『東南アジアのテント小屋』

朧塚

女三名で海外旅行へと行った。

 海外旅行に行って、私と親友二人はとても危険な目にあった。

 一緒に行った親友の一人である、サオリが被害に合い、彼女は海外から帰国出来たものの、今でも、その時のPTSDと戦っているらしい。ただ、帰国出来た友人とは、もう会ってはいないが……。


 本題となる話の前に、私と親友二人が出会った経緯を話したいと思う。


 私は大学受験のノイローゼで鬱を抱え、大学に入学した後も、在学中のアルバイトでのストレス。学校での人間関係などのストレスをいっぱいいっぱいに抱えて、大学に入学して、三年目くらいに休学する事になった。はじめは半年の休学の予定だったが、その当時、ひきこもり状態をこじらせていた為に外に出るのも辛くなり、結局、一年間は休学する事になった。


 親からは呆れられ、このまま社会に出て就職するのは困難だろうから、という事で、療養も兼ねて大学院に行くという話を進めていた。


 その年は、大学四年生で23歳になっていた。

 来年には大学院に進学しようと考えていた。


 そんな私は大学で浮いている存在であり、一歳年下であるヤコだけが私の大学内の友人だった。ヤコと知り合ったのは、復学した年の事だった。英語の授業で、少し変わった雰囲気の女の子を見つけた。真っ黒なワンピースに黒いバッグ。それから、髪の毛を金に近い茶髪に染めていて、大きなクマのバッグを持っていた。ああ、ゴスロリ・ファッションって奴か、と思いながら私は彼女を見ていた。人付き合いが苦手そうで、授業中も、他の人間にプリントを受け取るのも少し嫌そうな顔をしていた。


 なんとなく、私はヤコと仲良くなって、LINEの交換をした。

 ヤコは奇行が多かった。

 一度、彼女の住む家に遊びに行くと沢山の人形やヌイグルミばかりで、彼女はヌイグルミ相手に粥を与えて、ヌイグルミと話をしていた。それだけ見ると、ホラーな光景だったのだが、私は彼女と話が合った。ヤコは所謂、私と同じように“陰キャ”だし“メンヘラ女”だとか呼ばれるタイプの人間だった。SNSで互いに病みツイートしては、私達のSNSを見ている人間に煽られたりした。


 ヤコは霊が視えるとよく言った。

 だから、神社や寺。はてはビルや学校の裏門などで気分を悪くしていた。

 ヤコは普通の人間には“視えないもの”や“聞こえないもの”が視えて聞こえる病気の診断をされていた為に、それは病気の症状だろうと私は考えていたが、ヤコが嫌がっていた場所をネットなどで調べてみると、大抵、そこは自殺者が出ていたり、昔、悲惨な事故があったりした場所だった。


 そして、私とヤコはSNSを通して、サオリと知り合った。

 サオリは社会人で、私より二つも年上だった。

 好きな男性アイドルグループやアプリゲームの話で意気投合して、私とヤコはサオリとオフ会で会う事になった。私もヤコも互いに緊張していたが、すぐにサオリと打ち解けた。サオリも、いわゆる会社では“陽キャ”のフリをしているが、無理して明るく取り繕っているだけで、本当は彼氏もろくに出来ない根暗な人間だと私達に話してくれた。


「ねえ。一度、みんなで海外旅行に行ってみない?」

 サオリはそんな事を私とヤコに提案してくれた。


 大学生の持っているであろう貯金額も考えて、サオリは東南アジアへの旅行を提案してくれた。大体、ツアーによっては四泊五日くらいで五、六万円の格安のものを探せると言ってくれた。私もヤコもアルバイトで貯めた貯金は十万程度はあったので、せっかくだからという事で、私の大学四年の夏休みに東南アジアのある国に、旅行に行く事になった。


