エデンの天使

YS

はじまりとおわり

 天使は卵から生まれる。愛と慈しみによってこの世に生まれる。私たちはみなセラフの幼な子と呼ばれていた。まだ太陽が光り輝き、全てが美しかった頃の話である。


 ミカ、ガフ、ラファ、エル、この四人とはみな幼馴染だ。

 活発で聡明なミカ、姉御肌で実直なガフ、知的でクールなラファ、天然でムードメーカーなエル、みんな物心ついたときからずっと一緒に暮らしてきた。僕の名前はラメク、ここエデン別区では珍しい男の子だったりする。


 大人の天使たちはいない。遠くで大切な仕事をしているって聞いてる。明るくて気持ちの良い風が吹くこの場所で自由に生きている。日々の細々としたこと、例えば食事の世話などは巨人族のグリゴリたちがしてくれている。僕らがやることは思いっきり遊ぶことだ。今日もこれから丘の向こうの廃墟を探検することにしてる。


 吹き抜ける風が気持ち良い、丘の上からは真っ白なエデンが見えた。永遠の幸せの楽園と呼ばれる選ばれた天使が働く場所、僕らの憧れの楽園だった。

 廃墟に近づく。ずいぶん大きな建物だったみたいだ。不思議なのは窓がない。壁の一部が壊れているので、中に入るのに苦労はなかった。ところどころ壁や天井に穴が空いているので、光が差し込み明るいのだけど、そうでなかったら真っ暗で何も見えなかったと思う。

 いくつかの大きなフロアと罪人を閉じ込めるのだろう、牢屋が並んでいる部屋があった。


「悪いやつを捕まえておく建物だったのかなー」


 エルがそう言うと、ラファがこう応えた。

「そういうのを留置場とか刑務所っていうのよ」


「天井が高いのね、グリゴリでも頭を打つことないわね」

 ミカはおぼつかない飛び方で天井近くまで上がっている。僕らはまだうまく飛べない。まだ子供だから仕方ないけど、はやく上手に飛べるようになりたかった。


「ここは何かしら、随分崩れているけど」

 ほとんどが瓦礫に埋もれたフロアにミカがふわふわと飛んでいく。


「ミカ、崩れたらあぶないよー!」

「大丈夫だっ……」

 そこまで言いかけた時だった。黒く光る何かがミカの後ろから迫る。たくさんの脚と節々が並んだ身体、大きな鍵顎、これはオオムカデだ!

 ミカは間一髪で身をかわしたが、ムカデの脚に翼が引っかかってしまい瓦礫の隙間に落ちてしまう。


「おい、こっちだ。ムカデやろう」

 ガフが足元に落ちていた瓦礫をムカデに向かって投げ始めた。


「天にまします我らが神よ、いまその御手をもって……」

 ラファが詠唱に入っている。


「絆はゆみ、意志はつる、願いは矢羽やばね、勇気はやじり、……我は射手いてなり」

 僕は天使の十八番、光輪の矢を放つ準備をする。


 ムカデは瓦礫にあいた隙間の中に潜り込んでいる、ところどころ身体の一部が見えるが、すぐに隠れてしまう。ミカは無事だろうか。


「ミカ!」

 ガフが天槍を顕現させて瓦礫の隙間に突っ込んでいく。

 胴体に突き刺さるもムカデの動きで跳ね飛ばされてしまう。

 地面に落ちる寸前でエルが受けとめた。


 頭と身体が瓦礫の外に出てきた。

 すかさず矢を放つ。脚の幾つかを吹き飛ばしてやった。だけど次の矢をつがえる前に大顎が迫る。


「こっちこっちー」

 エルが立て続けに光弾を打ちながら注意を引かせる。

 オオムカデの身体がすべて露わになった。その瞬間。


霹靂へきれきにて道を示さん!」

 ラファの詠唱が完了した。凄まじい閃光と轟音が響き渡った。余りの衝撃に砂煙があがる。やがて視界が戻ると、そこには雷光に引き裂かれ焼け焦げたオオムカデの姿があった。


 ミカは瓦礫のあいだに挟まり動けないでいた。意識はあるものの翼に痛みがあるようだ。

「大丈夫だから、いま助けるよ」

 僕は瓦礫の隙間をぬってミカの許へ向かう。隙間は狭く一人がやっとという感じだ。態勢を整えどうすれば良いか観察する。羽の一部が挟まっている、うまい具合に持ち上げればどうにかなりそうだ。

