第3話 折れる心

 目覚めたのは見知らぬ天井の下だった。意識が明瞭になってくると、耳元からすすり泣く声が二つ聞こえてきた。


「う」


 揺れる頭を押さえながら、ゆっくり体を起こすと、一足先に目を覚ましていたロックブラックが、私に抱き着いてきた。


「シザースグレー!」


 私はロックブラックの体重を支え切れず、せっかく体を起こしたのに、また病床に押し倒されてしまった。


「ちょ。ロックブラック……」


 抱き着いてきたロックブラックの背中を叩こうと、手を動かす。


「よかったぁ。よかったよぉ」


 ロックブラックは私の胸に顔を埋め、服に涙を染み込ませながら泣いていた。私は思わず、彼女の背中を叩くのをやめて、その小さな体を抱きしめた。


「このまま死んでしまうのかと思いました……」


 ペーパーホワイトが私の手を両手で強く握り、自分の額に押し当てていた。彼女は「うう」と声を漏らしながら、静かに泣いていた。


「二人こそ、死なないで良かった……」


 私がそう言うと、ロックブラックが私の胸に顔を埋めたまま「ごめんなさい。ごめんなさい」と呟き始めた。

 私はロックブラックの頭を優しく撫でた。


「どうして謝るの? 私は二人が生きててよかったって言ってるんだよ?」


 ロックブラックは「だって、だってぇ」とぐずりながら顔をあげる。


「私がシザースグレーを一人で戦わせたからぁ……」


 ロックブラックのぐちゃぐちゃになった泣き顔につられてしまったのか、静かに泣いていたペーパーホワイトまでが、私に抱き着いてきた。


「シザースグレーぇぇ……」

「ああ、ああ、ペーパーホワイトまで、もう、よしよし」


 そう言って、私は二人が泣き止むまで甘やかし続けた。


 ●


 そこは魔王城の会議室。そのアットホームな空間で、とある魔人が尋問を受けていた。

 ……とある魔人というかレインなんだけど。


「おいいいい。レインんんんん」


 そう言って詰め寄っているのは、炎の魔人、サンだった。

 サンはまるで、ドラマでよく見る取り調べのように、部屋を暗くして、レインを尋問してきた。


「お前ぇ、魔法少女と戦ったくせに生きたまま逃がしたそうじゃねえかよォ。どういうことなんだァ? アアん?」


 サンが、その暑苦しい顔をレインに近づける。サンは体温が異常に高いので、近くにいるだけでもうっとおしい。レインもうっとおしそうな顔をしている。無表情だけど。

 私はレインの奴がどう反応するか気になっていた。レインはいつも無表情だけれど、感情がないわけではなく、むしろユーモアのある奴だからだ。

 すると、レインは頭を抱えた。


「刑事さん、ごめんなさい。本当に、どうして自分があんな行動をとったのかわからないんです」


 ……ノリいいな。

 サンがレインの反応を受けて、ノリノリで机を強く叩く。

 バンッ! と大きな音が鳴った。近くで様子を観察していた私は、ちょっと驚いて「きゃ!」と声を漏らしてしまう。

 ちょっと恥ずかしかったが、サンは私の反応など気にせずに茶番を続けた。


「わからねえってことはねえだろォ? 自分の行動なんだからよォ……」


 そう言って、サンは一枚の書類を取り出す。炎でできた書類である。


「ええっとォ? なになに? 容疑者レインは魔法少女と戦い、魔法少女の意識を奪うことに成功したにもかかわらず、何故かとどめを刺さずに帰ってきた、と。……おいおい、なんだこの甘っちょろい行動はァ!」


