第19話【寮母長響視点】

【寮母長響視点】

「大変申し訳ございませんでした」

 レベッカの暴力を謝罪するため、レオンさんが男爵に頭を下げます。

 私はその光景を見守ることしかできない不甲斐なさに奥歯を噛み締めました。

 泣き腫らしたエリスとレベッカから事情を確認したレオンさんの行動は迅速でした。

 彼女たち二人を宥めるよう私に言い残し、どこかへ出かけようとします。

 ……はぁ。この人はいつもいつも。

 どうして一言「一緒に着いて来い」と言ってくださらないのでしょうか。

 一人で謝罪しに行こうとするレオンさんには感謝と尊敬の念を抱いていますが、私の負担を最小限に抑えようとする心遣いは残念でもあります。

 彼は院長に就任してからというもの、孤児のことを第一に考えて行動します。

 さらになぜか私に対して紳士的に接してくださいます。

 まるで絹に触れるかのような――女性を扱うような言動なのです。

 私は鬼です。殺人鬼でもありました。

 そんな私の過去をレオンさんは知っています。いくら斬り捨てたのが悪人といえど、返り血を浴びて笑みを浮かべていたような女です。

 いえ、女というのは生物学上の分類であり、正確に表現すれば私なんてただの鬼でしょう。

 なのに。

 なのにレオンさんは孤児の娘たちと同じ――自分で言うのも恥ずかしいですが――それ以上に扱ってくださいます。

 どう表現すればわかりやすいでしょうか。

 そうですね、自分はとてもいい女なのだと、つい錯覚してしまうほどです。

 正直に言えばその――嬉しいです。レオンさんに女として見てもらえる――いえ、彼はとても殿方ですから勘違いしないようにきつく言い聞かせているのですが――ついつい、レオンさんとクウが作った姿見を見つめてしまいます。

 姿見――鏡は孤児院にあるのですが、つい秘密でクウに頼み込んで自宅に持ち帰っていることは墓場まで持っていくつもりです。

 子どもとはいえ、同じ女ですからレオンさんに色目を使っていることは――いえ、けっ、決してやましいことは考えていませんよ?――すぐにわかるらしく、彼のいないところで「響さんがまた綺麗になっているわよ」などとヒソヒソ話しています。

 鬼は五感に優れているので音を拾ってしまうのです。

 そんな彼の愛すべき欠点は一人で抱え込んでしますことでしょうか。

 優しい性格に甘えて、執務を全て任してしまっている私が言えた口ではないのですが、もっと気さくに、気軽に、女房役として相談していただきたいのです。

「ダメです! 私も連れて行ってくれるまで絶対に離しません!」

 まるで家に帰宅するかの軽い感じで出ていこうとするレオンさんの腕をがっしり掴みます。

 油断するとすぐにこれです。

 今日という今日は離しません。

 同行させてもらうまで絶対に離すつもりはありません。幸い私は鬼なので腕力には自信がありました。

 失礼を承知で――誤解を恐れずに申し上げればレオンさんは頭脳派です。

 性格上、戦闘や肉弾戦は好まないのでしょう。腕はそこまで大したことがありません。

 そういう意味では守ってあげたくなる男性と言えるでしょう。

 さあ、離しませんよ覚悟してくださいね。

 レオンさんは苦笑を浮かべます。

 内心、逃さないと言わんばかりに腕を引き寄せる私のことを面倒な女だと思っているかもしれません。それは考えたくないですが。

 彼は私の気を悪くしないよう笑みを浮かべてこう言います。本当はチカラづくで振り払いたいに違いありません。

「一人で行かせてください」

「ダメです」

「離してください」

「ダメです」

「ここは私が――」

「レオンさんが何と言おうが絶対に離しません」

 気がつけば腕を三時間ほど掴んでいました。その現実にさすがの私も引きました。

 その間中、レオンさんはずっと穏やかな笑みを浮かべていました。まるで駄々をこねる孤児に接するような――困ったようで嬉しくもあり、幸せを感じさせる温かい笑みでした。

 ……女は子宮で恋をする生き物。

 見聞きしていたその言葉をようやく本能が理解したような気がしました。

 またしてもレオンさんは私に女としての感情を抱かせました。

 普通、三時間もの間拘束するような女にここまで寛容になれるでしょうか。

 ましてやレオンは私に負担をかけないよう一人で行こうとしてくださっているのです。

 にも拘らず、それを他ならぬ私が邪魔しようとしている。一般男性なら怒鳴り声を上げてもおかしくないでしょう。

 いえ、そもそもこの世界は男尊女卑ですから、自ら謝罪に向かうという殿方自体稀です。

 不謹慎――ありがた迷惑なことをしているにも拘らず、押し問答をしているとき、私は幸せな気分でした。子宮がきゅんとしていることを自覚します。

 恥を承知で告白すればもっとこうしていたかったほどでした。

 最終的にレオンさんが折れてくれることになりました。

「わかりました。私の負けです。一緒に着いてきていただけますか」

「はい!」

 私は時と場合も考えず嬉しそうな声音で答えてしまいました。

 はっ、恥を知りなさい響!