 ミカは最近、体に丸みを帯びてきたというか、曲線が増えてきたように感じる。ずっと見てるとなんだかドキドキするし、くすぐったいような恥ずかしいような変な感じだ。

 すこし我慢して、動かすよ。

 翼のしたに腕を入れ、腰を浮かすように持ち上げる。胸と胸がぴったりとくっつく。柔らかい体から体温が伝わってくる、耳には温かな息がかかる。

 少し痛いかも。そう言って、無理矢理ちから任せに体を起こすと、いっきに引き抜いた。

 痛みが走ったのだろう、ミカの両腕に力が込められ抱きつかれる形になった。何故だか心の中から暖かさが広がっていく感じがする。そうしてようやくミカを助け出した。


 あの廃墟での事件はことあるごとに話題に上った。でも、ミカと僕のあいだでは何となく気恥ずかしさがあって、おどけてみたり曖昧に笑ってみせたりすることが多かった。


 僕たちもついに大人になるときがきた。

 大人の天使はこの世のために働くことになっている。遠くへ行く者もいたが、僕ら四人はエデンで働くことになった。永遠の幸せの楽園と呼ばれるエデンは、白く美しい大きな建物だった。朝日を浴び煌めいて、夕日を浴びて輝く、まさに理想郷に見えた。

 ここもグリゴリ族が管理の手伝いをしているようだ。僕とミカ、そしてラファが案内されたのは白く大きなフロアだった。テーブルとソファのあるリビングを中心に個室がいくつか並び奥にはキッチンが見える。すでに中には何人かの天使がいた。綺麗な女性たちとソファで寝ている無精髭の男性だ。

 ガフとエルは別の部屋らしい。二人が「じゃぁ、またあとで遊ぼうね」といって去って行った。

 エデンは遊び場じゃないんだから、もう僕らは大人なんだから世の中のために働かなくちゃダメなのに、二人はまだまだ子供だなぁ。

 先輩たちと挨拶をして、いろいろ注意事項などを教わる。ここでは自分たちで料理を作って生活していくみたいだ。注意事項のなかにとっても大事なルールがあった、このフロアから決して出てはいけないというものだった。何故だろう。


 特に仕事らしい仕事はなかった。先輩天使はだいたいソファで寝ていたし、女性天使たちは暇があればずっと歌を唄っていた。朝と夕方にグリゴリが食材と飲み物を持ってくるので、必要なものがあればその際に頼めば良いとのことだ。先輩が時折女性を自分の部屋につれていく、毎回違う女性を連れて行っていた。特にやることもないので、先輩に何をすれば良いのか聞いてみる。素っ気ない態度だったけど、慣れるまでは自由にしていろと言われた。

 自由ねぇ、僕は退屈していたのだ。同じように暇を持て余していたミカとラファが探検に出ようと誘ってきた。エデンの中を探検、とても楽しそうだ。胸が踊る。

「ねぇ行こうよ」

 ミカが意気込み十分で話しかけてくる。

 ラファはここを出てはいけないというルールを気にしていたようだけど、好奇心には勝てないようだった。

「だけど廃墟でムカデと戦ったようなことが無ければいいけど」

 とつぶやくと「ここはエデンよ、そんなものいるわけないじゃない」とミカが笑う。笑ってから変な間があいたけど。


 決行はその日の夜に決まった。とにかく先輩たちに見つかってはいけない。慎重を期してフロアを出る。廊下には窓が無かったが不思議と天井が明るい。そういえば部屋にもリビングにも窓は無かったな。次にあった扉を開けてみようとすると、扉の方から開いた。

「オッドッカラデテキタ」

 やばいグリゴリだ。コラマテ、僕は翼をむんずと捕まれてしまった。抵抗してみるもグリゴリの手を振りほどくことはできない。

「痛い、いたいよ」

 そう言っても返事はなく、ミカとラファを探している。ラファは僕らのフロアの方へ走り、ミカは反対の方向へ飛んでいく。廊下の先をまがると顔だけ出してこちらを見ている。

「イカンイカン」

 グリゴリは僕を掴んだまま、ラファを追う。ラファは一足先に扉を開けて中に駆け込んだ。

「ダメダッテ、コリャオコラレルガナ」

 グリゴリは扉を開けると、ラファに僕を投げつけて、鍵をかけて去って行った。

 鍵がかかっていたせいだろう、ミカはその晩は帰ってこなかった。朝方、別のグリゴリが朝食の材料を持って来た際に、そっと戻ってきた。

 戻ってきたミカにエデンの様子やあの後の出来事を色々聞いてみたかったけど、自室に引きこもって食事の時間にも出てこない。ラファが心配してたずねると、部屋に招き込み長いこと話をしていた。僕はなんだか仲間はずれにされたように感じて気分が良くなかった。