 サンがもう一度机を叩く。

 大きな音が鳴り、私はまたも驚いた。さすがに我慢できなくなって口を挟む。


「ちょっと! 驚くから机叩くのやめてよ!」


 私が怒鳴ると、サンは「あ、ごめん」と言って、椅子に座った。

 サンとレインの茶番に区切りをつけてしまった。ちょっと申し訳なく思う。

 でも、私が真に気になっているのは、レインがどうして魔法少女にとどめを刺してこなかったのかということだ。

 レインは顔をあげた。そして「いやでも」と無表情で言った。


「実のところ、本当に分からない。なぜとどめを刺さずに帰ってきてしまったのか、本当に分からない」


 レインがそう言うと、サンは背もたれに寄りかかりながら、後頭部で手を組んだ。


「分からないってどういうことだよ。記憶がなくなったとかそういうことかァ?」


 レインは顎に手を当てる。


「違う。記憶はちゃんとある。俺は確かにとどめを刺そうとした。でも、あの時……」


 そう言って、レインは言い淀む。


「あの時……何だよ」


 サンが催促すると、レインはもう一度顔を伏せて言った。


「魔法少女を殺すなって、頭の中で誰かが囁いたんだ」

「……」


 サンも、私も、他の魔人たちも、レインの言葉に何も言わなかった。会議室に沈黙が流れ、バチバチという蛍光灯の点滅だけが聞こえていた。

 その沈黙を破ったのは、無邪気な雷の魔人、サンダーだった。


「それは、もしかして……洗脳?」


 サンダーは膝の上に『はじめての洗脳』という物騒なタイトルの本を乗せながら言った。


「洗脳だ。絶対にそうだ。洗脳スゲぇ!」


 そう言って興奮するサンダーのことを、風の魔人ウインドがニコニコ優しく笑いながら抱っこした。


「サンダーちゃん。私と一緒にスノウちゃんのとこ行ってアイス食べる?」


 ウインドの言葉に、サンダーは顔を輝かせる。文字通り、顔の上で雷光をパチパチと弾けさせた。


「食べる!」


 サンダーはそう言って、ウインドに抱っこされる。そしてそのまま、会議室を出て行った。

 ウインドは去り際に「あとでみんなの分も持ってくるね」と言って会議室のドアを閉めた。


「……洗脳はありえねェ」

 

 サンが呟く。


「今までの魔法少女の記録に、洗脳とか催眠の魔法を使ったという魔法少女は存在しねェ。魔法少女の性質ってのはそんなに変わるもんじゃねェんだ。今までの魔法少女にいなかった。ならばこれからも、そんな器用な魔法を使う魔法少女は現れねェはずだ」


 ぶつぶつと小さく呟くサンに対し、張り付けられた笑顔のクラウドが机に肘をついて言った。


「サンは意外にデータ主義だよねぇ。戦闘狂の癖に」

「俺は別に戦闘狂じゃねェ」

「ハハハ」


 クラウドはは率られた笑顔のまま笑う。


「まあ、それよりさ。データが絶対ってことはないんじゃないの? 今までのデータがそうでも、今回の魔法少女が例外って可能性もあるんじゃない?」


 クラウドの言葉にサンは強く反論した。


「例外なんてそんな簡単にあっていいものじゃねェだろ。前魔王様が残してきた何百もの魔法少女のデータに、洗脳を使う魔法少女は一人もいなかった。今回たまたま洗脳を使いますなんて、そんな都合の良いことはあってはならねェ」


 サンの反論に対し、クラウドは飄々と言った。


「でも、その魔法少女のデータって相当昔のものだよねぇ。昔に比べたら、人間は相当ズル賢く進化した。だから洗脳を使う魔法少女が現れても不思議じゃない。と、俺は思うけどなぁ」


 サンは黙ってレインを見た。


「お前はどう思うんだよ」


 レインは無表情で言った。


「……わからない」


 レインは無表情だったが、私には少し不安を抱えていそうに見えた。長年の付き合いでそういうのは分かるのだ。

 レインは、俯いた顔をあげて言った。


「もう一度行ってくる」


 そう言って、レインは立ち上がった。そして会議室から出て行こうとする。


「おい。どうするつもりだ」


 サンがレインを引き留めた。


「俺がもう一度、魔法少女と戦って確かめる。そうすれば全てがわかる」


 そう言って、レインは会議室を出て行った。

 残されたサンは少し不満げな顔をして、背もたれに寄りかかった。胸の炎は心なしか勢いがないように見えた。

 私は、何となく自分の意見を述べてみることにした。


「……洗脳。あり得ると思う」

「おうミスト、それはどうしてだ」

「……さっきクラウドが言っていたように、データを信用しすぎてはいけないというのも一つ。でも、私は違う可能性を思いついた」


 サンが私の意見に興味を持ち「どういうことだ?」と身を乗り出してくる。クラウドも興味ありげに耳を傾けていた。


「私が考えたのは、他の可能性。洗脳を使ったのが、魔法少女じゃないって可能性だよ」


 私は体を起こして言った。


「レインは魔法少女を気絶させた。皆添えを当然のように思っている三田だけど、それっておかしな話じゃない? だって、洗脳にかかっていたら魔法少女に攻撃することすらできなそうでしょ?」


 サンとクラウドはそろって「確かに」と言った。

 私は自分専用のロッキングチェアをゆっくり揺らしながら言った。


「だから、魔法少女は洗脳をかけていない。でも、レインが魔法少女を殺せなかったのもおかしい。ということは、第三者の可能性を考えた方が良いのかも? って、なんとなく思った……」


 サンは私の意見を聞いてもう一度背もたれに寄りかかる。


「洗脳にかけているのが、第三者だろうとお言うのは分かった。だが、洗脳が存在しているのかの判断に関わるような意見じゃねえな」


 あれ。もしかして私今、ズレたこと言った?

 ちょっと恥ずかしくなったので、私はロッキングチェアに寝転がり、身体を縮めて丸まった。


 ●


「デビちゃん。どうしよう」


 私は無事に病院を退院し、今は自室でデビちゃんに相談を持ち掛けていた。

 私がデビちゃんに相談しているのは、ロックブラックとペーパーホワイトの事だった。


「あの二人、たぶん……もう戦えないよ」


 シザースグレーが病院で二人の頭を撫でまわしているとき、彼女はロックブラックの小さな弱音を聞いてしまった。

「もう、やだよぉ。どうして私が戦わなくちゃいけないの?」という弱音である。

 それを聞いて、(確かになぁ)と思った。と、同時に、ロックブラックはもう、怪人に立ち向かうことができないだろうと感じた。


「ロックブラックはもう、怪人との戦いに──戦いの恐怖に、抗えないと思う。あの様子じゃあ、もう……。そしてそれは、ペーパーホワイトも同じ」


 ペーパーホワイトはシザースグレーの手を強く握りながら「いなくならないで……」と呟き続けていた。

 シザースグレーが彼女の手を強く握りながら、「ずっと一緒だよ」と声をかけても聞く耳を持たず、ただ「いなくならないで」と呟き続けていた。


「あの子は冷静で賢い子だけど、人一倍寂しがり屋だから、失うことが怖くて戦えないと思う」


 私は顔を伏せる。デビちゃんは私の言葉を聞きながら宙を漂っていた。


「ねえ。デビちゃん、どうすればいいかな……」


 デビちゃんは少しの沈黙の後、私に近づいて言った。


「お前は怖くないのか?」


 デビちゃんの言葉に、私は答えた。


「私だって怖い。怖いよ。ずっと前から──初めての時から、ずっとずっと変わらずに怖かったよ」


 私は膝の上に置いた拳を握り締める。握りしめた手の甲に、一粒の涙が零れた。


「でも、私が負けたら……魔法少女が負けたら、それは……」


 デビちゃんは言った。


「お前は本当にかわいそうな奴だよな」


 顔を上げて首を傾げる。


「……どういうこと?」


 デビちゃんは地面を蹴り、もう一度宙を漂いながら言った。


「どういうことも何も。お前の存在そのものが悲劇だって言ってんだよ」


 次の日。

 私はいつもの通り、学校で勉学に励んでいた。ロックブラックとペーパーホワイトの二人もしっかりと登校しているらしいが、会話はしていない。

 私達はどこにいてもテレパシーで繋がることができるが、どこか気まずい気持ちがあって誰もテレパシーをしなかった。

 窓の外を眺めていた。外のグラウンドではロックブラックのクラスが体育の授業をしていた。

 体操服姿で友人たちと話しているロックブラックの姿は魔法少女ではなく、ただの女子中学生だった。


(あの姿……あの女子中学生の姿が、私たちの本当の姿なはずなんだけどな……)

