた魔法を突破しようと何度も試みた。
しかし、変身をしていない私には到底無理なことだった。
そんな理由で部屋の中から出ることができない私には,料理くらいしかすることがなかった。
「仕方ないよ。だってデビちゃんに閉じ込められてるんだもん。私は出れないから仕方ないもん」
誰も聞いていない、自分しか聞いていない言い訳を呟きながら、てきぱきと要領よく料理をする。
生まれてこの方、自分の料理は自分で作ってきたのだから、これくらいは当然だ。
「……できた」
作っていたのは素朴なオムライス。
ふわふわの卵の毛布がチキンライスの上にかけられている。
自分で言うのもなんだが、どこぞの高級ホテルで出てくるような出来栄えだった。
そこへ、市販のケチャップをかけ──ようとしたのだが、ブッと汚い音を立てたきり、スーッと、空気しか出てこなくなった。
仕方ないので、蓋を閉め、ぶんぶんと振ってからもう一度試みてみた。
今度は最後の絞りカスを出すことができそうだ。
「なんて書こうかな……そうだ」
シザースグレーは歌いながら、オムライスの上にケチャップを走らせる。
「L・O・V・E……なんて……」
一人で小芝居をして、一人で笑っている。
「恋愛か……」
ケチャップをテーブルにおいて、スプーンを手に持ち、手を合わせる。小さく「いただきます」と呟いてから、Eの文字を削って口に運んだ。
うん。問題なくいつも通りに美味しい。
「私と同じくらいの年の、普通の女の子は、学校帰りに好きな男の子の話で盛り上がったりするんだろうなぁ」
普通の女の子。その言葉を口にするたび、少しだけ,少しだけ、自分の境遇を恨んでしまう。
どうして私は生まれたんだろう。どうして私が生まれたんだろう。
「私も普通の女の子がよかった……なんて」
そう呟いた時、シザースグレーの頭の中にとある考えが浮かぶ。
前にデビちゃんが言っていた。私達の前にも魔法少女がいて、その魔法少女以来、数百年の間、魔法少女は生まれなかったとか。
(それは、どうして?)
どうして数百年の間━━私達が生まれるまでの間━━魔法少女は生まれなかったのだろう。
どうして、数百年ぶりに私たちが生まれたのだろう。
シザースグレーの中に一つの仮説が生まれる。
「魔法少女としての務め、責任を果たすことができれば、この運命から解放される……?」
もしかして、私達の前の魔法少女が、魔法少女としての務めを果たしたから、この数百年の間、魔法少女が生まれなかったのではないか。
そう、例えば、敵の親玉を倒す……とか。
(もし……もし、それが正しいとして。もし、私がその務めを果たすことができたら……)
「私も、普通の女の子になれるのかも……」
シザースグレーは一人、小さな希望を抱いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます