98.ここには野獣ばかりだからね

「ティナはどっちだ?」


 息子は騎士で年上だから後回しだ。面倒くさい理由を付けて娘を優先する父に、執事はそっと扉を示した。開こうとしたとき、大きな物音と悲鳴が響く。


「ティナっ!」


 挨拶もノックも省略したフォンテーヌ公爵クロードが扉を蹴り破り、壊れた扉が派手な音を立てる。後ろから「何事だ」と騒がしく入ってきたのは、バルリングの皇族とシルヴェストル。ソファから立ち上がって、突然の乱入者から彼女を庇う位置で身構えるのはアルフレッドだった。


 敵味方を判断する彼らの前で、悲鳴を上げた私は青褪める。気を失いたいけど、それも無理だわ。震える私の視線の先で、小さな子猫がにゃーと鳴いた。白いブランシュだ。そこまでは問題ない。彼女が運んだ獲物が悲鳴の原因だった。咥えて運んだ獲物を、たしっと前足で押さえて満足そうだ。


 それは黒い昆虫に見えた。得意げな顔で「ほら」と見せびらかす子猫に悪気はない。見つけた獲物を捕らえ、母猫のように愛してくれる飼い主に自慢しにきたのだ。褒めてもらったら満足して持ち帰るか食べるか。どちらにしろ、貴族令嬢には刺激が強すぎた。


 ふらりとよろめいた彼女を咄嗟に支えたのは、一番近くにいた国王アシルだった。伯父であり血族なので、未婚女性に触れても失礼に当たらない。


「アシル殿、我が娘から手を離していただこうか」


「ティナをお渡しください、伯父上」


 凄む父兄の様子に、私も慌てて膝に力を込める。このまま倒れるわけにいかないわ。腰と背を支えてくれた伯父に礼を言って、なんとか一人で立った。途端にシルお兄様に抱き寄せられる。奪うように包まれた状況で、驚いて見上げた兄の顔は厳しかった。


「おやおや、俺が悪者ではないか」


 肩を竦めて両手を肩の高さに上げた伯父アシルが苦笑いする。


 私、無作法だったわね。ぐるりと見回した面々は、大陸の歴史を変えるような人ばかり。バルリングの皇帝陛下と皇太子殿下、隣国ランジェサンの国王陛下と第二王子殿下、我が公国の頂点に立つ父と跡取りの兄……亡国の元王太子妃候補が隣に並ぶなんて、烏滸がましいわ。


 身を引こうとするが、腰に回った兄の手はびくともしなかった。


「ティナ、動いてはいけないよ。ここには野獣ばかりだからね」


「そうだ。危険だぞ」


 お兄様もお父様も、失言が過ぎます。人前で注意することも出来ず困惑の表情を浮かべた私の頭上では、別の戦場が展開していた。


「これはこれは……ランジェサン国王アシル陛下にそっくりですな」


「おや、そちらこそ。バルリング帝国の皇帝陛下かと思いましたぞ?」


 白々しい国主同士の当て擦りが始まる。そんな父親を無視したカールハインツとアルフレッドは、さっさと兄の斜め前に陣取った。己の肉親でも、コンスタンティナに害を為すなら敵と表明した形だ。


「……我が息子はすっかり骨抜きだな」


「うちもそれは同じだ」


 互いの今後の苦労を思い、ひとまず休戦となった。皇帝と国王は互いに挨拶の手を握り合い、一使者としての立場に落ち着く。こんな場所で大陸最高峰の権力者が一堂に揃うのは、他国にとって寝耳に水だろう。


「ふむ、こうなったら互いに腹の内を明かして話すしかあるまい」


「よかろう。よい酒がある」


「まだ時間は早いですが、酒なら年代物のワインを持参しているぞ」


 父親同士、意気投合して盛り上がる。きょとんとした顔の私を連れて、お兄様は足早に客間を出た。慌てて追いかけてきたのはカールとリッド。どちらもやや顔色が悪い。客間から十分離れた部屋に移動し、ようやく兄が肩の力を抜いた。


「あの場にいたら、命がいくつあっても足りない」


「「同感だ」」


 通じ合う殿方の会話に、蚊帳の外に置かれた私は唇を尖らせた。追いかけてきた子猫が、にぃと愛らしく鳴く。手を伸ばして抱き上げたものの、先ほどの光景が頭から離れなくて……いつもより距離があったのは許して欲しい。あの昆虫、どうなったのかしら。

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