「……さん。シザースグレーさん!」

「あ、はい!」


 教師が私を呼んでいた。シザースグレーは慌てて前に向き直る。


「体育の授業に参加したいなら校庭に行ってもいいですよ?」

「ごめんなさい……」


 教師はふんと鼻を鳴らし、授業を再開した。私は連日叱られてしまったことに少し落ち込んだ。


「シザースグレーってば、また怒られてやんのぉ~」


 隣に座る友人が話しかけてきた。その友人は、私が学校で一番初めに仲良くなった友人だった。

 クラスの中でも一番仲が良く、怪人が現れない日はその友人と遊んだりしている。


「また怒られちゃった」

「へへ。先生に叱られてるところを見ると、シザースグレーもただの女子中学生って感じだねぇ」


 友人はそんなことを言った。

 『ただの女子中学生に見える』その言葉に少し嬉しくなった。


「私、女子中学生みたい?」


 その質問に友人は少し首を傾げたものの、すぐに満面の笑みを咲かせて「完全に女子中学生だよ!」と笑ってくれた。

 その笑顔を見てさらに嬉しくなった。友人と見つめ合いながら笑顔を浮かべた。


「あなたたちィ?」


 いつの間にか私と友人の会話が教室の注目を集めていた。。


「おしゃべりがしたいなら適切なお部屋がありますよ? 職員室というのですが」

「「ごめんなさい!」」


 ●


 その日の放課後。

 帰宅しようと荷物をまとめているときに、その気配は現れた。急いで階段を上り、屋上へ向かう。

 屋上のドアを開けると、そこには──誰もいなかった。

 私の教室は一階で、ロックブラックとペーパーホワイトの教室は三階である。

 本来ならば私が到着したときには、すでに二人が到着していないとおかしい。しかし二人の姿はなかった。

 ただその状況には別に驚かなかった。私は冷静にバッグのチャックを開いて、デビちゃんを引きずり出した。


「デビちゃん」


 バッグの中で眠っていたデビちゃんを叩き起こそうとする。しかし、今日はその必要がなかったみたいだ。この時間帯はいつも、ぐっすりと眠っているデビちゃんだが、今日はたまたま目覚めていたようで、ふわふわと宙に浮いた。

 デビちゃんは「うあー」と言いながら身体を猫のように伸ばし、寝ぼけ眼を擦りながら空中を漂った。

 そして、私を見ると、言った。


「二人は来てねぇみたいだな」


 眠そうなデビちゃんは、私しかいない屋上を見まわし、ロックブラックとペーパーホワイトの二人が来ていないことを確認した。

 そんなデビちゃんに、私は言った。


「デビちゃん。武器」


 デビちゃんに向けて、手を差し出した。


「武器って言ってもよぉ」


 そう言ってデビちゃんが武器を出し惜しんだ。ちょっとムカついたので、私は声を荒げた。


「武器!」


 声を荒げてしまってから後悔した。自分の喉から出たとは思えないような恐ろしい声だった。それに気づくと、自分がデビちゃんに対して理不尽な怒り方をしているのに気づいてしまった。

 デビちゃんは、私の迫力に負けたのか、眉間に皺を寄せながら、口をあんぐりと大きく開けて、ハサミを吐き出した。

 デビちゃんの口から出てきたハサミを引き抜く。そして、俯きながら小さく「変身」と呟いた。

 私のことを黒い天幕が覆う。数秒後、天幕を翻すようにして、魔法少女に変身した私が登場した。

 変身した私は、大きな深呼吸をした。

 その深呼吸は何というか、『決意』である。

 または『諦め』である。

 デビちゃんが、「あー」と言いながら、喉を摩る。武器を吐き出すときに喉を痛めてしまったのだろうか。


「なあ、ロックブラックとペーパーホワイトのことはいいのか?」


 私は、デビちゃんの質問に小さな声で答えた。


「いいよ。二人に無理はさせられないし」


 そう言った。そして、屋上からの夕焼けを眺める。風が髪を撫でた。


「それにさ。私思ったんだけど、二人はまだやり直せると思うんだ」

「?」


 私は、窓から見た体操服姿のロックブラックを見て思った。彼女の本当の姿は女子中学生なのだと。普通に授業を受け、普通に友達と話し、普通に楽しく暮らす。彼女は普通の少女なのだと。