 三人で格安チケットを購入した。


「ヤコちゃん。暑い中、その真っ黒な格好で行くの?」

 サオリはヤコに軽口を叩く。

「別にいいじゃん。私の勝手だし」

「ヌイグルミも持っていく?」

「煩いな。じゃあ、サオリはサオリで、リア充アピールする為にインスタ映えさせる為に写真撮りたいだけでしょ? 今時、インスタなんて廃れてるって」

「うん。バレたか」

 サオリもヤコも互いに軽口を言い合う仲なので、私は見ていて微笑ましかった。

 そして、旅行の前日まで私達は色々とその国の観光スポットなどの情報を調べていた。


 八月の上旬に私達三名は成田空港から共に日本を旅立った。

 飛行機に乗って旅行した事は、高校の国内の修学旅行以来だった。

 やがて、六時間くらい経過して現地に着いた。

 昼前に出発したが、すっかり外は暗くなっていた。


「これからバスでホテルに向かうんだっけ」

 私は訊ねる。


「うん。かなり外装が綺麗なホテルだったよ」


 一時間程経過して、ホテルに着いた。

 辺りはすっかり真っ暗で、ホテルのフロントマンは親切だった。チップを上げるのがマナーだと聞かされていたので、フロントマンにチップを渡したりした。


 部屋の中に荷物を置いた後、私達三人は、夜の街に出かけた。

 女だけだと不安だったが、繁華街や歓楽街へと向かう事にした。

 屋台でご飯を食べたり、BARに入って飲んだりした。

 屋台にカエルの脚が焼いて売られていたので食べてみたり、BARで白人男性に軽くナンパされたりしたのが新鮮な体験だった。


 明日は三人で観光スポットに行こうという話になった。

 その日も、次の日も、私達は大きなトラブルも無く楽しく過ごした。夜景を見たり、店に寄ったりして、見るものすべてがカルチャー・ショックの連続だった。


 二日目の夜だったか。

 ヤコが家から持ってきた大きなクマのヌイグルミに話し掛けていた。


「うん。そうなんだ。それはまずいね…………」


 ヤコはベッドの上で薄着でヌイグルミに話し掛けていた。

 私もサオリもヤコのそういう様子は、何度も目にしているので特に気にならなかったが、ヤコの顔は真剣だった。


「何か変な事を言っている?」

 私はヤコに訊ねる。


「ああ。うん。このホテルの上の階にいる人がね。B地区の路地の裏には近付くなって言っている」


 ヤコは霊感があり、ヌイグルミを通して霊的なものと話が出来た。

 私は幾度となく、ヤコの奇妙な話を聞いており、ぞくりとしたが、サオリは信じていないみたいだった。そもそも、ヤコは病院で“聞こえない声が聞こえる”だの“視えないものが視える”だの、そういった病気の診断が下されていた。私は基本的にはヤコの言っている事は疑っている。旅行に行く時だって、病気の薬を手放せなかった。


 だから、深夜まで彼女がホテル内にいるらしい、最上階から飛び降りた現地民の女の人の話をしていても、いつもの病気だろうと私もサオリも判断していた。


 翌日。私達は観光地となっている場所を一通り巡った。

 お寺が多かったと思う。

 昨日、元気が無かったヤコもお寺を見ては喜んでいた。

 三日目の夜は、早めにホテルに帰って私とサオリは泥のように眠った。

 ヤコだけが夜中まで起きて、誰かと会話していたのを覚えている。


 四日目の昼頃だった。

 私達は、羽目を外して、私達は観光スポットから外れた場所に向かっていた。そこは少しスラム街になっており、観光客はまずいかないような場所だった。なんとなく、治安の悪さを感じていたが、私とサオリは気にしなかった。ただ、ヤコだけはかなり不安そうな顔をしていた。


「最近は海外旅行の際も、かなり安全だって言われているから大丈夫だって」

 サオリはそんな事を言う。

 旅行、四日目ともなれば、気も大きくなる。カルチャー・ショックにも慣れてきてしまい、どんどん刺激を求め始める。だから三日目の夕方頃になると、どんな危険も冒険のように思えてきた。日本語を話せる現地住民もいて、日本人の旅行客や白人の旅行客も多い。現地の言葉をよく分からなくても、最悪、いい加減な英語でも言葉は通じる。私はひきこもり気質が強い為に、真逆のバックパッカーなどに強い憧れがあった。きっと、サオリもそんな冒険がしたかったのだろう。