 今の反応はダメじゃないかしら⁉︎

 レオンさんに失望されてしまったのではないかと内心ヒヤヒヤしました。

 そのあと、レオンさんの言葉は理解はできてもなかなか納得できるものではありませんした。

 なんと彼は自分が男爵に手を出されても絶対に止めに入らないで欲しいと頼み込んできました。

 おそらく私が鬼であり、参戦することの危うさとできるかぎり迅速に事態を収めるためでしょう。

 自身が怪我を負ってもエリスの法医術があるからという趣旨の話を聞いたとき、複雑な感情が芽生えました。

 一つめは単純にレオンさんの心配です。

 むしろ、あえて男爵に暴力を振るってもらうまで考えている、とおっしゃられたときはさすがの私も彼の叡智に呆れたものでした。

 二つめは怒りです。これはレオンさんと己に対してですが。

 レオンさんが孤児や私のことを大切に想ってくれていることはとても嬉しいことなのですが、私たちの気持ちを蔑ろにしていることです。貴方が大切に想っているように私たちも大切に想っているのですから。

 そしてレオンさんの覚悟を前にして何もできない自分の不甲斐なさに怒りを覚えました。

 三つめは――これは本当に褒められたものではありません。正直に言えばこの感情を自覚したとき嫌悪感を抱きました。嫉妬です。

 私はレオンさんがエリスのことを頼りにしている――エリスがいるから大丈夫だと説得する姿にドス黒い感情を芽生えさせていたのです。

 これには自分自身、本当に失望しました。

 やがて男爵の元に到着すると、全身を舐め回されるような――視界に入れられることさえ気持ち悪い視線のセクハラを受けました。

 この視線は私を女として見ているのではなく、愛玩動物や性処理としてのそれでした。

 レオンさんの視線とは全く異なります。そもそも彼は私の目を見て話してくださいます。

 私が孤児のみんなと遊んでいるときに視線を感じることもありますが、おそらくそれは寮母と孤児が仲睦まじい光景を眺めているのでしょう。

 仮にそういう視線であったとしても、レオンさんも男性ですから――正直に言えば嫌ではありません。むしろ大歓――ごほん。いけませんね。彼のことになると鬼ではなく女の一面が色濃く出てしまいます。身の程を弁えないと。

 さて、『土下座』するレオンさんの頭を踏みつける男爵。殺人鬼としてのスイッチが入ります。

 レオンさんから「絶対に手を出しちゃいけませんからね?」と念を押されていなければ斬りかかっていたことでしょう。

 それを孤児のみんなの笑顔とレオンさんを脳内に浮かべて必死に我慢します。

 後で気づきましたが、握りしめる拳が強すぎたのか、爪が掌に食い込み出血していました。

 やがて男爵は再び私を色目で見てきました。ドブガエルの舌で舐められたような気持ち悪さです。

 しかしレオンさんが頭を踏みつけられても一切動じなかったのです。伸ばされた手が頬に触れるぐらいのことは耐えなければいけません。

 屈辱を覚悟した次の瞬間、

「気安くレディに触れないでいただきたい」

 パシッと男爵の手首を握りしめるレオンさん。

 少女時代。私がまだ人斬り鬼として生きていく覚悟を決める前のこと。

 血を好む鬼の分際で、お嫁さんになりたいという夢を持っていた当時。

 憧れていたシチュエーションでした。白馬の王子様に守られたい。女性のみなさんならきっと理解を寄せてくれると思います。

 さっきまで好き放題にやられていたレオンさんは嘘のように機敏な動きで嫌な手を遮ります。

 まるで俺のものに触れるなとでも言ってくださっているかのような後ろ姿です。

 ……あれ。レオンさんの背中ってこんなに大きかったでしょうか。

「どうやらあの子にしてこの親あり、というわけですね。教育がなっていない。レディは絹のように大切に扱わないと――ぐはっ!」

 レオンさんが殴られました。

 その光景にさっきまで抑えていたものが一気に爆発しそうになりました。

「私に触れるな! 孤児院の院長風情が調子に乗りよって!」

 ドゴッ、バスッ、ドンッ!

 奥歯を噛み締めます。ここで手を出すわけにはいかない。それはレオンさんからの話で理解しているつもりです。

 ――正当防衛。

 ぎゃあー、痛い、やめて、もうライフはゼロよ、とレオンさんは叫びながらも男爵が言い逃れできないよう確固たる証拠を録画するよう私に言い含めていました。

 きっと多少は演技も入っているのでしょう。

 これはレオンさん考案のプランB。

 正式名称は『窮鼠猫を噛む』やられたらやり返す千倍返しだ、作戦だそうです。

 子どもたちの問題は所詮子どもたちがやったこと。しかし、理性を働かせなければいけない大人になれば事情は変わってくる、というものでした。

 いくら相手が爵位持ちとはいえ、平民に罵倒を浴びせ、あまつさえ暴力を振るえば言い逃れはできないと、レオンさんはそうおっしゃっていました。

 もちろん爵位が高い相手なら揉み消される可能性もあるとのこと。

 しかし名誉貴族である男爵であれば今後エリスに手出しできないよう、やり方はいくらでもあるとおっしゃられていました。

 証拠の録画。それが魔道具を渡されていた私の役割です。

 ですが、この作戦を説明されたときと同じ気持ちが強く芽生えてきました。

「もっとお体を大事にしてください!」と。

 ――ブチッ!