 そしてそれは、ペーパーホワイトも同じである。

 赤い夕陽を見たまま、静かな声で言った。


「本当の姿が魔法少女なのは、私だけでいいよ」


 ハサミを片手で持ち、夕焼けをバックにしながら、振り返ってデビちゃんを見た。

 デビちゃんは、逆光を手で遮りながら、私の顔を見た。

 顔を見て、そしてニヤついた。


「悲劇だな。シザースグレー……お前かっこいいぜ」


 デビちゃんがそう言った。私はちょっと照れてしまって頭を掻く。そして、笑ってお礼を言った。


「えへへ。ありがと」


 デビちゃんが私に近づき、私のハサミに触れた。すると、ハサミにデビちゃんの魔力が流れ込んだ。


「俺の魔力を少し貸してやるよ。使いこなしてみな」


 デビちゃんの行動に驚いた。デビちゃんは基本ただ見ているだけで、手助けなんかしてくれたことがない。

 私はデビちゃんを撫でてみる。毛並みは綺麗に整えられていた。


「言っておくが、毛並みのケアは大変なんだぜ?」

「ふふ。そうなんだ」


 私は言った。


「ありがとね。デビちゃん」


 デビちゃんが恥ずかしそうに目線を逸らした。そして私の手を、尻尾でペチペチと叩いた。


「俺には感謝なんてする必要はねぇ。なにせ、これは契約だからな」


 デビちゃんの言葉に、私は「そうだったね」と微笑みながら答えた。


 ●


 私が怪人の気配を辿りながら、屋根から屋根へと跳ねていくと、遂に怪人を発見した。

 そこは、神社だった。

 そこにいた怪人は、鳥居を潜れないほどに巨大なカマキリだった。その身体についている二本の大鎌は、私の身長を遥かに凌駕しており、見るだけで震え上がるほどに酷く鋭利な形状をしていた。

 しかし、逃げるわけにはいかない。魔法少女の敗北は、すなわち、人類の敗北なのだ。

 どんなに恐ろしくとも。仲間がいなくとも。逃げてはいけない。


「出たな! 怪人カマカマ!」


 私はカマキリ怪人の前に降り立って、ポーズを取った。

 怪人の前に登場したら、まず最初にやることはルーティンである。私は、ロックブラックが名乗り上げるのを待った。


「……」


 そうだった。ロックブラックはいないんだった。

 仕方がないので、一人で前口上を叫ぼうかと思った。しかし、私にも一応羞恥心がある。


(待って。さすがに一人だと、あの前口上をする気にはならないかも……)


 私はサボった。恥ずかしかったから。


「シザースグレーだ!」


 そう叫んで、シザースグレーは考えた。

 魔法少女モノクロームとは、シザースグレーとロックブラック、ペーパーホワイトの三人のことである。

 ということは、シザースグレーしかいないこの状況では、魔法少女モノクロームと名乗ってはいけないのでは、と。


(よし。じゃあ、魔法少女モノクロームは休業。私はただのシザースグレーということで……)


 それは魔法少女モノクローム恒例の前口上を、サボってしまった言い訳だった。


 カマキリ怪人は、私の自己紹介を受けて、「カマカマ」と言った。

 もちろん、怪人の言葉なんて理解することはできない。それに私には余裕がない。怪人の言葉なんて、理解しようとすらしていなかった。

 一人で戦う恐怖に打ち勝つため、目を閉じ、深呼吸をする。

 大きく息を吸って、そして吐き出す。


「吸って……吐いて……よし」


 そう声に出して自分を落ち着かせると、私はハサミを構え、地面を蹴りながら叫んだ。


「覚悟しろ! 怪人カマカマ―!」


 ●


 カマキリ怪人は、突然走り出した私に驚き、狼狽えた。

 私はその隙を逃さない。

 カマキリ怪人の懐に入り込む。そして、大きなハサミでカマキリ怪人の胴体を両断しようと試みた。

 ハサミの両刃がカマキリ怪人の胴体に迫り、そして挟み込んだ。しかし、胴体を両断することは叶わなかった。前回倒したクワガタ怪人程ではないが、このカマキリ怪人も中々に硬い身体をしていたのだ。

 無邪気な子供の頃に触ったカマキリは、そこまで硬かった印象はないんだけど……。

 

(まあ、カマキリじゃなくて、カマキリ怪人だもんね)


 私はそう考えて、自分を納得させた。本心では、硬い身体なんて存在しなければいいのにと思っていた。


「カマカマ!」


 いきなり胴体を両断しようと飛び込んだ私に対し、カマキリ怪人は目尻を吊り上げながら叫び散らした。

 当然だ。私だって、いきなり胴体を両断されそうになったら怒る。

 カマキリ怪人は、二本の鋭い大鎌をジャリジャリとすり合わせた。おそらく、戦闘を開始する前のルーティンだろう。

 しかし、カマキリ怪人は、その大きな二つの鎌を身体に引き寄せ、上半身をゆらゆらと揺らしながら、私の様子を窺うだけだった。

 私はハサミを構え直した。


(こんなときにロックブラックがいてくれたら)

