第10話【大商人シオン視点】
【大商人シオン視点】
これは私たちが孤児院を巣立つ前のこと。
「シオン? 少しよろしくて?」
「なにかしら?」
「なにかしら、ですって? 王都で最も勢いのある商会代表がずいぶんと気の抜けたことをおっしゃいますのね?」
「……もしかしてわたしは次期女王からケンカを売られているのかしら?」
私を呼び止めたレティファの第一声にカチンときた私は声音に棘が混じってしまう。
イライラの原因ははっきりしている。
私たちの卒院が迫っているからよ。
この孤児院は寛大なレオン様が運営していることもあり、私たちの自由を束縛するようなルールはない。
ただし、唯一にして絶対のそれがある。
十六歳になった孤児は巣立たなければいけない、というものだ。
こんなことは言うまでもないことだけれど、神セブンをはじめ、孤児のみんなはレオン様の元を離れたくない。
もっと一緒にいたい。もっと近くにいたい。隣に寄り添って彼の寵愛を受け続けたいと誰しもが強く願っている。
それは言葉の魔術師であるレティファも同じ。
彼女は特殊な事情の持ち主で、ある日突然王族であることが判明し、王位継承権を得ることとなった。
そんなレティファは得意の人身掌握を使ってレオン様に直談判したことがあった。
唯一にして絶対のルールを撤廃して欲しいと嘆願しにね。
どうやらレティファは『王位継承権を辞退する』ことまで視野に入れていたらしい。
結果、二時間にも及ぶ舌戦は彼女の惨敗に終わった。
レオン様は孤児院に残りたいみんなの気持ちに感謝し、歓喜しながらも、ルールの変更を決して譲らなかった。
「私だってみんなとの別れは悲しい。だがこの孤児院はもはや檻だ。上を見てくれレティファ。透き通るような空がある。君たちは羽ばたくことができるんだ。才覚に恵まれた者はその才を発揮する義務がある。薄情な私を許してくれ。この通りだ」
レティファとレオン様の会話を最後まで盗み聞きしていた私たちは涙を抑えることができなかった。
私たちは一体この人からどれだけの愛を注がれてきたのだろう。
涙を浮かべ、鼻声混じりになるレティファの悲しみにレオン様は胸が締め付けられたように苦しそうな表情と声音で向き合っていた。
きっと誰よりも辛いのは、悲しいのは、苦しいのは――私たちを全員を育て上げてくれたレオン様の方だ。
本当は離れたくないに違いない。
レオン様はレティファの目尻にたまった涙を指ですくうようにして続けたわ。
「君たちにとってこの孤児院は檻になってしまった。けれど同時に鳥かご――『家』であることには変わりない。疲れたときや私や響さんの顔を見たくなったらいつでも好きなときに帰って来なさい。私はいつまでもここで待っているから」
その言葉を聞いたとき、私たちは涙を堪えることができなかった。盗み聞きしていることも忘れて泣き叫んでしまったわ。
この人に拾われてよかった。この人に育ててもらって本当によかった。この方と出逢えて私はなんて幸せ者だったのだろう。
胸に熱いものがこみあげてくるのを抑えられない。
これだけの強い想いを聞いてしまった以上、駄々をこねるわけにはいかない。
本当はすごく、すごく嫌だけれどここを巣立つしかない。それが他ならぬレオン様の願いなんだから。
だからこそその日が近づくにつれて私たちの気は立ち、ピリピリとしてしまう。
本当は喜ばないといけないはずのカウントダウンは命を削られているような気分だった。
レティファは私の買い言葉に「はぁ……」とため息をついてから続ける。
「まさかシオン商会の代表者はお別れ会をレオン様にさせる気ですの?」
「⁉︎」
その言葉に私は鈍器で頭部を殴りつけられたような衝撃を覚えた。
「あの方は本当にお優しい方。必死に隠し通せているとお思いでしょうが――この孤児院の孤児として最後の思い出を残すべく、私たちのためにポケットマネーで色々と買い漁っておりましてよ」
「……うそ、よね? そんな素振りレオン様は一度も――」
ようやく私はレティファが声をかけてきた真意を察した。
ここ数日間、私はレオン様と別れたくない故に生きた心地がしていなかった。
心に余裕がなく視野が狭まっていたことを認めざるを得ない。
「間違いなくこれが神セブン全員が孤児として参加する最後のイベントとなりますわ。迫る別れの日を指を咥えて待っている気ですの? 王女であるわたくしが準備してよろしくて?」
