家を追い出された担任教師が、俺の家に泊まりに来た件について 〜先生と生徒の同棲生活〜

ヨルノソラ/朝陽千早

担任が泊まりにきた


「お願い黒木くろきくん、しばらく家に泊めてくれないかな!」


 人生何が起こるかわからないというが、本当にわからないのだと悟ったのは、十月中旬の土曜日のことだった。


 インターフォンが鳴り玄関を開けると、そこには担任の花宮はなみや先生がいた。捨てられた子犬のように潤んだ瞳で、両手にはダンボールを抱えている。


 俺はパチクリとまぶたを瞬かせ、少しの間呆然とすると、


「ちょ、ちょっと無言で扉閉めないで! せめて、せめて話だけでも聞いて!」


 花宮先生は器用につま先を滑り込ませて、ドアが閉まり切るのを阻止してくる。


「いやすみません先生、聞きたくないです。絶対関わらない方がいい感じだと思うので」


「そんな冷たいこと言わないで。お願い、黒木くんしか頼れる人がいないの!」


「俺しかって言われましても……」


「……う、うぅ……」


 花宮先生は、目尻に涙を溜め込むと、困り果てた表情を浮かべる。


 大の大人が、今にも泣き出しそうになっている現状。さすがに見過ごすことができず、俺はドアノブを掴む手を緩めた。


「……分かりました。取り敢えず入ってください」


「あ、ありがとぉ」


 花宮先生は鼻声で感謝しながら、玄関へと足を踏み入れる。


 花宮先生は、部屋に入り腰を下ろすと、目尻に浮かんだ涙を指で拭き取る。

 俺はお茶を淹れたコップをテーブルに置き、花宮先生の対極に膝をついた。


「で、一体何の話があるんですか……。さっき妙な事言ってた気がしますが」


「あ、うん。話というか、黒木くんにお願いなんだけどね」


 花宮先生は、そう言って前置きすると、俺の目を真剣に見つめて。



「先生、家を追い出されちゃったの。だから、しばらくの間、黒木くんの家に泊めてくださいっ」



 と、深々と頭を下げて真面目なトーンで言ってきた。玄関先で開口一番に言ってきたこととほとんど同じ内容だ。


 聞き間違いの可能性をわずかに期待していたが、そう上手くはいかないらしい。


「家を追い出されたって、どういう事ですか?」


「家賃を滞納してて──ついに、大家さんにブチ切れられたの。そしたらあれよあれよと言う間に帰る場所が消失して」


「なるほど、自業自得ですね」


「返す言葉もないです……。それで帰る場所がないので、しばらく黒木くんの家に泊めてもらえないかなぁ……と」


 花宮先生は、申し訳なさそうに頬を指で掻きながら上目遣いで俺を見つめてくる。


「いや、絶対に嫌ですけど。なんで俺が先生を家に泊めなきゃいけないんですか」


「だ、だってウチのクラスで一人暮らししてるの黒木くんだけなの。親御さんがいるご家庭に泊めてなんて言えないでしょ? だから――」


「いやいや、親の有無以前の問題でしょ! 教え子の家に泊まるって発想がどうかしてます。狂ってます。多分、法律か条例に引っ掛かりますよ」


「そんな正論で封じ込めないでよ。私ほんとに困ってるの! もう行く当てがないの! 黒木くんしか頼れないの!」


「知るか! 大体、俺を頼る前に先生の実家に帰るとか、友達の家泊まるとか、他にもっと手段あると思うんですけど」


「地方育ちだから、親も友達も近くに住んでないの。ほんとに頼れるの黒木くんだけなんだよぉ」


 家を追い出され路頭に迷った結果、この先生は俺しか頼りの綱がなかったらしい。


 なんというか、哀れだ。本当に哀れだ。


「だったら同僚……他の先生の家に泊まったらどうです?」


「住所がわかんなくて」


「は?」


「他の先生の住所なんて分かんないよ」


 ……あぁ、そういうことか。


 俺の家の住所は、個人情報として生徒名簿に記載されているはずだ。担任である花宮先生なら、知る手段があったのだろう。