 

 ──と、無意識に考えてしまった。

 敵が様子を窺ってきているときは、防御力が高いロックブラックが飛び込むことで、攻撃の起点を作り出していた。

 しかし、彼女はいない。

 自分が情けないことを考えていると気づいて、気合を入れ直すために頬を叩いた。

 そしてもう一度決意を固めるために、声に出して叫んだ。


「もう、あの二人には戦わせない! 私が一人で戦うんだ!」


 そう叫んだ私は、身体をゆらゆらと揺らしながら待ち構えるカマキリ怪人に向かって、全速力で地面を蹴った。


「はあ!」


 カマキリ怪人に近づいていくほどに時間の進みが遅くなっていく気がする。緊張が高まる。

 おそらくカマキリ怪人は、私が間合いに入った瞬間に攻撃を繰り出してくるだろう。私は頭の中で、沢山のシミュレーションが行われる。

 どのような攻撃が来るだろうか。横薙ぎ? 兜割?

 考えながらも突き進む。

 カマキリ怪人の間合いに入るまで、残り0.5秒。0.4、0.3、0.2、0.1……

 ビュン! という風切り音が鳴り、カマキリ怪人の大鎌が私の身体を刈り取るべく襲いかかった。

 私は迫りくる大鎌をハサミで受け流した。金属と金属が擦り合わされる甲高い音と共に、ハサミと大鎌の間に大量の火花が散った。

 私は足を止めなかった。そして、走り続けたそのままの勢いでスライディングをし、カマキリ怪人の股下に入り込んだ。

 私はカマキリについて考えていた。カマキリは上半身はかっこいい。だけど、下半身のお腹はブヨブヨで、簡単に切り裂けそうだな、と。

 股下に入り込んだ私はハサミを開き、その片刃をカマキリ怪人のお腹に差し込んだ。

 予想通り、カマキリ怪人の腹部は本物のカマキリ同様、非常に柔らかかった。私はその柔らかい腹部を、ハサミの片刃で切り裂いたのだった。


「カマァァァ!」


 カマキリ怪人が、腹部を切り裂かれた絶望的な痛みに絶叫する。私は間髪入れずに、ハサミを腹部へ突き立てた。


「カ、カマ……」


 カマキリ怪人は、その痛みに耐えることができず、意識を手放して地面に倒れ伏した。

 カマキリ怪人の体から溢れ出た体液が、神社の境内に広がった。

 戦闘修了である。それは、一瞬の出来事だった。

 

「よし」


 小さく呟いた。

 私はカマキリ怪人の腹部を下から切り裂いたので、溢れ出た体液をもろに浴びてしまい、ぐちょぐちょになっていた。しかし、そんなことは気にならなかった。今はまだ、カマキリ怪人の生死を見極めることに集中していた。

 改めてカマキリ怪人を見る。ハサミでつついて、動かないことを確認した。

 私は顎に垂れる汗を拭った。そして、大きく深呼吸をした。


「……初めての一人戦闘は上手くいったね」


 カマキリ怪人を無事に退治できたことを確認すると、身体にどっと疲れが降りてきた。

 一人で命をやり取りをするのは初めての経験だったので、極度の緊張状態に陥っていたようだ。

 その緊張から解放されたことで、一気に疲れが降りてきたみたいだ。


「……さすがに、疲れた」


 思わず口から漏れた。しかし、私の仕事は終わっていない。魔法少女は怪人を倒すことが仕事だが、その後処理についても任せられている。


「神社の人に事情を説明して……体液を掃除して……」


 ノロノロと立ち上がる。その時、私は気づいた。カマキリ怪人の身体が、消滅を始めていなかったのだ。

 通常、怪人は絶命させると身体が消滅していく。ゆっくりと塵になって、どこかへ消えてしまうのだ。

 しかし、カマキリ怪人の身体は、消滅していく気配がなかった。

 ということは、まだ息があるということである。


(こんなに血をまき散らしているのに、まだ生きているなんて……)