 抑えていたものが切れた瞬間でした。

 私のレオンさんになにをしているのでしょうか。

「喉を切ったらどうなるか――ご存知ですか?」

 袋に入れて背負っていた剣を取り出し男爵の首筋に向けます。

 ガマガエルの血など死んでもごめんですが――レオンさんに免じて特別に飲み干して差し上げましょうか?

 しかし、レオンさんの慌てふためく様子が視界に入り、かろうじて理性を取り戻します。

 ……可愛い。

 私は拳だけで制裁を加えることにしました。久々に飛び散る血に鬼としての本能が覚醒し、楽しくなってきました。

 あは……あはははは! 血だ! 血祭りだ! 死ね! 死ね! レオンさんに手を出したカエルは惨たらしく死ねええええ!

 気がつけば私は鬼人化していました。

 はっと、意識が戻ったのはレオンさんが私に抱きつき、「これ以上はダメですよ響さん!」と叫んだときでした。

 ――やってしまいました。

 私の暴走が止まるとレオンさんは尻もちをつきます。

 確認すると全身が砂と埃で汚れ、傷まみれでした。私はリディアのような魔術やエリスの法医術を発動できません。

 それがとても悔しかったのですが――、

「――やり過ぎです響さん。お詫びに肩を貸してもらいますよ」

「……はい。ごめんなさい」

 

 ☆


 約束通り肩を貸すとレオンさんと密着します。色々と台無しにしておきながら嬉しくなってしまうのは本当に不謹慎だと思います。

 ですが、彼の優しい気持ちが体温を通して流れ込んでくるようでした。

 何度も何度も謝罪する私に「もういいですよ。そんなに謝りたいならお嫁さんになってもらいますよ?」

 と笑みを浮かべながら冗談を口にします。

 血祭りにした女を欲しがる殿方なんで一体どこの世界にいるでしょうか。

 ですがレオンさんは私が肩を貸してからというもの、どこか嬉しそうに、穏やかな言葉をかけてくださいます。

 一体、どこまで懐が広いのでしょう。もしこれが冗談でないなら「末長くお願いします」と口にして押し倒しているところです。

 レオンさんの子ども――鬼と人間のハーフになるのでしょうか。なかなかにやんちゃに育ちそうです。

 さすがの私もこれ以上幻滅されたくないので、グッと我慢して必死に下心を隠します。

 それにしてもどうしてレオンさんは嬉しそうなのでしょうか。

 いえ、これが私をこれ以上落ち込ませないよう慰めであることは十分理解しているつもりではあるのですが。

「もう。はぐらかさないでください。私は真剣に言っているんです」

「……そっ、それじゃ今度響さんの家で手料理を振る舞っていただきましょうか」

「…………えっ?」

 咄嗟に言われたことの意味が理解できずに反応が遅れてしまいます。

 レッ、レレレオンさんが私の家に……?

 そっ、そそそれって……。

 ……はぁ、本当に嫌になりますね。レオンさんと出会ってからというものずいぶんはしたない女になったものです。

 決していかがわしい意味はないはずなのに、私の脳内の妄想はピンク一色――モザイクが必要なそれでした。

「……最低です」

「ですよね!」

 あっ、今私言葉に出してしまっていたでしょうか⁉︎ いけません、すぐに訂正しないと――、

「お父さんどうしたの、なの! 怪我をしているの、なの!」

「れっ、レオン様⁉︎ すっ、すぐに法医術を――」

 否定する暇もなく、気がつけば私たちは孤児院に到着していました。

 私が着いておきながらボロボロになったレオンさんを見てクウとエリスが真っ先に駆け寄ってきました。

 ……状況が状況だというのに二人きりの時間が終わったことを残念に思うと同時に結局私はレオンさんの邪魔をしただけではないかという現実に打ちのめされていました。

「心配させてごめんね。でも大丈夫。ただのかすり傷だから。そんなことよりも――レベッカ。少しだけいいかい?」

 二人の頭を撫でながらレベッカを呼ぶレオンさん。

 どうやら帰路を歩く途中、相談されていた彼女の人生を左右する行動に移られるようです。

 レオンさんの背中を押したのは他ならぬ私。どうやら覚悟を固めなければいけないようです。

 

 ――レベッカに剣術の鬼修行を施し、レオンさんを守る剣士に育てあげることを。

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