一〇〇年の邂逅

Phantom Cat

プロローグ

 両舷エンジン、油圧、油温ともに正常。アイドリングの回転数はどちらも毎分千回転で安定。


 小室少佐は手信号ハンドシグナル車輪止めチョークを外すように地上要員に伝える。


「池田、後席問題ないか?」」


 地上要員が十分離れたのを確認して、少佐は伝声管の蓋を開けて言う。


「問題ありません、少佐」伝声管から後席乗員、池田曹長の声が返ってくる。


「よし、行くぞ」


 その言葉をきっかけに、少佐は左右のスロットルレバーを同時にゆっくりと押し込む。アイドリングからの急激なスロットル操作はプラグのカブリを招き、最悪エンジンを止めてしまうのだ。


 回転数が毎分二千回転に。少佐の両足のつま先がブレーキペダルから離れると同時に、機体はゆっくりと動き出す。


 全長 11 メートル。翼幅ウイングスパン 14.7 メートル。1500馬力のレシプロエンジンを二つ備えたその機体の試作名称は、キ46-IV。


 制式名称、一〇〇式司令部偵察機。通称「新司偵」。


 旧式化した陸軍九七式司令部偵察機の後継機として、昭和十五年……皇紀二千六百年に制式採用となった。同じ年に制式採用になった海軍の戦闘機が、有名な零式艦上戦闘機――いわゆる零戦である。


 新司偵は高速飛行に特化した、流線型の美しい機体だった。最高速度は毎時 650 キロメートル。これを超える速度を出せる、実用化された機体は陸海軍通じて存在しない。しかし、昭和十八年に高速研究機キ78「研三」が出した日本記録、毎時699.9キロメートルには及ばない。


 各務原飛行場の滑走路の上には曇り空が広がっていた。しかし雨にはなりそうにない。雲底高度シーリングは一万フィートというところか。小室少佐がそう見積もった時には、既に新司偵は滑走路の西端に到着していた。機首を滑走路に向け、少佐はスロットルを離昇位置に入れる。


 エンジン音が高なり、新司偵は離陸滑走を開始する。しかし、いつもよりエンジン音が若干くぐもって聞こえるようだ。新装備の排気タービンのせいだろうか。ブーストがかかる反応も一瞬遅れる。小室少佐はやや不安になるが、すぐに思い直す。


 この新装備が真に威力を発揮するのは、高度三万フィートの上空なのだ。まだ結論を出すのは早かろう。そもそも、これはそれを確かめるためのテスト飛行なのだから。


 対気速度が機首上げローテーション開始の一六〇ノットに。小室少佐は操縦桿を引きよせる。速度を殺さぬように、ゆっくりと。


 主脚が滑走路面を離れ、機体が空中に浮かぶ。新司偵はそのまま浅い角度で上昇し続け、やがて緩やかに右旋回する。


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