 カマキリ怪人のしぶとさに、思わず感心した。しかし、それも束の間。

 私はハサミを構えた。カマキリ怪人が、立ち上がる前にとどめを刺さなければ。


「完全に、殺しきらないと……」


 そう言って、ハサミの先端を怪人カマキリ―に突き立てた──はずだった。私のハサミは、第三者によって止められていた。

 その瞬間。背筋が凍り、身体が硬直する。

 私のハサミを止めた第三者の気配を察知してしまったのだ。


(この気配は、あの人だ)


 目で見るまでもなかった。

 私は、つい昨日の出来事を思い出していた。

 それは、ロックブラックとペーパーホワイトの心を完全にへし折り、私一人にしたあの怪人のこと。

 その怪人は、昨日と同じ無表情のまま、私のハサミを掴んでいた。私がいくら力を込めても、ビクとも動かなかった。

 この怪人には、絶対に敵わない。そう思うと、身体の硬直がより酷くなって、ガクガクと震えだした。どうやって体を動かすのかよくわからなくなった。


 その怪人はカマキリ怪人に触れる。そして、魔力を流し込んだ。すると、カマキリ怪人の飛び散った体液や身体が、まるで逆再生でもしているかのように、カマキリ怪人の元へ集まっていった。

 私が切り裂いた傷口も修復され、カマキリ怪人は無傷の状態に回復してしまった。

 「カマ?」と言いながら、カマキリ怪人が目を覚ました。

 カマキリ怪人と目が合った。

 カマキリ怪人が私に気づき、「カマァ!」と叫んだ。

 死ぬ!

 それは無意識だった。身体が勝手に動いたとでも言えばいいのか、私の頭は完全にパニックを起こしていたのに、身体が勝手にその場から飛び跳ねた。

 すると案の定、私が立っていた場所に、カマキリ怪人の横薙ぎが放たれ、凄まじい風切り音を立てながら地面を抉った。


「カマカマァァァ!」


 怪人カマキリーは非常に怒っている様子だった。

 それはそうだろう。一度殺されかけたのだ。


 私はパニックを起こす脳内で、それでも今の状況を整理しようと試みた。そして、理解でき会ことは一つだった。


(あの男にすら絶対敵わないのに、カマキリ怪人の相手もしなくちゃいけないなんて)


 そんなこと出来るのか? いや、出来るわけないでしょ?

 私は思った。


(あ、私、ここで死ぬのか)


 妙に冷静だった。

 今日の夕飯を決める時みたいな感じで、なんとなく死を意識した。

 そして私は、全てを諦め──


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!」


 折れそうになった心を、絶叫することで無理矢理奮起させる。

 やけくそである。何が悪い。私は死にたくないんだよ!

 今の私には、この絶望的な状況に抗う術なんてない。でも死にたくない! 


 カマキリ怪人が私に向かって走ってくる。大きな巨体で俊敏に動き、大鎌を乱暴に振り回してきた。


「負けるもんかァァァァァ!」


 喉が張り裂けるほどに叫び、カマキリ怪人の大鎌をスレスレで回避した。そしてカマキリ怪人の頭上まで跳躍し、閉じたハサミを大きく振りかぶった。


「らあァァァァア!」


 雄たけびを上げ、ハサミを振り下ろす。

 鈍器と化したハサミが、カマキリ怪人の脳天を勝ち割って──


「え」


 しかし、そうはならなかった。

 その場にいたはずのカマキリ怪人が、一瞬にして消え去っていた。正確に言えば、地面に吸い込まれて行った。

 よく見ると、カマキリ怪人が立っていた地面に、大きな水たまりができていた。先程まで存在しなかった水溜まりを見て、私は頭を働かせる。

 そして考えだした答えは、やはりあの怪人だった。


 その怪人は、相変わらず無表情で、ただ、立っていた。

 私は地面に着地して、もう一度距離を取り直す。

 そして、その怪人と対面した。


「あなたは誰!」


 勢いに任せて考えなしに叫んだ。

 それを聞いてどうなるのかなんて、全く分かっていない。聞いてどうする気もない。

 とにかく必死だった。もしかすると、それは私なりの時間稼ぎだったのかもしれない。いくら時間を稼いだとて、助けは来ないんだけど。

 私の問いかけに、怪人は意外にも素直に返答した。


「俺はレイン。魔人レインだ」

「魔人……?」


 魔人。そんな言葉は知らない。怪人なら嫌というほど知っているが、魔人については聞いたことすらなかった。

 

