「おねえちゃん、もういっちゃうの? やすみじかん、おしまい?」

「そうね。また一緒にお姉ちゃんの応援しようね」

「おうえんする! おねえちゃん、がんばってね」

 無垢な視線に、笑みを返す。

 緊張がだいぶとほぐれているのを感じた。

「午後は、二人三脚ね。落ち着いて頑張るのよ」

「ここで、応援しているからな」

「うん。ありがとう」

 家族に手を振り、トイレに行ってから席に向かう。プログラムを確認した。

「えっと……応援合戦があって、それから……」

 席に一人でいると、ふいに手元へ影が落ちた。

 顔を上げると、そこにいたのは松井さんだった。

「朝、教室で吉田くんとしゃべってたよね?」

「え……うん……」

「仲良いの? 二人が用事以外で話してるの、初めて見た」

「えっと……委員会が一緒だから。たまに、話すよ」

「ああ、飼育委員だっけ。それで」

 じっと見つめられて、居心地が悪い。わたしは何も悪いことなどしていないのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。

「吉田くん、優しいでしょ」

「そう、だね」

「好きになっても良いけど、私が勝つから」

「え?」

「私、吉田くんを好きな気持ちは、誰にも負けないって思ってる。絶対に」

 それだけ言い残して、松井さんは行ってしまった。

 すらりと伸びた手足。さらりとした艶やかなロングヘアー。綺麗な顔立ち。

 松井さんはパッと目を惹くような、美人なひと。

 いつも堂々としていて、格好良い。吉田くんの隣に立つと、絵になる。お似合いの、二人……。

 吉田くんが好きになるひとって、やっぱりああいう綺麗な子かな? それとも、可愛い子かな?

 そんなひと、いっぱいいる。わたしよりも可愛い子は、いっぱいいるんだ。

 こんな嘘吐きよりも、胸を張って堂々としているひとの方が、良いに決まっている。

 わたしは、相応しくない。吉田くんの隣にも、かおりちゃんの隣にも。誰のそばにも。

 ぐっと、拳を握り締める。

 変わりたい。

 ひとを羨むばかりの自分を、変えたい。

 相応しくないなら、相応しいひとになりたい。

 だって、諦められない。

 わたしだって、吉田くんのことが好き。

 誰にも、負けたくない。

 そう思う気持ちだけは、嘘なんてない。本物だから。

 だから、勇気を出そう。

 委員への立候補を決めた時と、同じ。

 見ているだけじゃ、チャンスは掴めない。

 何度もした後悔を重ねるのは、嫌だ。

 もう意気地なしの自分を見るのは、止めにするんだ。

 だって、楽しみたい。勝つとか負けるとか、そんなんじゃなくて、わたしは好きになった気持ちを大事にしたい。

 この恋を育てることを、楽しみたいんだ。

 それは、イチゴを育てるのと一緒だと思うから。

「よし」

 頑張ろう。そう決意して顔を上げたわたしは、飼育小屋のそばに誰かがいることに気が付いた。

「今日は、立ち入り禁止になってるはずじゃ……?」

 気になったわたしは、戸惑いつつも飼育小屋へと近付いていった。

 徐々に姿がはっきりする。その人物が、わたしに気付いた。

「佐藤?」

「吉田くん……どうして、ここに……」

 小屋の前にいたのは、吉田くんだった。

 一人だ。他には、誰もいない。

「特に理由はないけど」

「一人なの?」

「うん。何で?」

「え……えっと、家族のひとは?」

「仕事なんだ。だから、いない」

「そうだったんだ……」

「何で、佐藤が寂しそうな顔すんの?」

「え……」

 吉田くんは、困ったような顔で笑っていた。

「おれだけじゃないでしょ。他にも同じような子、いるよ」

「そうかもしれないけど……何だか、吉田くんが寂しそうに見えたから、かも……」

 そう告げると、吉田くんは黙ってしまった。その目は、少しみはられている。

 わたし、見当違いなことでも言ったかな……?

「佐藤って、不思議」

「え?」

「何でもない。ねえ佐藤、今って時間ある?」

「え……まあ、そうだね」

「じゃあさ、練習しようよ。二人三脚」

「練習?」

 頷いた吉田くんは、いつもの表情をしていた。

 クールな澄ました顔の中で、目元と唇が小さく笑っている。

「朝は、勝ち負けより楽しもうなんて格好つけたけど、自信がないとそれも難しいよなって思ったんだ」

「自信……」

「そ。大丈夫って、楽しむための自信。いっぱい練習したら、佐藤もそう思えるかなって」

 吉田くんが、わたしのことを考えて――?

 そんなの、断る理由なんてあるはずない。

「そうだね。わかった。練習、お願いします!」

 勢いよく頭を下げる。頭上から、優しい笑みが降ってきた。

「こちらこそ…………ありがとう」

「え? 今、何て――」

「こちらこそって、言っただけだよ」

「そ、そう?」

 何だか、他にも聞こえた気がしたんだけど……気のせいだったのかな?

 わたしは疑問を頭の隅に追いやり、吉田くんとの練習を始めることにした。

 そうして何度か繰り返した頃、休憩時間がもうすぐ終わるというアナウンスが流れた。

「タイムリミットだな。行こう」

「うん……」

 結局、成果を得られたという手応えはなかった。

 せっかく、わたしのために練習を提案してくれたのに、申し訳なくなってしまった。

 不安を残したまま、午後のプログラムが始まる。

 そうして、二人三脚の番になった。

 吉田くんと片足ずつ、結ぶ。順番待ちをしていると、隣から優しい声がした。

「佐藤、不安?」

「……、うん……ごめんね、吉田くん。楽しみたいって言っていたのに、こんなわたしが一緒じゃ、気になって楽しめないよね」

「おれは、そんなこと思ってないんだけど」

 どこか怒ったような声音に、驚いて隣を見る。

 吉田くんはいつもの表情だったけれど、目が真剣だった。

「佐藤が楽しみたいって言ってたから、おれは楽しんで欲しいって思ってるだけ。だから、謝って欲しいなんて思ってない」

「吉田くん……」

「……ごめん。怖がらせた」

 ふいと目を逸らす吉田くん。わたしは慌てて、口を開いた。

「怖いなんて思ってないよ。だから、吉田くんも謝らないで」

 じっと見つめると、吉田くんも視線を戻してくれた。

 ふ、とクールな顔に、小さな笑みが浮かぶ。

「やっぱり、佐藤って不思議」

「え?」

「いつもは声小さいし慌ててるのに、時々そうやってしっかり話す。もっと、自分に自信を持てば良いのに」

 言葉の意味を掴めず、あぐねて小首を傾ける。

 吉田くんは、変わらず笑っていた。

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