6.四月三日 午前零時

【四月三日 午前零時】

 午前零時を迎えたとき、春の夜の生暖かい風が、〝特異点〟に立つ寧を取り巻いた。

 桂衣は、少し離れた舗道で心細そうな目をしている。寧は頷いてから、目を閉じた。

 そして、目を開けた時――ここは〝過去〟なのだと判った。散ったはずの桜が舞い、溝畑桂衣の姿もない。寧は無人の廃村から駆け出して、脇目も振らずに山を下りた。

 ここまで真剣に走るのはきっと人生で初めてで、しかも行き先は女子の家だなんて、自分でも信じられなかった。真夜中の畦道あぜみちを走り続けて、ふもとの宮原家に着いたときには、息が酷く上がっていた。郵便受けに刺さったままの新聞に気づき、ぎくりとする。

 ――日付は、四月二日。宮原苑華が死ぬ二日前だ。

 手紙を投函し、えた静寂を破る物音が、寧の心音を代弁した。もう後戻りはできないのだ。達成感の余韻に浸る暇さえ惜しんで、寧は山にとんぼ返りした。

〝特異点〟に戻ったのは、空が白み始めた頃だ。疲労で足がもつれ、満開の桜の木の下に倒れた寧は、身体を休めてから、腕時計を見る。午前六時。何度も計測したことがある時間だ。真夏の川面に飛び込んだような清涼感と浮遊感が、全身を包んだ。

 少しの間、眠っていたのだろう。瞼を開くと、だいだいの日差しが目に飛び込んでくる。座り込んで寧の顔を覗き込む、涙ぐんだ少女の顔も。寧は、笑った。

 ――再び出会えたということは、手紙は桂衣に届いたのだ。

「午前零時に〝過去〟に跳んで、同日の午前六時に戻れた。データが増えたな」

 桂衣が寧の生還を喜ぶのは、今日の成果で宮原苑華を救う確率が上がったからだ。『三人に復讐する』という意思も、山根が消えて残りの二人を、女子グループの川村と石塚、それに浅野春斗あさのはるとの中から選ぶつもりで、今も変わっていないだろう。

 それでも、桂衣が夜通し待っていてくれたことが、自分でもびっくりするほど嬉しかった。山際に顔を出した朝日で涙を煌めかせた桂衣が、囁いた。

「おかえり」

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