17.幸せな夢
「起きて、起きて下さい……ジローさん」
んむ、やめてくれ……今、丁度美少女にいじられたり、美少女に嫌われたりするような幸せな夢を見ていたんだ。
その後何か悪いことがあった気はするんだが……そんなのは知らない。少し位辛い現実を忘れさせてくれたっていいじゃないか……。
「ジローさん……もうすぐ見張りに赴かないと行けませんから、ほら」
ゆさゆさ……心地よく揺さぶるこの手は誰のものなんだろう。凄く優しい手つきで余計に眠気が増してしまう。
それにとてもいい香りがして……しばしこの幸せに包まれていたい。ああ、あっちのお花畑に行けば……。
「駄目ね、アタシが起こすワ」
「あ、お父さん……お願いします」
その声を聴いて、俺の意識は急速に覚醒した。生存本能的な何かが電流のように頭の中を通り抜け、ぱちりと目を開けた俺は眼前に迫る巨大な掌に戦慄する。
「やめてくれっ! もう一回くらったらまじで死ぬ!」
ある意味魔物より恐ろしい攻撃から、身を起こして離脱しようとして、盛大に頭をぶつけ、目の前を星がちらちらと舞った。ディジィが呆れた様子で言った。
「バカねェ。そんなに怖がらなくたっていいじゃない?」
「怖がるわっ! 頭の中身と共に色々大切な思い出やらなんやかんやが流れ出して行きそうになったんだぞ! 越えてはいけない線から踏み出しかけたっての!」
「話は後。さっさと準備しなさい。すぐに出るわ……少し腹に何か入れておいた方が良いワヨ」
「あたしらはもう食べたからさ、後はジロー君だけだよ」
未だに笑いをこらえているリッテがテーブルの上に置いてくれた粥は、まだ湯気がほんのりと上がっている。
起き抜けとはいえ、腹も減っていたため掻き込むようにして喉を通した。久しぶりの暖かい食事だ……いつもより倍ほどうまく思える。
空腹を満たして落ち着くと、もう辺りは随分と暗いことに気づいた。明かり無しで動き回るのは少々危険な時間帯に思える。
天井を見ると、不思議な明かりが灯っており、水晶球のような物の内部に渦巻くような光がきらめいていた。
物珍しさに凝視していた俺の様子がおかしく思えたのか、リッテが首を傾げた。
「どうしたの、魔具がそんなに珍しいとは思わないけど」
「マグ? マグ、マグね……はは」
その言葉に思い当たるものが頭に浮かばず俺は、信用ならないと思いつつもアルビスを呼びつけてみた。
(アルビ~ス……ちょっといい? マグってさ、なんなの?)
(……うぃ~っく。あぁ、じろーさぁんこんばんはぁ……ひくっ。まぎゅれすかぁ? ……まぎゅとは、まぎゅとはぁぁっ!)
……こいつ、酔っぱらっていやがる。
呂律の回らない怪しい口調。すっかり出来上がった彼女は、音高く何かでテーブルを打ちつけると、さも大層な事柄を説明するかのようにマグとやらについて語りだした……のだが。
(まぎゅとは……あれですよぉ! とってのついたちょっとおおきぃこっぷのことですぅ! そんなことも忘れてしまったんですか! あほー、ばかー!)
ケラケラと笑い転げる声に苛立ちが募るが、今は喧嘩している場合では無いので、極力穏便に言葉を返す。
(いや、そっちじゃなくて……俺が聞きたいのはほら、何か魔法っぽい明かりとか……)
(あぁ……? まほーろぉぐのことですれぇ。まりょーくをつかってぇ、きどーさせるべんりなあいてむのことを、たんしゅくしてそーいってるみたいれすよ。とってもとってもべんりでいいものれふ、うぃっく、ぷふぅ~……)
(ああ、成程な。うんよくわかった、後はしっかり休んでくれい)
(う……? ぅ、なんかちょっときぶんわるくなってきましたぁ。はいてきますぅ……うえろろろろろ……げほっ、ごほっ)
遠隔で吐瀉音を聞かせて来るんじゃない……女神として、いや女性として大丈夫なのかコイツ。
そのままフェードアウトした女神のことはさておき、俺は誤魔化すように微笑んで言う。
「ま、魔具ね。魔法道具のことだよな……ちょっと久しぶりだったから驚いちゃったんだよ、あはは」
「魔具が久しぶりって、どういう生活を送って来たの、アンタ……まあいいけど」
ディジィは気を取り直して、この村の見取り図を出した。
円形をしたローヌの村は木の囲いで覆われていて、出入り口は二カ所。山の有る北側と、その反対の南側がある。
地図の表面を指で指しながら、彼女はこれから取る行動の説明をした。
「ワタシ達は日の出まで、ここ南方の出入り口で見張りをするわ。山側より襲撃される可能性は低いと思うけど、気は抜かないで。一時間ごとに二人ずつで見張りを交代するのと、様子を見て北側にも偵察に行って欲しい」
「北側は村の人達に任せて本当に大丈夫なの? 山に近いし、一番襲撃の有りそうな所じゃない?」
リッテのもっともな意見だが、それに対してはすでに別口で人員が用意されているらしい。
「そっちは村の有志と、たまたま逗留していた冒険者がいたから請け負ってくれるみたいね」
「だ、大丈夫? その冒険者達……信用できるの?」
「さあねェ……まあでも村長に押し切られちゃったし。こんな寂れた村の冒険者ギルドマスターやら、女子供よりかはマシだろうってね。全員LVは20以上らしいから恐らく問題はないはずよ。だけど……」
ディジィはしっかりと俺達を見渡して、真剣な声で言った。
「……最悪どちらかが突破されたら、その反対側から村民を護衛しながら撤退することになる。その時は無理をせずあなた達も逃げなさい……若いうちに無駄に命を散らす事は無いワ」
「だ、駄目です……お、お父さんもその時は一緒じゃないと……」
ファリスが悲痛な色を声に乗せ、ディジィは宥めるように頭を撫でた。
「それはできないわよ……一時とはいえここに冒険者ギルドを構えて、こういう稼業で食べている以上、責任っていうものが生じるからね。……大丈夫、万が一ってことだからそんなに心配しないの」
「はい……」
不安そうにかぼそく呟くファリスをリッテが気遣うように撫でる中、ディジィの目がふとこちらを捉えた。
その何かを期待するような目を、俺は見返すことができず俯く。
済まないが、何かあっても力にはなれそうにないのだ……ややもして仕方なく笑うとディジィは俺から視線を外し、号令をかける。
「……そろそろだわ、出ましょう。……気を引き締めていくわよ!」
扉を開くとそこは暗い闇に包まれている。躊躇わずに踏み出す大柄な彼の背中を追うように、俺は夜の村へとおっかなびっくり歩き出したのだった。
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