 私達三名は、所謂、スラムに近い場所へと向かっていた。

 日本だと、人気の無い路地などは、通り魔や暴漢などを警戒していたが、海外と言う事もあり、せいぜい財布を盗まれるくらいだろうと軽い気持ちだった。財布は二つに分けて、免許証などが入ったものはホテルの金庫の中に入れている為に、盗まれても平気な金額しか持ち歩いていなかった。


 スラム付近で、ある奇妙なものを見つけた。

 この国の民族衣装を着て、サーカスみたいな事をやっている人達がいた。

 何やら玉乗りをしたり、ダンスを踊ったりして、曲芸のようなものをやっていた。

 私達は興味深く、彼らに近付いた。

 辺りにはストリート・チルドレンらしき子供達がいて、私達を好奇の目で見ていた。マンゴーの切れ端や焼いたバナナを素手で食べていた。

 ドラム缶で何かを焼いていた。

 ゴミを焼いているみたいだった。


 英会話が出来て、この国の言葉を幾つか話せるサオリが彼らと会話をしていた。


「なんか。もっと、面白い場所に連れていってやるから、観光にどうかだってさ」

 サオリは曲芸師達に言われるままに、スラムの奥へと向かっていった。

 改装した廃バスの中で、洋服やアクセサリーを売っている人達を見かけた。屋台があり、街では見かけないお菓子なども売っていた。

 何やら、テント小屋の中にサオリは入ろうとしていた。


「占いもしてくれるって。さっき、人相も軽く見て貰ったんだけど。私の顔、かなりホクロの位置や鼻の形が良いんだって。だから、良い家庭を作れて、良い母親になれるんだってさ」

 そうサオリはまるで有頂天になったような顔をしていた。


 テント小屋の中を私とヤコは覗き見る。

 何故か、機械音がして、医療器具の点滴やベッドなどが見えた。

 ヤコはテント小屋の前でうずくまり、可愛らしいカラフルの馬のバッグを強く握り締めていた。


「ここから入れない。…………、入れないよ…………」

 また、ヤコの“霊感”かあと、私は少し呆れた。

 確かにヤコが気分が悪くなる場所は、昔、自殺者が出たビルだったり首吊りがあったパチンコ店などがあって、ヤコは知らずに私に見えないものを視えいた。でも、海外旅行に来てまで変なものを視るのはどうだろう。昨日は現地のお寺などを巡って、あそこには神様が見えるだとか、あの寺にあるあの建物には不吉な鳥が飛んでいるだの言っていた。結局、ヤコは何かを視ているかもしれないが、それは私達には関係が無い。私は少し苛立った。


「ちょっと、置いてくよ。ほら、サオリはもうテントの奥へ入っていったし」

 私も履物を脱いで、テント小屋の中へと入ろうとする。

 中では無料で占いなどをしてくれるらしい。


「此処、沢山の子供が視える…………。子供だけじゃなくて、赤ちゃんも…………」

 ヤコは今にも泣きそうだった。

「何を言っているの」

「あと。多分、此処にいる子供達、変だよ。私達を値踏みしているよ…………」

「スラムの子達だから、恵んで欲しいんだよ。私は入るよ」


 ヤコは首を横に振って、ホテルに帰る、と言って彼女一人で帰ってしまった。

 私は唖然としながら、ヤコの後ろ姿を見ていた。

 この辺りにいる現地の住民達も、ヤコを一瞥すると興味無さそうにしていた。ただ、気のせいか、彼らはサオリを見てニヤニヤと笑っていたような気がした。

 私は履物を脱いで、テント小屋の中へと入る。


 小屋の中には、頭の中がぼうっとするくらい強い香りのお香が焚かれていた。


 肌がよく焼けた、四十代後半くらいの男性が私をある部屋に連れていってくれて、私の顔を眺めて、何やら紙に書いてくれた。彼は私の手相も見てくれた。現地の言葉が分からない私に対して、親切に、カタコトの日本語で、貴方は幸運だ。学問の際があって、財産に恵まれる。ただ、母親には向かないね、と喋っていた。


