10.五月五日 午前零時
【五月五日 午前零時】
一つの星も
慣れた現地集合も、今日で最後だ。夜が明けて山を下りたら、今度こそ宮原家に線香を上げに行くつもりだ。浅野春斗が示した
午前零時まで、あと数分。約束の時間が近づいたとき、背後から足音がした。
「桂衣――」
振り返った寧は、目を見開く。
廃村の暗闇に紛れるように、漆黒の影がこちらに迫っていた。徐々に影の輪郭が露わになり、黒い雨合羽を被った人物が、猛然と駆け出してきて――寧の胸に飛び込んだ。
助走で勢いを得た一撃が、重く、鋭く、胸を貫く。熱と悪寒が全身を隈なく駆け巡り、スローモーションで
「……浅野春斗が、苑華ちゃんと放課後に居残った翌日……山根たちのグループは、苑華ちゃんを屋上に連れていこうとした。最後の階段の前で、泣き出した苑華ちゃんを見た石塚さんが、言ったの。もうやめよう、やり過ぎだ、って。でも、グループの勢いは止まらなかった」
殺人者が、返り血を受けた雨合羽のフードを脱いだ。寧は、ようやく悟る。
桂衣が復讐を誓った、三人の人間。
一人目は、主犯の山根。
二人目は、リンチを先導した川村。
そして、三人目は――。
「その時、石塚さんと苑華ちゃんは、廊下の隅にいた男子生徒に気づいたの。でも、『唯一の目撃者』の男子生徒は、厄介事に関わることを嫌がった。見捨てられた苑華ちゃんは、屋上に連れていかれた……」
心の中で蓋をした記憶が、溢れ出す。放課後の学校、怒り狂う山根と、興奮状態の川村、完全に怖気づいた顔の石塚に、必死に抵抗する宮原苑華――屋上に続く階段で揉み合う四人を、寧は見た。
綺麗な黒髪を乱した宮原苑華が、泣き濡れた顔で寧を見た。目が合った瞬間、金縛りにあったように動けなくなる寧に向けられた、唇の動き。
助けて――その言葉を、寧は無視した。
日常を壊されたくなかったからだ。平凡でありたい、普通から逸脱したくないという魂に染みついた願望が、息を吸うように同級生を見捨てさせた。屋上への階段という死刑台を上がる宮原苑華を、寧は見送りもせず立ち去った。
「だから、復讐を決意したの。四月四日に、苑華ちゃんのお母さんが届けてくれた、小鳩寧くんからの手紙を読んだ時から! そして、〝未来〟の私が同封してた、もう一通の手紙を読んだ時から!」
その自白を聞いて、腑に落ちた。桂衣は一度、寧が書いた手紙を封筒に入れると言って回収した。あの時に、もう一枚を入れたのだ。
内容は、きっと――あの時点までの研究データと、殺人計画。
「自分の役割を理解した四月四日の私は、
――寧が受け取った差出人不明の手紙は、〝過去〟の桂衣が書いたのだ。この凶器と雨合羽も、足がつかないように廃村の探索で調達した。桂衣に教室で糾弾された『殺人者』は、浅野ではなく寧だった。山根の机に花を飾った犯人もきっと桂衣で、それを教室で自ら回収し、『三人目』は浅野と石塚だと匂わせて、寧を油断させたのだ。名前で呼んだことも、唇を許したことさえ、この瞬間を得るための
大した
こんな仕打ちを受けても、桂衣を嫌いになれない寧は――とっくに普通から逸脱した、特異な人間なのだろう。
「お前が見捨てたから、苑華ちゃんは死んだんだ! お前が、動かなかったから! 動かなかったからあぁっ!」
激昂が夜闇を震撼させて、桂衣が放った包丁がカランと舗道に落ちる。次いで降ってきた雨合羽は、寧の身体にかぶさった。寧は、桂衣の狙いを理解した。
数秒後に、寧は〝特異点〟に
「苑華ちゃんを、返せえぇッ!」
憎しみを乗せた絶叫を最後に、桂衣は唇を嚙みしめて黙った。寧を確実に〝未来〟へ
しかし、涙を流し、葛藤の顔で見送る桂衣の顔が、
桂衣は、行き先が〝未来〟だと信じている。だが、桂衣が転校を告げた五月三日の正午に、美容院跡地で響いた物音が、〝特異点〟に影響を与えた場合――行き先は、〝過去〟に変わる。死体が〝過去〟で見つかれば、桂衣の罪が明るみに出る。
視界が白濁し、死に瀕しながら、寧は思う。桂衣が世界で一番好きだった少女を救えなかった寧に出来るのは、復讐を遂げさせることだけだ。
絶対に、〝過去〟では死ねない。
桂衣の望み通りに、寧は〝未来〟で死んでみせる。
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