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 石川県白山市上空、二万フィート。


「コンタクト。ワンボギー、テン・サーティ、レベル、ワンジロ マイル(レーダーに反応。一不明機、十時半の方向、同高度、距離10カイリ)」


 小松基地第306飛行隊、神保じんぼ二尉(TACネーム:サム)は無線で報告する。


「ザッツ ユア ターゲット。アプローチ アンド メイク ヴィジュアル アイディ。ヘディング ワン・ナイナー・ツー(それが目標だ。接近して目視で識別せよ。針路 192)」


「ヘディング 192。アプローチ ターゲット アンド メイク ヴィジュアル アイディ」


 復唱してDC(防空指令所)との通信を切った神保二尉は、チャンネルを切り替えて僚機の桜井二尉(TACネーム:スラップ)に呼びかける。


「スラップ、行くぞ。ゴー バスター(最大戦速)。ヘディング ワン・ナイナー・ツー」


「ツー(2番機、了解)」


 桜井二尉の応答を聞いた神保二尉は、乗機F-15Jの翼を翻し、磁方位192に機首を向ける。


 石川県と岐阜県の境を成す標高二千七百メートルの白山の頂は、未だに白い雪に覆われていた。日本百名山にも選ばれているその姿は、青空と見事なコントラストを成していたが、今の神保二尉にはそのような美しい風景に心を奪われている余裕はなかった。


 状況はかなり危機的だった。国籍不明機が、いきなり日本の領空、それも石川県上空に忽然と現れたのだ。どこから飛んできたのか全くわからない。それは本当に突然にレーダーに捉えられたのだ。さらにそれは岐阜方面に向かっている、という。小松基地のごく近くなのは幸いだった。スクランブル発進した彼らは、二分と経たない内に目標を捕捉していた。


 いったい、何物だ……?


 フライトプランを提出してない民間機だろうか。しかし、それにしてはえらく高度が高いし、スピードも速い。この高度を300ノット以上の速度で飛べる軽飛行機なんて、そうはないはず。


 まさか……UFOとかじゃないだろうな……?


 神保二尉は背筋に寒いものを感じるが、すぐにそれを無理やり振り払う。どうせどこかの金持ちのビジネスジェットかなんかだろう。ったく、人騒がせなヤツだ……


「タリ―。ツーオクロック、ロー(目標視認。二時下方)」


 それを見つけたのは、桜井二尉の方が早かった。神保二尉の視界にもすぐにそれは飛び込んでくる。


 二時方向、はるか遠くの空に黒い機影があった。


「スラップ、ヨーヨーでヤツの六時ケツにつくぞ」


「了解」


 二機の F-15J は次々に急上昇する。彼らは目標よりも200ノットほど優速だった。上昇で速度を殺しつつ、機体を捻りこんで背面から下降に転じる、ハイスピードヨーヨーと呼ばれる機動である。二機は目標の後方上空にピタリと占位する。


 目標はレシプロエンジンの双発中型機だった。必死に回避を試みているが、F-15Jを振り切るまでには至らないようだ。


「サム……これ、なんだ?」


 桜井二尉の声は明らかに混乱していた。


 目標の無塗装の銀色の胴体に大きく日の丸が書かれている。軍用機でもない限り、こんなに大きく日の丸をマーキングするような機体はない。しかし、陸・海・空のどの自衛隊にもこのような航空機は存在していないはずだった。


 ただ……確かにどこかで見たような気がする。神保二尉は遠い記憶をたどってみる。しかし、どうしても思い出すことはできなかった。


「俺にもわからん……だけど、日本の機体みたいだな。日本語で呼びかけてみるか」


 神保二尉は無線をVHFの国際緊急周波数に合わせ、送信ボタンを押す。


「こちらは航空自衛隊です。応答してください」


 数秒待つが、応答はない。念のために英語でも繰り返してみたが、状況に変化はない。周波数をUHFに切り替えても同じことだった。


「そもそも無線が使えないのか?」


 目標は回避をあきらめたのか、今は水平飛行をしているだけだった。神保二尉は目標のキャビンが見える位置まで機を進める。手を振って注目を集めようとするが、パイロットの反応はない。胴体の中ほどにもキャビンがあるが、そこにいる乗員クルーも同じだった。


 しかも……その乗員たちの格好の、なんと前時代的なことか。神保二尉は呆れる。飛行帽にゴーグル、旧式な酸素マスク……まるで旧日本軍のパイロットみたいじゃないか。コスプレでもしてんのかよ……


 ……ちょっと待て。旧日本軍?


 その瞬間、彼の脳裏に、その機体の名前が閃く。


 子供の頃にプラモデルを作ったことがある。第二次大戦中に作られた中で最も美しい軍用機、と言われていた。大好きな機体だった。その名前は……


「まさか……一〇〇式……新司偵……?」


 そうだとしても、確かこの世に現存する新司偵は、イギリスの博物館にある一機だけ。こんなところを飛んでいるはずがない。


「嘘……だろ……?」


「おい、サム、どうしたんだよ」桜井二尉だった。


「スラップ、お前、一〇〇式司令部偵察機って知ってるか?」


「ひゃくしきぃ? って、あの金ピカのモ○ルスーツか?」


「その元ネタになった、大戦中の陸軍機だよ! てめぇ、ファイターパイロットのくせに知らねえのか?」


「悪いが大戦機には興味ないんでな。で、その一〇〇式がどうしたって?」


「このターゲットが、まさにその一〇〇式司偵なんだよ」


「はぁ? お前、正気か? なんで日本の大戦機がこんなところを飛んでんだ?」


「それが分かれば苦労しねぇよ!」


「見間違えじゃないのか?」


「分からん……が、多分間違いない。胴体の中途半端な位置にキャノピーがあるだろ? あれは写真撮影員のためのキャビンだ。あんなところにキャビンがある機体は……新司偵しかないと思う」


「どうせどこかのマニアが、コスプレしてレプリカ機に乗ってんじゃねえの?」


「……」


 その可能性は否定できない、と神保二尉も思う。だが、この機種のこれだけ完璧なレプリカが作られた、という話は聞いたことがない。まさか……本物の、新司偵なのか……?


 そうだとすれば、ヴィクターでもユニフォームでも通信できないのも当然だ。大戦中にそれらの周波数で通信できる無線機はさすがにないだろう。


 とは言え、HF(短波)でも一通りスキャンしてみたが、全く引っかからない。考えてみれば、偵察機は隠密任務が主だ。任務中は無線封鎖が常だろう。


 しゃあない。発光信号しかないか。


 神保二尉はフラッシュライトを目標のキャビンに向け、カタカナのモールス信号を送る。


 "ワレ ニ ツヅケ。シタガウ ナラ バンク 1カイ シタガワヌ ナラ 2カイ"


 そして。


 神保二尉は、確かに、目標が一回翼を振るバンクのを見た。


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