 なんとなく、結婚して子供を生むとかしたくないと考えていたので、私は母親に向かないね、と言われても特に気にしなかった。


 サオリは別の占い師と気が合ったのか、ずっと会話をかわしていた。

 こんな時、外国語に強い人間は良いなと私は思った。

 ヤコが心配だったので、私は先に帰る事にした。


 そういえば、話した占い師は気さくな人だったが、身体中の刺青が目立った。

よくよく見ると、この辺りの人達は身体に刺青が多いなと思った。スラムの子供達の身体にも刺青は入っていた。ネットで検索してみると、トライバル・タトゥーというタイプのデザインとよく似ていた。


「私はもうちょっといるね。他のものも見せて貰えるらしいから。奥に沢山、ドレスがあるから。メイクアップをしてくれる人が、私に似合う、ドレスを見繕ってくれるんだって。なんか、ラッキーだよ」

 サオリは本当に幸せそうな声をしていた。

 

 サオリに断って、私は先に帰る事にした。

 スラムの人達は私に笑顔を送ってくれた。

 そして、バスに乗って、私はホテルに戻った。

 時刻は夕方頃になっていた。

 ホテルで夕飯を済ませる。


 しばらくして、サオリからLINEにメッセージが入った。


<今夜はホテルには向かわない。私の事は心配しないで大丈夫。泊まらせてくれるみたい>


 それだけだった。

 私は詳細を聞こうと思って、LINEでメッセージを返したが、メッセージは返ってこなかった。私はしばらくホテル周辺の散歩した後、ホテルの部屋へと戻った。

 中ではヤコがベッドの中で眠っていた。


 六日目の昼頃に、ホテルをチェックアウトする予定だった。

 

 あの後。


<空港には戻れる。私は大人だから、心配しないで>

 と、サオリからメッセージが入っていた。

 

 私は一人でダンスショーやお土産売り場などへと向かった。

 ヤコはずっとホテルで毛布を被って寝ていた。

 私が声を掛けても、不機嫌さと、何かに対する怯えが入り混じった声をしていた。


 結局。

 六日目になっても、サオリはホテルに戻ってこなかった。

 彼女のインスタも、四日目の朝で更新が止まっていた。サオリは毎日、インスタに投稿をしないと済まないようなインスタ中毒だったのに。


 空港には、私とヤコだけで戻った。

 私はヤコの分もお土産を買って、彼女に渡した。

 ヤコはありがとうも、言わなかった。

 

 なんだか、私達三人の人間関係に亀裂が入った、と思った。

 行きは楽しかったけど、あのスラムにあったテント小屋以来、私達はかなり険悪になっていた。何故、そうなったのかは分からないが。


 そのまま飛行機の時間が来て、私とヤコだけで帰国する事になった。


 サオリからLINEでメッセージが入った。


<航空チケットは新しく買うから心配しないで。もうちょっとだけ、此処にいる>

 それだけの文章だった。


 日本に帰ってから、私とヤコはあまり口も聞かずに、それぞれの家に帰った。




 それから。

 何週間経っても、大学の夏休みが終わっても、サオリから連絡が取れなかった。

 あれから、ヤコとは少し関係性が悪くなったが、大学で顔を合わせると、すぐにサオリの話になった。ヤコもサオリと連絡が取れないらしい。


「やっぱり、沢山の赤ちゃんは警告していたんだよ。テント小屋の奥に行くなって」

 ヤコはそれだけ言った。

 私は彼女を引っ叩いてやりたくなったが、抑えた。


 更に数か月後。

 十二月を過ぎた頃だった。


 サオリの両親から、私のスマホに電話が掛かってきた。

 サオリをようやく、帰国させる事が出来た。出来れば、娘に会いに行ってやって欲しい。そういう内容だった。サオリの両親は涙声だった。


 そして週末の土曜日に、私とヤコは電車で、サオリの実家へと向かった。

 

