『剣能』で世界の不条理を無くすことはできますか?

緋翠

第1章 シナノ大厄災

第1話 嵐の前の静けさ

アングレカム聖王国


大陸内でも広大な面積を占める聖王国の端に位置する、雪の都市シナノ


これは都市の外れにある修道院で育った子供たちの成長を追う物語


幼馴染の中で唯一剣能が開花しない少年はこの日、生涯忘れられない絶望をその目に刻む


————————————————————


「——リ! ユリ!」

少年はふと我にかえり、辺りを見渡す。

なんだ、何か考えていたような...

首を傾げている少年に、不思議そうに見慣れた顔が覗き込む。


「ユリ? 具合でも悪いの?」


「なんでもないよフリージア。まだ寝ぼけてるのかも」

ふふっと笑ったフリージアは、馬鹿にするように僕を見る。


「まーた昨日も特訓してたんでしょう?ダメだよ、稽古の後はちゃんと寝ないと」


「フリージアは最近母さんと同じことを言うよな......」


「え、メリアさんと? え、えへへ」

皮肉を込めて言ったつもりの僕は顔をしかめる。


「なんで嬉しそうなんだ??」


「当たり前でしょう! メリアさんは私達の憧れなんだから!」


僕の母さんは都市外れの修道院で働いており、身寄りのない子供たちの母親代わりとなっている。


確かに尊敬されている人だが、10代の女の子が30代の女性と比べられて喜ぶとは......女心は分からないなあ。


「もうそろそろ買い出しして帰ろう?」


僕はしぶしぶ起き上がると、フリージアと露店街に向かった。


そそくさと露店で野菜を買い、どっちが荷物を持つか決める。正々堂々と勝ち取ったじゃんけん(フリージアは9割の確率で最初にパーを出す)の勝利に酔いしれながら、


「むぅ、また負けたぁ」

悔しそうに自分の手のひらを見つめつているフリージアに荷物をもたせる。

そろそろ帰ろうとした瞬間、背後から聞き慣れた怒鳴り声が聞こえてくる。


「ユゥゥゥリィィィィ!」


ヴッ、この声は......


ドン! 

と後ろからどつかれる。


「う゛....ツバキ、スイセン、2人も来てたのか」


「『来てたのか』じゃないです! なんでユリが手ぶらでフリージアが荷物持ってるんですか!」

ツバキの強烈な一撃が再び僕を襲う。


「ユリ......さすがにそろそろ気付いたらどうだ。僕らの周囲はともかく、一般的には女子のほうが力が弱いらしい」


メガネ姿で毒を吐くこの少年はスイセン。真面目な見た目でありながら一際強いツバキと一緒に5年前に修道院に預けられた。


「ちょっとスイセン? 目の前に非力な女の子が二人もいるんですよ?それは伊達メガネなのかしら?」


「自慢じゃないが、僕はメガネを取るとツバキとゴリラの区別ができなくなるよ」


「スイセン......僕はメガネなんてかけていないのにツバキが怪物に見える時が......」

言い終わらないうちに、僕達は綺麗な一撃を御見舞される。


グハッ


「もう!フリージア!帰りますよ!」


「は〜い。2人とも〜、後でちゃんと謝るんだよ!」

フリージアの声が遠ざかっていく。

遠巻きにツバキがフリージアの荷物を持つ様子が見てとれた。結局あの2人の方が力仕事はできそうなんだけどなぁ。とてもじゃないが口に出せない率直な感想を抱いていると、スイセンと目が合う。