 翌日の朝、ラファとミカは朝食に来ていた。ラファが思いつめたような表情をしている。

「どうしたの?」

 なるべくいつも通りに尋ねてみる。今夜話すわ、といってラファは先輩女性たちのもとへ向かった。ミカはどうやら泣いているようだ。声をかけようとしたけど、すぐに部屋に閉じこもってしまった。

 僕はどうすればいんだろう。


 夜が来た。

「また探検に行ってみる? 今度は僕がちゃんとグリゴリをやっつけるよ。光輪の矢を同時に十発も撃てるようになってるんだからね!」

 すこしおどけてみせる。

 ラファが歌を唄い始めた。女性の先輩天使たちが唄っていたものだ。よく聴いてね、よく聴けば分かるわ。そういって唄い続ける。

「天使の歌よ、みんなが唄っているこの歌は、ずっとずっと歌い継がれてきたの。大事な秘密を隠して、次の世代に伝えるためにね」

 よく聴いても何のことだかわからない。天使とエデンと誕生と死、そして自由と尊厳を詠っていた。人生賛歌のような歌詞だ。

「天使の一生は長いから、それを讃えることが出来るように生きようって歌だよね」

「間違ってないわ、その通りよ……」

 ラファが涙目になりながら答える。


 再び僕はおどけて「矢を出すの見る?」と聞いてみた。

「ラメク、無理なのよ。私たちではグリゴリに勝てない。もうずっと昔からこうやってきたのよ。お母様もそのまたお母様も、ずっとずっとこうやってきたの。ほんの少し自由なのは私たちが大人になるまでのあいだ。ねぇ知ってた。あなた以外の男の子はみんな死んでいるの、あなたは特別に残されたの。私たちと子供を作るために」

「ラファ、言って。天使の歌の秘密を。隠された真実を。ガフもエルも、もう助けられない。私は見てきたの、もう無理なのよ。私はあんな風になりたくない、私は私のままでいたい。もうどこにも行かないで、ここで私と一緒に平和に暮らしましょう。だってここはエデンなのよ。この世で一番しあわせな場所なのよ」

 ミカは僕を見ているようで見ていなかった。なにかもっと遠くのものを見ていた。


 その夜、僕はそっと部屋を出た。廊下はぼんやりと常夜灯が灯っているだけだった。この先、あの角を曲がったところにガフとエルがいる部屋がある。鍵はかかっていなかった。グリゴリも見当たらない。そっと扉を開ける。ミカは何を見たのだろう、あんな風になってしまう何を。


 そこは明るかった、明るい牢獄だった。あの廃墟で見たような鉄の格子が幾つも連なり、その中に天使がいた。天使は両手を鎖で縛られ、何人かはお腹が膨れていた。えたような嫌な臭いがする。何かが動いた。さっと身を隠す。動いたのは卵だ、格子の一部が開いており天使が産んだ卵が転がり落ちていっていた。落ちていく先には沢山の卵があった。

「何だこれ。なんなんだこれは」

 中の天使は僕に目もくれない。自動で運ばれる食事を両手で貪り食っている。その中にガフとエルがいた。

「ガフ、エル!」

 ガフとエルはこちらを向くも、目を伏せ食事を続けた。これじゃ食事というより餌だ。なんとか言ってよ。そう言葉を続けると、ガフが唸った。何か言おうとしているようだ。

 よく見ると喉が掻き斬られている。これでは詠唱もできなければ、声も出せない。

「コナ、イデ。サヨナ、ラ」

 どうにかガフの声が聞こえた。

「何があった。いや今はそんなことはいい、すぐに助けてやるからな」

「ンァ」

 エルが叫ぶ。両手を拘束する鎖が伸びきる。アァ。そう叫ぶと、エルの下腹部から卵がゆっくりと出てきた。

「ミ、ナイ、デ」

 涙を浮かべたエルの言葉が絞り出される。

「生けるものは塩に、冷たきはがねは砂に、固きいわおちりに、我に道を開け」

 詠唱を終えると鉄格子に触れる。甲高い金属音と共に火花が散る。本来なら鉄格子は砂のように砕けるはずだった、だが効果がない。

「ム、ダヨ。キイ、テ、ヨク、キイテ。タベテ、ハダメ」

 そう言って目の前に流れてくる餌を手に取る。

「タ、マゴ、ウマサレ、ル」

 突然、入り口が開いてグリゴリが入ってきた。

「オトシタベサ」

(必ずまた来る)

