権威の源泉

@samayouyoroi

権威の源泉


(またあの夢だ)

彼の目の前には若い頃の自分がいた。

控室で休めの姿勢でモニターを注視している。


(違う、注視なんかしていない。ただぼんやりと見ていただけだ)

若い自分は軍人らしく姿勢だけは威厳を保ちつつモニター越しに注視しているように見せかけて、しかし実は何も見ていなかった。


それもそのはずである。彼の仕事は既に終わっており、後は会議が終わればまたいかにも油断なく辺りを警戒しているような体裁で主君の後ろについて行けばよかっただけのはずなのである。


既に知っている異変が発生し、今の自分も若い自分も狼狽えた。彼の主君が固まってしまっている。その異常な停滞はほんの数秒なのだが、会議に列席する者も、モニター越しに注視する若い自分も、全ての結末を知っているはずの今の自分にも永遠の時間に思えた。


やがて主君は口を開きおもむろにあの言葉を吐いた。

「そのような予定は聞いていない」


風景が暗転する。


暗転する風景の中であの忘れられない言葉が響いていた。


「そちは横着者よの」

「そちは横着者…」

「…ちは横着…」

「…ちは横…」


---


目が醒めたそこは自室のベッドだった。絹のローブは汗でびっしょりと濡れている。

サイドテーブルの水を一息で飲みほすと彼はベッドから出て窓辺に寄った。恐怖は覚醒と共に激しい怒りに代わり、やがてそれも静かな覚悟に落ち着いた。


窓から広大な庭とその先にある皇宮に目を向ける。苦い思い出は苦いまま、彼に暗い覚悟を思い出させた。


ああ俺は横着だったさ。だから反省して必死に働いたんだ。


---


「皇帝陛下、いや準皇帝陛下、ごきげん麗しく」

「おいおいキミキミ、さすがにそれは追従も過ぎるというものだろう」

取り巻きとの会合はどっと沸いた。


おべんちゃらばかりいいおって


若い頃とは比較にならぬほど身体に肉が蓄積されたのは贅沢の結果だが、意外なところで役に立つこともある。このような時に元来の吊目で相手を射抜くような視線を緩和させることもでき、のみならず笑っているようにも見せかけることができるのだ。


エックハルトは権力も権威も贅沢も追従も大好きだったが、さすがにこれ程これ見よがしな追従を言われれば喜ぶより苛立ちのほうが先に来る。


大体にしてエックハルトは自分の取り巻き達が好きではなかった。皇帝を操り権力を壟断したのは事実であったが、それは神経にヤスリをかけられるような緊張感の連続だった。そんな苦労も知らない貴族共は単に持ち上げればそれでいいと思っている。


しかし30年に渡り皇宮を泳いできた老獪なエックハルトは感情論だけで取り巻きを排除するような愚行を決してしなかった。


形だけの笑顔を振りまき会合の夜は暮れていく。これもまたエックハルトの重要な仕事なのであった。


---


「お帰りなさいパパ」

私邸に帰宅すると愛娘マリアが出迎えてくれた。


「おいおいパパはやめないか。ちゃんとお父様と呼びなさい」

とはいえエックハルトもまんざらな表情ではなかった。


「でぶ」などと陰口を叩くものもいるがこの愛らしさはどうであろう。鳥の骨のように痩せた女なんか何の魅力もない。これこそ女の魅力だ。


マリア・フォン・エックハルトの肉付きがいいのは事実であるが、父に似て上背もあるマリアは太っているというより豊満といったほうが適切だった。確かに目を見張るような巨大な尻は父ですらぎょっとすることもあるが、そこに不健康さはなく、むしろその童顔とのアンバランスさでなんともいえない魅力になっていた。その笑顔は確かに父に似ていはいたが父と違って邪さは感じない。


この愛しい愛娘をあのカスパー帝に差し出すのは痛恨の極みなのだが、それもいくつかの思案が重なりそうせざるを得ないと考えていた。


---


エックハルトは当時の人間も後世の歴史家も指摘しない客観的な事実を確信していた。要するに先帝オトフリート1世は統合失調症だった。「精密にスケジュールをこなした」とは、つまりそれしかできなかったのである。


皇帝政務秘書官を拝命してすぐの例あの会議で違和感を感じ、以後も観察を続けた結果そうと確信した。それを利用して着々と自分の権力を身に着けていったはいいが、やがていくつかの危惧が生まれてきた。