全く、母さんに稽古をつけてもらっているのに、未だにツバキにはやられてばっかだ。


「我が家の家訓、『男は女を殴らない』って不憫だよなぁ。あれさえ無ければツバキにも勝てるのに」

仰向けになったスイセンが呟く。


「....いや、我が家もなにも、修道院にそんな家訓ないわ。むしろ毎日喧嘩してるだろ」


「馬鹿っ! 喧嘩じゃなくて稽古だろ! メリアさんに聞かれたらどうするつもりだ!」

スイセンは小声で怒鳴ると、慎重に辺りを見回す。人がいないことを確認すると、ほっとしたような顔付きをする。


「ユリはその馬鹿正直な所治さないと......だからいつも僕まで痛い目にあうんだよ」

呆れた顔をするスイセンに、僕は思わず笑みが溢れる。


「でも、メリアさんのせいで修道院なのに剣術道場並みの稽古してるもんなぁ」


「ばか、母さんの『おかげ』だろ。この修道院はいずれこの大陸全土を支配するんだからさ」


「なんだその野望。メリアさんもユリもほんとに企んでそうだから怖いんだよ」

冗談めいた僕をよそに、少し曇りゆく空を眺めながら、つまらない雑談をする。


「ん?雲行きが怪しくなってきたな」


「そろそろ帰ろうか。アセビさんに怒られちまう」


アセビさんは修道女で、孤児達のお世話をしてくれている。5年前にスイセンとツバキがこちらに移動してくる少し前から修道院でお世話してくれている。


僕には母さんがいるが、実の母のようにみんなが接しているのがアセビさんだ。

整った顔に似合わず、パワフルなシスターなのである。


「雨の中帰るとすっげえ心配されるもんな」


「風邪ひくから厚着にされるし」


「この前のスイセン、布団でぐるぐる巻きになってたじゃんか。どうだったよアセビさんに巻かれる気持ちは」


「変な言い方すんなっ! 結局ユリだってされてただろ?」

ケラケラと笑うスイセンと修道院まで歩く。

僕と母さんだけが親子関係の修道院だが、他の子達も僕にとっては家族のようなものである。


「おかえり、ユリ、スイセン」


「ただいま母さん」

「ただいまー。アセビさんは?」


「アセビちゃん? さっきは庭にいたわよ。人手が必要かもしれないから後で手伝いに行ってあげなさい。それとユリ」


「ん?」


「少し大事な話があるの。今日の稽古のあと、自分で特訓するなら少し残りなさい」


「? 分かった」

珍しいな、話なんて。

修道院で生活する母さんは、他の子供達のことを考えて、僕を特別扱いすることは一切ない。寂しいと思ったことがないというと嘘に聞こえるかもしれないが、孤児院はみんな家族のようなものだ。いつしか寂しさは紛れていた。


僕はスイセンと修道院に上がり込み、先に着いていたフリージア、ツバキを見つける。

周りには子供たちが群がっている。

本格的な冬を前に、みんな普段よりお腹を空かせているようだ。

しばらく騒がしくなりそうだったので、スイセンと庭に出る。


庭先には、重そうな木箱を手に取るアセビさんがいた。


「アセビさん! 重いもの持つ時は僕を呼んでって言ったでしょ!」

慌ててスイセンがアセビさんに駆け寄る。相変わらずスイセンのアピールは露骨だ....


「あら?スイセンとユリ? ということはもう買い出しから戻ったの?」


「ツバキとフリージアが先に帰っちゃってね。僕はツバキにボコられたユリを励ましてたんだよ」


......いやスイセン。君もだろう? そう言いたい気持ちをぐっとこらえ、男の意地とやらに付き合うことにする。


「いやはやツバキ様には敵わないようで」


「ダメよ、ユリ。ツバキも立派な女の子なんだから。どうせ失礼なこと言ったんでしょう?」

ず、図星だ


「か お に で て る わ よ」


「あ、アハハ」

乾いた笑いを浮かべながら、話をそらす。


「ところでその大量の箱は何? 昨日は無かったよね。大量に積んであるようだけど」


「ふっふっふ、秘密よ。ま、私が用意したみんなを守る秘密兵器とだけ言っておくわ」

いたずらな笑顔を浮かべるアセビさんに見惚れながら、スイセンと顔を見合わせる。

その笑顔に隠された真意にも気づけないまま。


やはり秘密と言われれば僕らの年代は気になるもので。

合図を出して二人で同時に走り出し、箱の中身をどちらかが無理やりこじ開けるという即席の計画を実行......するはずだった。


突然視界を大きな手が塞ぎ、ガシッと顔を掴まれた


「......えっ?」


何も見えなかった。わずかな隙間から横を見るとスイセンも同じように顔を掴まれているようだ。


「やめとけ坊主たち」


「ぬぉもごむぐぉ」

何も言えない。当然だ。ゴツゴツした手で顔を覆われているのだから。


「ちょっと! 私の子供たちに何するのよ! 手を離してあげて」


アセビさんの声が聞こえる。

しかし声色から伺うに、どうやら怒っている訳ではないらしい。


「....分かった。坊主達もいたずらは程々にしておけ」


手が離れて初めて彼らを目にする。


黒いローブに見を包む男女2人組のようだ。

男は手を震わせ、女の方は...泣いている?