 彼女の両親はやつれた顔をしていた。

 サオリは、ベッドの上にいた。

 彼女は空ろな眼をしていて、何も無い空間を眺めていた。サオリの全身の所々に痣の痕があった。

 サオリの腹は膨らんでいた。

 なんでも、妊娠四か月目らしい。


 サオリは私達の顔を見ると、えへえへ、と笑いながら、涎を垂らした。

 そして、その後、急に何がおかしいのか狂ったように笑い続けていた。

 実際、サオリが狂っていた。

 彼女の顔の、頬や額には、星型の青色の刺青がびっしりと彫られていた。



「『保釈金』ってのに、三百万必要だったんだよ。それから、孕んだ子を産んで、渡すのが、サオリを返す条件だったんだ。だから、子供が生まれるのを待って、それを国内でしかるべき人物に渡すまで、サオリはまだ“彼らの所有物”らしいんだ。俺の娘では、無い、らしいんだ…………」

 サオリの父親がそう告げた。


 なんでも『赤ちゃんビジネス』なる者達から、日本の両親に連絡が入ったらしい。そして、動画データも見せられたとの事だった。サオリの両親は多くは語らなかったが、二人の話を聞く限り、動画内のサオリは綺麗な現地の服を着せられ、メイクもさせられて、沢山の男達に犯されていたらしい。動画は沢山、メールアドレスやLINEに添付されて送られてきた。何度も、サオリが道具を使って殴られている光景も目にしたのだと言う。


 そして、サオリの母親はサオリに近付くと、彼女の太腿の辺りを見せた。

 トライバル・タトゥーが太腿にはびっしりと彫られていて、タトゥーの中央には、五桁の番号が彫られていた。


「これ、消せるのかねぇ。それから、サオリ。なんか、変な薬、沢山、吸わされたらしいの。注射器の痕もあるし。母体に影響のないものを使ったから、とか意味不明な事も言われるし……。背中に、大きな刺青が彫られているんだ。色彩豊かで、骸骨とか昆虫とかびっしり彫られている。胸やお腹にも、ぐちゃぐちゃの変な絵が描かれてるの……。以前の会社は解雇されたから、再就職どうするんだろうね……。それより、この子、元に戻るのかねえ…………」

 サオリの母親は、ブツブツと言っていた。

 サオリの母親の後頭部は白髪でいっぱいになっていた。


 私とヤコは変わり果てたサオリを眼にした後、彼女の実家を後にした。


 刺青を消すのには法外な金額が掛かり、更に消した痕も大きな赤いアザが残り、墨が皮膚の奥深くまで入っていた場合、最悪、消せないと、私は何かの本で読んだ事がある。ネットで知った知識だったかもしれない。


 ヤコがぽつり、と。


「二人共、私達を相当、恨んでいるね。娘がああなった事の責任の半分は、私とシズク。お前らにもある、って顔をしていたよ」


 ………………。

 言われなくても分かっていた。

 何しろ、実の娘を、他国の闇の組織の道具にされて、一緒に旅行にいった友人達は、平気な顔でサオリを見捨てるような形で帰国したのだから。


「サオリのお腹の子。どうなるのかなあ」

 私はぽつりとヤコに訊ねた。


「あのスラムにいた“透明な子供達”から聞かされたんだけど。麻酔も無しで生きながら解剖されたり、漢方薬や食材の為に肉の玉にされたり、まあ、使われ方は臓器移植の道具とか。運が良ければお金持ちの奴隷なんだってさ。生かされる場合でも、男の子なら過労死させられるまで働かされ、女の子なら死ぬまで性的に奉仕させられる。死んだら、骨とかいらないから、ドラム缶で六歳から十歳くらいまでの子供に焼かせていたみたい」

 ヤコは淡々と返した。


「日本人は高く売れる、高く売れる、って、テント小屋の人達がとても喜んでいたって、“透明な胎児”が教えてくれたよ。良かったね、シズク。あんたは占いの際に、商品としての価値が無いって判断されて帰されたんだよ」

 ヤコは底冷えするような声で私に、彼女が視える世界の人達から知らされた情報を私に教えるのだった。


 私はヤコの“霊感”を疑い続けた事を、心の底から後悔した。


 あれから、一年が経過するが、サオリと、彼女の両親とは連絡を取っていない。

 私は院生になり、ヤコは四年生になった。彼女も院生になって学問に没頭したいらしい。私とヤコは親友だった。


 ただ。

 サオリの事を話題にする事は、二人の間でタブーになった。


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『東南アジアのテント小屋』 朧塚 @oboroduka

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