92.世界の色が変わり始めた日

 フォンテーヌの名は公国の象徴として残せばいい。血筋や家を頂点に据える必要はなかった。いくつかの家が互いを監視しながら、民のための政を行う仕組みを作りたい。そこに公爵家の繁栄がなくとも、愚かな君主が民を虐げる国にしたくなかった。


 クロードやシルヴェストルが為した独立の功績があれば、数代は公爵家も保たれるだろう。その間に優秀な子が産まれれば、フォンテーヌ家は繁栄する。愚かな選民意識の高い子孫が現れれば、没落する。そこに公国の始祖だからという特権を与える必要はない。


「女神様が望まれたのは、そういうことであろうと……思った」


 勝手に女神の気持ちを慮ったと自嘲する父は、静かに目を閉じる。厳つい顔立ちが穏やかに変わる。その変化は頬に触れた娘の手が起こした奇跡だった。


「なるほど、我が国は貴国と戦わされる可能性もあったのか」


 カールハインツは苦笑した。何か行動を起こそうとする動きは察したが、ここまで大きな動きとは思わなかった。一歩間違えば人質となり、祖国を危険に晒した。それはアルフレッドも同じだ。顔色をなくした2人だが、ジョゼフはゆったり首を横に振った。


「そこまで悪辣ではありません。両国をぶつけるのは最後の最後、我らの作戦がすべて失敗に終わった場合の策でしたから」


 破れかぶれ、滅びるなら諸共に――やり直しも取り返しもつかない事態で、初めて選ぶ悪あがきだ。この公国が形をそのまま残せるなら、隣国とはよい関係を築く必要があった。


「失礼いたします」


 執事のクリスチャンがノックをして声を掛ける。入室を許可された彼は、一通の書状をクロードに手渡した。ただの手紙なら、来客の応対が終わってから持ち込む。だが使者が返答を待つ状況なので対応を伺いに来たのだろう。


「使者が? わかった」


 膝の上のコンスタンティナに見えるよう、そのまま書状を開く。深緑の封蝋がされた紋章はランジェサン王家のものだ。目を見開いたアルフレッドが、そわそわとクロードの様子を窺った。


「ティナはどう判断する?」


「私でしたらお受けしますわ。皆様にも意見をお聞きになって」


 ふわりと笑ったコンスタンティナを、もう人形姫と呼ぶ人はいないだろう。穏やかで柔らかな微笑みは自然に口元を緩ませ、周囲を自然と笑顔に巻き込む魅力を秘めていた。


「よかろう。ジョゼフ、頼む」


 渡された書状を受け取ったジョゼフが、さっと目を通してから読み始める。記されていたのは、スハノフ王家の権限を王妃ルイーズが掌握した事実。それに伴い、ランジェサン王国はフォンテーヌ公国とスハノフ王家の同盟を取り持つ旨が記載されていた。すでに同盟国であるランジェサンとフォンテーヌに、スハノフが加わる形だ。


 世界の勢力図が大きく変わる書状に、カールハインツは決断を迫られた。

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