第8話 ダンジョンの外では

「愚か者がァ!!」


 ダンジョンの最下層に怒号は響く。

 その場にいた誰しも身を竦める。

 このお方がこれほどお怒りになるとは、一体全体、このリザードマンは何をしでかしたのか。


「様子を見よと伝えたはずだ」


 東洋の龍。翠の鱗を鎧のように纏い、人族ほどの太さのある髭を揺らし、栗色の角は凛々しく天に向かって伸びている。

 金色の双眸は酷く血走っていた。


「はいぃ……!それが……、奴には他の魔物からも苦情があり……、このままでは、ダンジョン内のストライキに発展してしまうと判断し……」


「それならば、そいつらを解雇すればよかったのではないか?」


 リザードマンは目を見開いた。

 自分が解雇した無能の悪魔。その報告をしたら、急にダンジョンのボス、東洋龍に呼び出された。

 詳しい説明もなく、怒鳴られてしまったのだ。


 リザードマンの正面に君臨する巨大な蛇。

 東洋龍は威厳をもって、リザードマンを睨んでいた。


「それは、多くの魔物を露頭に迷わせてしまいます。要らぬ恨みも生みましょう!」

「ディアボロの血を逃すのと比べれば安いものであった」

「な、何故です。そこまで、あのスキルの無い無能悪魔に執着されるのですか?」


 そう言い切った時、東洋龍の双眸は身の毛もよだつ殺気を纏い、リザードマンを眇めた。

 余りの恐怖にリザードマンは泡を吹いて倒れてしまいそうになる。


「奴もスキルを持っておったわ!さながら、魔王の素質に溢れたモノをな。もし奴がダンジョンを創れば、ワシらでは止めることは叶いまいて」


 『臥竜洞窟』にも【ダンジョンターミナル】は有る。

 しかし、ダンジョンが大規模であるため、ダンジョンターミナルを使用できる者は一握りしかいない。

 一介の、人事部の下っ端リザードマンが気安く触れる装置ではなかった。


「奴を逃した損失は大きすぎる」


 真意を語ろうとしないが、東洋龍の様子を見て、リザードマンは自分の犯した失敗に気づいたと言わんばかりに震え始めた。


「それとも、もし奴がダンジョンを創らば、貴様の一族で潰しに行ってくれるか?『ラプラスの血族』に」


 伝説のダンジョン『ラプラスの悪魔』はリザードマンも知っていた。

 どんな凶暴な魔物も、有能な騎士も、勇敢な冒険者も飲み込み、蹂躙した伝説の迷宮。


「イツキに、そのような才能が……」


 信じられなかった。

 いや、信じたくなった。後方で雑用をしていた悪魔が東洋龍に認められていることを。


「まぁ、成ってしまったものは仕方あるまい。イツキの動向を追え。そして、逐一報告せよ。あと、東の『羽ほうき』の奴らの動きもな、どうもきな臭い」

 