 そう小声でガフとエルに伝えると、死角になるように飛んで部屋を出た。


 自分の部屋に戻ってくると、隅で膝を抱いてうずくまる。なんだあれは。あれじゃまるで飼われているみたいじゃないか。いったい何なんだ。

 すこし落ち着くと、体が饐えた臭いを発しているのに気づいた。臭いが移っている。吐き気をもようすその臭いに堪え兼ねて、シャワーを浴びに出た。キッチンの隣に共同のシャワー室があるのだ。

 シャワー室には髭面の先輩がいた。僕に一瞥をくれただけで髪を洗い始めた。僕も急いで服を脱ぎシャワーを浴びる、石鹸で体を擦り臭いを落としていく。全身くまなく洗い流して顔を上げると先輩が目の前にいた。

「おまえ、あそこに行ったな」

 何も答えられずにいると、先輩は言葉を続けた。

「別にいい、ただグリゴリには気付かれるな。おまえが見たものがエデンの正体だ。そして天使の生きる姿、あれがあいつらの仕事さ。俺たちは運が良いのさ、ほかの男どもは粉々にされて魚の餌だぜ。せいぜい美女と子作りに励むんだな、それがおまえの仕事、世の中のために働くってことさ。あぁ、しばらくは手を出さないが、そのうちヤらせてもらうぜ、俺は小娘は好みじゃないんだ」

 先輩は最後にそう笑ってシャワー室を出て行った。

 僕は着てきた服を分からないように捨てて、部屋に戻った。


 部屋にはミカとラファがいた。先輩から聞いてここで待っていてやってほしいと言われたそうだ。僕はさっき見たこと話したことを、途切れ途切れになりながらも、二人に伝えた。

 いろいろな話をした、そして同じくらい長い沈黙を共有した。

 ミカとラファ、そして僕の三人は交わった。ゆっくりと時間をかけて、お互いが存在しているのを確認するように。確かなものを抱きしめるように。


 幾日かはミカとラファと一緒に過ごした。だけど、どうしてもガフとエルの姿がまぶたから消えない。夢も見た、みんなでエデンから逃げ出して、遠くでしあわせに暮らしている夢だ。

 ある日の晩、僕はエデンを出た。


「あんたこんなところで何してるんだい」

 声はするが姿は見えない。仄暗い洞窟で声だけがこだまする。

「こっちさ、上を見なよ」

 天井に堕天使が頭を下にしてぶら下がっていた。

「堕天使がこんなとこに?!」

「こんなとこって、ここは私の家だよ、勝手に入っておきながら失礼なやつだね。堕天使ってのも気にくわないけど、まぁ仕方ないさね。そういうことになってるからねぇ」

 堕天使はギロリと目を見開くとこう言った。

「で、天使様は何してるんだい?」


 僕はいままでのことを話した。そしてグリゴリを倒す方法を探していると伝えた。

「グリゴリを倒すねぇ。あるにはある、というより、はるか昔そういうことがあったと言われている」

「天使風邪さ。天使たちが血を吹き出して死ぬ病のことだよ、聞いたことくらいはあるだろう。ほとんどの天使は死ぬ、感染したら助からない疫病だよ」

「そして何故かはわからないが、グリゴリ達にも感染ることがある。天使風邪にかかったグリゴリは死ぬ、だから天使風邪を恐れて天使を管理するのさ、エデンでは病気はなかっただろう」

「まぁみんな死ぬわけじゃないよ、私たちは死なないしね。それに、もしみな死んだのなら天使もグリゴリもいなくなってるだろう。ただ言い伝えでは随分と数を減らしたと言われているよ」

「天使風邪がどこから始まったか知ってるかい? ここだと言われているけどね。驚いたかい?」

「上の穴から入ってきたんだろう。あの穴から差し込む光が届くか届かないか、ずっとずっと深く降りて行ったところに、天使の墓場と呼んでる場所がある。そこにある灰、生命の灰をかぶるとかかると言われているよ」