第一にオトフリート1世がいつまで存命するかである。

統合失調症患者がどれほど命を長らえるのかは分からなかったが健常者より長命であるはずがない。エックハルトが急速に権力を拡大していったのはそれが時限的であるとであるという事を知っていたからだった。オトフリート1世が崩御した後にエックハルトの権力を奪いうる力が発生することの予防策として、彼はより強い権力を求めざるを得なかった。


第二にそのエックハルトの権力を奪いうる最大の脅威は次代の皇帝である。

そのためエックハルトはありとあらゆる権謀術数を駆使してついにカスパーを即位させることに成功した。かの青年皇帝なら自分の権力を脅かすことはない。そう思いエックハルトは溜飲を下げた。


しかしここでエックハルトにとって全く想定外の事態が判明する。

なんとカスパー1世は同性愛者だったのだ。


はあ!?


この時エックハルトが感じた驚きと怒りと呆れと恐怖は誰にも共有してない。先代が統合失調症で今度は同性愛者か!大体にして噂ではルドルフ大帝の男児も先天的な白痴とも言われてるしなんなんだこの一族は!劣悪遺伝子排除法仕事しろ!いや仕事するな!俺が死ぬ!


「準皇帝陛下」などと言われていい気になっているのは、逆に言えばエックハルトは

帝位を簒奪する気はなかったからである。


例えどれほど問題があろうと大帝ルドルフが宇宙を統一したのは事実である。その事実があるからゴールデンバウム王朝があり帝王家として君臨しているのである。エックハルトにはそんな力はない。所詮自分は既にある権力を巧く吸い出すだけの小者である。だから寄生先としてのゴールデンバウム帝王家が衰弱されては困るのだ。


憂鬱な気分のまま私邸で酒を飲んでいたらふと巨大な尻が目に入った。


…これだけ立派な尻なら…


カスパー帝は何もしなくていい。黙って天井の染みでも数えていてくれればいい。

あとは全部こちらでやる。その身体に乗っかるのは娘でその権力に乗っかるのは自分だった。


---


「よいか!敵は陛下の宸襟を惑わす不逞な逆臣フロリアンだ!決して他のものに手を出すでないぞ!ましてや陛下が人質になっているも同然!気を引き締めろ!」


まさか今更自分が兵を率いて直接指揮を執ることになるとは思わなかった。しかしこればかりは取り巻きの貴族には任せられない。


---


カスパー帝からフロリアンを引き離すことは不可能だった。

どれほどなだめすかしても絶対にイヤだという。


「出てって!出てってよ!私たちにかまわないで!」

「どうか僕たちに構わないで下さい。カスパーは決して貴方の邪魔はしません」

「…フロリアン…愛してる…」

「…カスパー…僕もだよ…」


皇帝はその女性のような細い腕をフロリアンの首にからませてエックハルトの眼前で接吻したのだった。


同性愛者というよりトランスジェンダーだなこれは。エックハルトは若い皇帝を分析しつつ不可能を悟ったのである。


俺の人生はこの巨大な権力を持て余した精神疾患患者一族と付き合っていくだけなのかな。その「真実の愛」の傍らで三文悪役に成り下がったことを自覚しつつふとそんなことを考えた。


---


発砲は後宮に突入した途端に行われた。


誰が撃てといった!


そう怒鳴るはずの声は口から出ず、代わりに鉄の味が口腔を満たした。状況を把握する間もなく四肢が、身体が、熱く震えた。痛みを感じたのは倒れた後であり、その痛みの意味を理解することなくエックハルトの意識は薄れていった。


エックハルトが最後に見たものは窓辺で寄り添う二人の影だった。


---


後世、悪逆非道の奸臣と言われるエックハルトは、しかし意外なことに暴虐を尽くしたわけではなかった。彼がしたのはあくまで権力そのものを不正に獲得し続けただけであり、獲得した権力内では実は比較的適正な対応をしていたのである。ただし彼への権力集中に伴い零落したものも多く、また彼自身決して清廉ではなかったので、可能な限り自利を得ていたことは間違いない。それ故にエックハルトの周りには彼からのおこぼれにあやかろうという三流の人材しか集まらず、また前述の理由から、彼はたった独りでより強い権力を求めるしかなかったのである。

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