「……レティファ」
私は知っている。
レティファが落ち込んでいるみんなを励まし始めていることを。
本当は自分だって辛いはずのなのに王女として振る舞う姿はやはり嫉妬を覚えてしまう。
お別れ会。
パーティーの開催は商人の腕の見せ所。
それをわかっていてレティファは私を鼓舞してくれているのね。
集大成を見せなさいと。商人として育て上げてくれたレオン様にその成長を見せつけて安心させなさいと。
彼女は暗にそう言っているの。
「よろしいですかシオン」
そう言って私の両手を握りしめてくるレティファ。女の私でさえネジが外れてしまいそうないい匂いと気品が漂っている。
これほど美しく育った少女が暗に迫っても靡く様子を見せないレオン様は本当にすごいわね。また感心してしまうわ。
「わたくしたちはレオン様にたくさんの愛情を注いでいただきました。他ならぬあの方が笑って欲しいと、楽しんで欲しいと願い、見送ろうとしてくだっているのですのよ? その期待に応えなくてどうするんですの? 涙を見せるのはこれで最後にしなさいシオン。せめて最後はとびきり幸せそうな笑顔を浮かべてこの孤児院をみんなで巣立ちましょう」
気がつけば私はレティファに抱きつき、一生分にも思える涙を流していた。
もう二度とレオン様に悲しい顔は見せない。泣き顔を見せて困らせたりなんかしない。涙を流すのはこれが最後。
そう決意して、わんわんと泣き叫ぶ。
そんなみっともない姿にレティファは優しく抱きしめ、背伸びしながら頭を撫でてくれる。
体温を通してレティファの感情が流れこんでくるようだった。彼女も辛くて、悲しくて、寂しいのに。
でも、王女として――わたしたちの姉としていつも気にかけてくれていた。
本当は私が背伸びして大人の女性を演じていることも何もかもお見通し。
敵わない。
でも、私はもうただの泣き虫で、投げやりで、喚き散らすことしかできない女じゃない。
私にはシオン商会代表としての顔がある。
今でこそ孤児院は神セブンたちが才能の対価として得たお金で回っているけれど、レオン様が院長になったときは本当に貧乏だった。
だからこそ。だからこそ――。
この催しだけは絶対に貧しい思いをさせるわけにはいかない。
みんな成長したのよ、って。もう大丈夫だからね、って。言葉じゃなくて行動で証明しなくちゃいけない。
「うっ、ぐすっ……もう大丈夫よ」
「あら? もうよろしいのでして? ふふふ。久しぶりなのですからもっとわたくしの胸で泣いてもよろしくてよ?」
お姉ちゃん風を吹かせてからかってくるレティファ。私は神セブンの中で最も才覚を発揮するのが遅かった。
けれど彼女はレオン様と同じく決して見限らなかった。見捨てないでずっと待ってくれていた。
「約束するわレティファ。みんな笑顔の楽しいお別れ会にしましょう。巣立つことが全然寂しくない、悲しくないと思えるようなそんなパーティに」
「ええ……期待していますわよ」
私はすぐにレオン様の執務室へと向かった。
勢いもそのままにノックもなしに扉を開けると、
「えっ、ちょっ、なっ! どっ、どどどどうしたシオン⁉︎」
突然、怒涛に入室したものだから、両目を剥いて驚くレオン様。
やっちゃった、と思うよりも早く、彼の手元に視線が吸い寄せられる。
幼い頃、よくみんなで作った輪っか。それを折り紙で作っているところだった。
それを視認した瞬間、つい先ほど泣き枯らしていたと思っていた涙がまた溢れてくる思いだった。
レティファの胸を借りていなければ危なかったわ。きっとわんわんと泣き喚いていたに違いないもの。
ああ、彼女の言っていたことは本当だった。
お金ならもう、たくさん預かっているはずなのに――なのに昔みんなでやったパーティと同じ飾り付けを……。
ああ、ダメね。もう私はこの人のことしか考えられない。男なんてレオン様か、それ以外か。それしかない。
もしもこの想いを明かすことができる日が来ないなら、一生を独り身で過ごそう。
そう誓った私は、勢いそのままに机をバンッと叩いてこう叫んだの。
「レオンちゃんの手を煩わせるわけにはいかないから私にお別れ会の幹事をさせてもらえるかしら⁉︎」
「……ぐっ。わかった。シオンに任せよう」
「レオンちゃんは何もしなくていいから!」
「ええっ⁉︎」
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