 A級ダンジョン『羽ほうき』。魔法を得意とするハーピィが魔王として君臨するダンジョンだ。最近周辺のダンジョンを襲っていると噂されていた。


「では、下がってよい。十分、己の愚を受け止めよ」

「はっ!」


 そう言うと、リザードマンは下がっていく。

 そのリザードマンの顔は青く、とても悔いていたが、そんなことイツキは知らない。



「お父様……」


 東洋龍の後ろ。巨大な龍に隠れていた、小さな蛇のような龍が出てくる。

 それは、東洋龍の娘であり、父と同じ翠の鱗が特徴的であった。


「娘よ、目が覚めたのか」

「はい。少し、お話を聞いてしまいました」

「ふむ、惜しいことをした。出来れば、ディアボロの血はおぬしの交わり、このダンジョンを共に支えあって欲しかった」


 東洋龍が遠い目をしている。

 娘はそれをじっと見ていた。


 龍王の願いはスライムとの約束の地、臥竜連峰の守備そして繁栄。

 伝説の血はそれに必要不可欠であった。


「嫌ですわ、政略結婚など。私は、私の好きな人と結ばれたく存じます」

「我儘を……」


 まだまだ若い娘龍は我儘であった。

 そして東洋龍はその娘を溺愛しており、我儘に従順であった。

 その様な、目に入れても痛くない娘を預けても良いと思えるほどディアボロの血は必要であった。



 ◇



「ちくしょう……」


 『スライムさんの村』の大通りを歩く三人の人影があった。

 すれ違う通行人がすべて振り返るほど、彼らはボロボロであった。


 B級パーティ『黒豹』はみすぼらしい姿を晒しながら村を歩いていた。

 カイルの両手剣は刃が溶けてしまっており、二度と物を斬ることはできない形になっている。

 リックの利き腕はぶらりと垂れており、力なく、自由を失っている。

 サリーに至っては、うわの空で、光を失った瞳はぼーっと一転を眺めており、正気ではない。


 誰が見ても分かる、敗北をした者たちであった。


「偉いやつに言ってやろう。ダンジョンで魔物に襲われたって、討伐隊を結成するんだ」


 カイルの提案にリックは頷く。

 このような仕打ちを受けて黙っていられるか。

 この村でも王国でも泣きついて仕返ししてやる。


 その時、大通りにどよめきが沸いた。

 それは、『黒豹』の前に現れた一人の少年に対してであった。


「偉い人とはボクの事かい」


 緑色の髪に赤い瞳。

 この村に住んでいれば知らない者はいない。

 その少年は住民からとある愛称で呼ばれている。


――――スライムさんと。


「なんだ?てめぇ?」

「これはまた、ご挨拶だなぁ。ボクはこの村の責任者だよ」


 飄々とした態度でスライムさんは答える。

 子供をあやす様であって、虫の居所の悪いカイルにとってはとても癪な男だと感じた。


「責任者だぁ?こんなチビがか」

「これは人族と話すときの仮の姿だよ。いつもは流体。スライムだからね」

「へっ、雑魚魔物のスライムか。そんなのがここの責任者とは、ずいぶん廃れた村だな」


 自分たちの廃れた身なりなど棚に置き、目の前のスライムさんを侮辱してみせる。

 所詮は魔物という考えは『ラプラスの悪魔』で受けたトラウマ如きでは払拭できなかった。


「はぁ……。君たちは随分と、自分たちの立場ってものを理解できていないのだね」

「なんだと?」


「ここにボクが来たのは、世間話をしに来たわけではないのだよ。むしろ、もっと大事な。責任の話だ」


 スライムさんの勿体ぶった言い回しにカイルは眉を顰める。


「なんの話だ?」

「いやね、この村はある程度の特産品が王国で重宝されているんだ。それは、年間を通して輸出量が決められているほど」


 急に話される村の情勢。

 カイルには関係ないと思った。


「それは、果実酒なんだけれど。この近くのゴブリンたちがその材料を育てくれていてね。それが、君たちに襲われたっていうものだから」


 スライムさんは貼り付けたような笑顔で淡々と話す。


「それでなんだけど。ボクたち『スライムさんの村』は君たち『黒豹』に【一億コイン】の【損害賠償】を請求することにしたんだ」

「は?」


 それは、カイルが酒場で溶かしたコインなど、はした金と呼ばれるほどの途方もない金額であった。


「なんでだ!魔物の集落だろ?材料くらい、どこでも……」

「冒険者如きが村の経営を軽く見ないでくれるかい」


 いつしかスライムさんの顔から笑顔は消えている。真剣な顔だ。


「くそ、こんなの違法だ!人間様がそんなもの払う必要はない!」

「所在も持たぬ冒険者が【治外法権】を語るな。それとも王国に泣きつくかい?国王はうちの果実酒を気に入ってくれているのだけれど」


 カイルは逃げ場は無いと思った。


「待ってください!実は、私たちはゴブリンの集落を観光している時に突然ゴブリンに襲われたのです。見てください!この右腕、凶暴な魔物から身を守る正当防衛でした」


 次に口を開いたのはリックであった。

 演技じみた悲痛の表情で話す。


「そうか、正当防衛だったのか。ボクの勘違いという事かな?」

「そうです。村長様は話が分かるスライムなのですね」

「はは、ありがとう。でもね、君の体からは嫌というほどゴブリンの血の匂いがするんだ。それに焦げた匂い。余りにも過剰だ」


 それは、ゴブリンの集落を襲ったときについた返り血や焼き払った死骸の臭い。

 しかし、そんなものリックやカイルは嗅いでも感じない。


「これはご冗談を。村長も鎌をかけるとは酷いお方だ」

「ふふ。ボクは飲み込んだ生き物の能力を使えるんだ。こうやって人の体を見せるのもそれなんだけどね。ボクがオオカミやブタを飲み込んでいないと思うかい?」


 リックの胸が早鐘を打つ。


「鼓動が早くなったね。オオカミの聴覚もなかなかのものだよ」


「クソ!逃げるぞ。一億コインなんて払えるか!!」

「うわぁああああ」


 カイルは呆けたサリーの手を取り走り出す。

 その後を追うようにリックも走る。


「【ダークナイト】。後は頼むよ」

「仰せのままに」


 スライムさんの後ろに待機していた五体の【ダークナイト】が馬を操り追いかける。

 『黒豹』は直ぐに捕まった。そして、ダークナイトたちによって冒険者として生きてはいけないほど仕打ちを受けるが、それは想像にお任せする。


 こうして、ゴブリンの森襲撃事件は終息したのであった。


 ◇


「それで、彼らは何処であんなにボロボロに?」


 事を済ませたスライムさんは人型のまま、横を歩くダークナイトに話しかける。


「ゴブリンの森に新しくできたダンジョンでございます」

「ダンジョンが出来たぁ?聞いてないよ。何?ボクが出張している間に?」

「はい、まだ小さいようですが」

「何て名前?このボクに挨拶無しなんて」

「『ラプラスの悪魔』でございます」


 沈黙が流れた。

 スライムさんはにやりとほくそ笑み口を開く。



――――へぇ、それは、一度会いに行かないといけないねぇ。

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