 でもあんた、行ったら死ぬよ。あれは言い伝えじゃないさ、きっと本当にあった出来事だと思うね。僕はもうその先は話を聞いてはいなかった。


「あら、アザゼル農場の『天使のたまご』じゃない、これとても美味しいのよ。奥さん食べたことあります? こっちは有精卵だわ。有精卵はやっぱり高いわねぇ」

 途中、グリゴリの街を過ぎ、隠れながらエデンを目指す。逃げてきた場所に戻るのだ。


 灰は慎重に袋に詰めてある。僕は灰を浴びていない。でももし感染していたら、ミカやラファ、それに先輩たちや、他の皆を危険に晒すわけにはいかない。どうにかしてグリゴリたちだけに感染させなければ。

 まだ夜明け前だ、エデンの入り口は一箇所しかない、風も光も通さない。グリゴリは必ずここを通る。待ち伏せするにはここが最も良いはずだ。

「オメエドウヤッタ」

 しまった、グリゴリはもう来ていた。入り口を背にして待ち構えていたので、後ろから来るとは思ってもなかった。羽を掴まれる「絆は弓、意志は弦、願いは」、「ウルセ、アバレンナコノ」光輪の矢の詠唱も間に合わず、左の翼をがっちりと掴まれた。あ、袋が、落ちそうになった袋を蹴り上げると中の灰がグリゴリの顔にかかる。

「キッタネエノ、オメエ」

 たいして気にする風もなくグリゴリは僕を捕まえたままエデンの中に入り、扉を開けて僕を投げ入れた。

「ニゲダスンデネ、オラガオコラレッド」

 投げられた僕はリビングのソファにぶつかって止まった。ラメク! 無事だったの!? みな口々に僕の無事を確認する。

「触っちゃダメだ! さっき天使の灰を被ってしまった。みんなが天使風邪になってしまう」

 その場の空気が変わった。髭面の先輩が訊ねる。

「その袋から出ているのが天使の灰か」そうだと答えると、すぐにシャワーを浴びろ、グリゴリを倒してもみんなで死んだら意味がない、ここには絨毯を敷け、そして近寄るな。と迅速に指示を出した。


「おまえ、とんでもないことをするんだな」

 無精髭が立派な髭になっている先輩はそう言った。

 まぁいい、おれはいい。むしろ楽しいぜ、あれが本物の天使の灰ならな。そう言って屈託なく笑う。でもほかの人たちの反応は様々だった。こんな素晴らしい環境なのに。何が不満なの。なぜ疫病で死ななければならないの。でもこれで終われるわ、あの子も休めるのよ。私は生き残るわ、きっとそうよ。みんな自分の思いと願望を喋っている。自分に言い聞かせているのだ。


 しかし数日はなにも起こらなかった。あれは天使の灰ではなかったのかもしれない、堕天使にかつがれたのかもしれない、そう思い始めていた頃だった。

 最初に症状が出たのは灰を被ったグリゴリだった。常に咳き込んでいる。それからはあっという間だった。グリゴリたちは次々に目や口から血を流して倒れていった。そして天使たちも次々に倒れた。隙を見てガフとエリを助けに行ったけど、もう既に咳をしていた。僕が殺してしまうのだ。ミカにも症状が出始めた。僕はなんともないのに!


「おまえは死なない方の天使なんだな。どうする、生き残ってなにをする」

 髭面の先輩はそう訊ねてくる。

「俺はここを出る。まだ飛べるうちにな。ついてきたい奴は一緒に来い」

「天使はエデンを出ても、しあわせに暮らせると思うか? 俺は思うぜ。むしろ本当のしあわせはエデンには無い」なぁ、もし死ななかったら、探してくれ、俺たちを、かならず生き抜いてやるからよ。そう言って先輩たちは東の空へ飛び去った。

 ミカ、ラファ、ガフ、エリ、そして僕。皆が揃った。まだ飛べる。

 ほかの皆は逃げ出した者、息絶えた者、様々だった。エデンはもう終わりだ。

 僕らは飛んだ、どこまでも遠く飛んだ。力の限り。


 これが正しいのか分からない。

 これは復讐だろうか、そうかもしれない。そう見えると思う。

 でも、もう復讐じゃなくなっている。


 ただ生きたいと思っている。僕だけじゃなく、全ての天使が自分の意思で生きられるように。そしてグリゴリがあんなことをせずに生きられるように。

 僕は天使だ、天使は天使として生きたい。誰かの道具ではなく。


 これは自由への、そう自由への巣立ちだ。不自由のない幸せなエデンを離れ、自分で選び取った自由へと向かって行くんだ。それが本当にしあわせなのかはわからない、だけど……

 僕は自由を求めて飛び立つ。天使の自由を求めて。

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