 だが、同僚の先生の住所までは知る由がない。


 だから、俺のところに来たってわけか。


 俺はジトッと半開きの瞳で、胡乱な視線を向ける。


「花宮先生。今更ですけど、職権濫用ですよねこれ」


「うぐっ」


「警察に相談にしたら普通に事件化しませんかこれ」


「て、てへっ♪」


 花宮先生は頭にごつんと拳を当て、あざとらしく小首を傾げる。いや、笑い事じゃねぇからな。


「はぁ……まぁ、花宮先生が切羽詰まってるのは分かりましたけど」


「ほんとっ! じゃあ──」


「でも家に泊めるのは話が別です。ウチ、一Kで全然広くないですし、寝る場所とかだって」


「大丈夫。壁と座れる場所さえもらえれば、どこでも寝れるから!」


 花宮先生はグッと両の手を握りしめ、力説する。


 冗談ではなく、本気で寝れそうだなこの人。神経図太そうだし。


「それなら漫画喫茶とか行ったらどうですか。座って寝れるなら、漫喫で十分かと」


「お、お金があればそうしてるよ」


「は? 漫喫行くお金もないんですか?」


「……こちらが全財産になります」


 花宮先生はスッと財布を差し出す。


 恐る恐る中身を確認すると、諭吉はおろか英世の姿もない。全部合わせて、三五一円しか入っていなかった。


「今時、小学生でももっと持ってますよ」


 花宮先生は遠い目をしながら。


「滞納してた家賃を払うために、ほとんど全額使っちゃったの……」


「滞納してた家賃払ったんですか?」


「うん。家にあるものとかほとんど売り払ってね」


「だったら、なんで追い出されてんですか。一応支払い義務は果たしてるじゃないですか」


「今月分が払えなくて……」


 そういうことか。家を追い出されたにしては、荷物が少ないと思っていたが、滞納分を支払うために売ったのか。


 そして、今月分が払えず追い出されたと。


 そりゃ、きちんと約束を守らない人に家を貸したくはないだろうしな。

 俺はいくらか頭を悩ませたのち、小さくため息を吐いた。


「はぁ、分かりました。全面的に先生の自業自得ですが、困ってるのは本当みたいなのでウチでよければ泊まってください」


「ほ、ほんとっ! ありがと黒木くん」


 家に泊めることを了承すると、花宮先生は満面の笑みでほっと安堵の息を吐く。


 この狭い家に、ましてや担任の先生を泊めるなんて常軌を逸しているが。

 このまま、花宮先生を路頭に迷わせる訳にいかないからな。


 行く当てなくて公園とかで寝泊まりした結果、事件に巻き込まれる可能性もある。


 まだ、俺の家に泊めた方がマシだろう。


「この際なので一つ聞いていいですか」


「うん、なんでも聞いて」


「先生って、公務員ですよね。ある程度の給料は貰えますよね」


「まだ新米だからそんなに多くはないけど、うん貰えてはいるよ」


「じゃあなんで家賃滞納なんてしたんですか? 減給でもされなきゃ、普通に払えると思うんですけど」


 ずっと疑問に思っていた。


 どうして花宮先生は家賃を滞納したのだろうと。


 教職である以上、ぼちぼちの給料はもらえるはずだ。福利厚生も、そこらの企業よりはちゃんとしているはず。

 であれば、普通に生活してて家賃を滞納するわけがない。


 込み入った話だから聞き出せなかったが、もう乗りかかった舟だ。聞く権利くらいはあるだろう。


「そ、それは」


「それは?」


 俺がやまびこの要領で聞き返すと、花宮先生は苦虫を噛み潰したような顔で言い淀む。


 だが、覚悟を決めたのか、俺の目を見てゆっくりと口を開いた。


「……競馬で給料全部溶かしちゃって」


「やっぱ出てってもらっていいですか」


 この人ただのクズじゃねーか。


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