「魔人って何!?」


 私はまた、考えなしに叫んだ。もしかしたら、命の危険を察知しすぎて、寿命をできる限り伸ばそうとしているのかもしれなかった。

 魔人レインは答えた。


「魔人とは、魔族の中でも知力が高く、言葉を話すことができ、なおかつ人型の者のことを言う」


 なんか優しい。と、思った。

 私は疑問を投げかけたくせに、解答を全く聞いていなかった。

 私の頭の中に、質問の答えを聞くキャパシティなんて存在しているはずもなかった。『どのようにこの状況を打破するか』という思考で、完全に埋め尽くされていた。


「今日はお前一人なのか?」


 魔人レインが微動だにせず、口だけを動かして言った。私は耳に入ってきたその質問に対し、無意識で反応した。


「そうです。あなたが二人の心を折ったから!」


 その言葉を聞いて、やはり魔人レインは無表情のまま続けた。


「……そうか。ではなぜ、お前はここにいる」


 自分がなんて言ったのかを覚えていないし、次の質問になんて答えればいいのか全く分からない。

 しかし、とにかく何かを答えないといけない。私は頭に浮かんだ言葉をそのまま飛ばした。


「私は魔法少女としてみんなを守らないといけない!」


 魔人レインはその言葉を聞いて、なおも無表情のまま続けた。


「そうか。なら、お前の心も折るとしよう」

「!?!?!?!?」


 どうしてそうなったの!? コミュニケーションが上手に取れなかった結果なの!?

 私の身体が大きくビクリと震える。それは魔人レインの強大な魔力を感じ取ったからだった。

 魔人レインの周りに水の球体が浮遊する。すると、周りの空気がレインの魔力によって振動し始めた。

 魔力だけで空気が振動するって、どういうことなんだ!?

 それは私と魔人レインの、魔力量の差を実感させる絶望そのものだった。


(……こんな大量の魔力を持つ人に敵うわけない! ロックブラックとペーパーホワイトの二人がいたとしても、絶対に、万が一にも敵うわけがない!)


 私の身体が、周りの空気と同様に震え始めた。

 身体は恐怖から与えられる過剰なストレスに耐えられなそうだった。そこに極度の緊張と、その緊張からくる疲労が積み重なり、精神の限界を自覚した。


「やだァ!」


 そう叫んだ。しかし、私の身体は意思に反して、後ずさっていなかった。

 精神はすでに負けを認めて逃げ出したい気持ちに溢れている。今すぐにでも逃げ出したい。一人で頑張ろうとせず、あの二人のように魔法少女なんかやめて、普通の少女に戻ってしまえばよかったと本気で後悔している。

 それでも、私の中の『シザースグレー』は、ハサミを構え、魔人レインに向けて、大きな一歩を踏み出した。


「ううううううううああああああああ!!!!!」


 シザースグレーはハサミをジャキジャキと鳴らした。するとハサミが禍々しく変貌し、その禍々しさはシザースグレーの身体までもを蝕んでいった。


「あああああああああああ!」


 もはや、技名を述べる冷静さすら失っていた。

 次の瞬間。シザースグレーの身体が、まるでブレるようにして掻き消える。シザースグレーは今までに出したことのない最高速で、魔人レインの背後に回り込んでいた。

 そして、その禍々しい両刃で魔人レインの胴体を両断しようとした。

 ジャキン! と音を鳴らしながら、シザースグレーハサミが閉じられた──しかし、魔人レインはいつもと同じように無表情で、ただ、立っていた。

 シザースグレーのハサミが胴体を貫通しているはずなのだが、そんなことは気にもせず、ただ、立っていた。

 胴体を両断したのに、魔人レインが微動だにしない。それを目の当たりにして、とぼけた表情をしているシザースグレーに、魔人レインは人差し指を近づけた。


 シザースグレーは思った。


(あれ? これ、前も見た気がする)


 魔人レインはシザースグレーのおでこを、優しくトンとつついた。その瞬間、シザースグレーの、否、私の意識が途切れた。

 私は暗転した視界の端に、レインの無表情を、しかしどこか憐れみに満ちた無表情を見た気がした。

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