フードで顔はわからないが、時折雫が滴り落ちているのが伺える。


「ごめんねぇ。やんちゃな子達で。まあ私が育てたから仕方ないんだけど」


アセビさん...その年でテヘペロって顔しても通じないでしょと思ったが、スイセンには思いの外効いたらしい。少し頬を赤らめているのが伝わってくる。


いや...通用するらしい。


「では、約束のものは確かに。」


「うん。わざわざ遠いところからありがとうね」


どうやらこの2人がこの大量の箱を待ってきていたらしい。 関係を推測するに、まるで旧知の仲のような話っぷりだった。


「アセビさんの知り合いなの?」


「えぇ。ずっと昔からよくしてもらってる、とても大切な人達よ。」


ん? その少しとろけた目はなんだろう...


「あの人たち、前にも来たことあるっけ?」


「いいえ。今日この箱を届けに来てくれただけよ。皆は初めて会うかもね」


会うも何も、いきなり顔を鷲掴みにされた上、フードとローブで何も見えないんだが。

そしてアセビさん。懐かしむあまり顔が緩んでますけど。うーん、少し鎌をかけてみるか。


「ふーん......もしかしてアセビさんの好きな人?」

僕はスイセンに聞こえるようにアセビさんの耳元で囁く。


「そうよ! .....って違うからね!全く何を言い出すのかしらこの子はぁぁぁ」

どうやら図星だったようだ。僕はアセビさんに頭をグリグリされつつ、横で呆然としているスイセンを見て思わず笑ってしまった。


「アセビ!」

ローブの男が僕らを見て笑いながら声をかける。


「ん?どうしたの?」

アセビはローブの2人組に笑いかける。


「ありがとう。会おう」

二人は口を揃えてそう言った。


「何よ改まって。大丈夫よ。あなた達こそ。元気でね」

アセビさんは少し名残惜しそうに呟く。


そして消えるか消えないかの声で、いやもうほとんど誰にも聞こえない声で言った。


今でも空耳かと思うほどか弱く、らしくない声で彼女は言ったのだ。


「あいしてるわ」


体験したことのない衝撃が脳をかけめぐる。混乱しつつも、とっさに聞こえなかったふりをする


「アセビさん? なんか言った?」


「いいえ。なんでも。さーて、今日はお勉強した後に稽古よ! 今日の夕御飯は期待していいからね!」

修道院にそそくさと入っていくアセビさんは、僕らの知っている後ろ姿だった。


「だってよスイセン。ほら行くぞ」


「う、うん...」

ようやく正気を取り戻したスイセンを連れていく。


どうやら先程のアセビさんの独り言は僕にしか聞こえていないようだ。

いや、なんなら空耳だったのかもな。


僕は振り始めた雪を見上げながらアセビさんの後を追う。


「おいそこの坊主」

後ろから呼び止められる。


「僕? 何か用ですか?」

僕はローブの男に問いかける。

スイセンは不貞腐れたまま修道院に入っていってしまった。


「お前の刀は護るためのものだ。護るために戦え。君の意思に剣は応える」

男はそういうと優しく微笑んだ。


???

その言葉を理解しようと僕の脳は奮戦したものの、処理が追い付かない。

母さんからの贈り物である、腰に携えた愛刀に手を添えた瞬間。


ふいに風が吹き、ローブの下があらわになる。



「え....」



文字通り、言葉を失う。


そのローブの下には、アングレカムの紋章が刻まれていた。

僕が見間違うはずがない。

この修道院で、いやきっと同年代の子供たちの中で一番この紋章が出てくる物語を読んだはずだ。

聖王国、いや現在大陸で最も名声高く、最強の名を欲しいがままにした騎士団。



『アングレカム聖騎士団....』



やっとのことで声を絞り出した僕に、男はニッと笑いかける。


「忘れるなよ。そんじゃ、

そう言い残すと、彼らは僕の言葉を待たずして消えていた。


憧れの存在に意図せず出会ってしまった。


しばらく余韻に浸った僕は、誰もいない静かな庭で、空に向かって呟く。


「聖騎士団...本当にいるんだ! いつか僕もあの制服を着れる日が来るのかな」

雪の降り出した空に思いを馳せつつ、僕は修道院に駆けていった。


彼の言葉を、深く考えないまま————





「行っちゃったわね」

ローブを纏った女が泣きながら呟く。


「そうだな......いい加減泣き止んだらどうだ


「だって......だってええええ」

彼女の涙は止まらない。

男は大きくため息をつくと、そそくさと歩き始める。


「もう決めたことだろ。あとは彼らに託すしかない」

男は女の手を取る。


「戻ろう、僕らのいるべき場所に」

滴る涙と共に、二人は光の粒となって消えていった

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