第77話 マーク牧場の牛を救出せよ(2)


 レイとリリスは森を走り続けている。

 無駄な話はせず、慎重に森のざわめきの中から生き物の息遣いや気配を慎重に読み取らなくてならない。リリスの隠蔽された長い耳は、しきりにピクピクと動いていた。


 小動物の気配や魔獣の気配はあるものの、それらしい動物の気配は感じない。出てくる魔獣は適当にいなして、二人は足を休めることなく先へ進んでいった。


「リリス、止まれ」

レイの掛け声にキュッと両足を揃えて立ち止まったリリスは、木の上からクルリと回転しながら降りてきた。


「レイ、どうしたの?」

「少し休憩しよう」


 レイはそう言うと、倒木に腰掛けると飲み物と軽食を取り出した。今日の軽食は、卵と牛乳を使ったシンプルなケーキである。一切れずつ切り分けられたそれを、横に腰掛けたリリスに手渡す。


「ん~~。これも美味しいね!」


 素朴な優しい甘さに、張り詰めていた緊張感が緩む。広範囲に気を配りながら走り続けるのは、なかなか集中力が必要である。疲れはパフォーマンスを落とす。確かに急ぐ必要はあるが、少しの休息を挟む方が総じて効率はあがるものだ。


 リリスは頬をいっぱいにして、もぐもぐしながら辺りを見回した。森は落ち着いているように見える。風が枝を揺らし、サワサワと心地よい音を奏でている。こんな中で、一頭と一匹は魔獣に怯えながら息を潜めているのだろうか。それはとても可哀そうだ。早く見つけてあげたい。


「今、恐らくこの辺りだ。牧場はここ。ここからなら牧場の方が早いな。先に話を聞きに行こう」

「ん、わかった。こっちの方角だね」

「あぁ」


 レイが膝の上に広げる地図を覗き込んで、リリスは方角の修正を頭に叩き込む。ほんの僅かの休憩を挟んだ二人は立ち上がると、すぐさま駆け出した。



 牧場は目と鼻の先にあった。だが、広大な土地に魔物除けの柵と魔道具に張り巡らされていて、どこが入口かわからない。ここに来て、街道から離れた弊害が出ていた。


「も~~! 急いでるのに!」

「リリス、焦るな」

「だって~~!」


 気ばかり急くリリスを諫めながら、柵沿いに進む。入口は普通に考えて、街道に向けて作られているはずだ。


「ん?」

そのまま進んでいると、一箇所柵に大きな穴が開いている場所があった。


「あ、穴だね。ここから逃げたのかな?」

「恐らくそうだろうな。と、なると逃げた方角は、こっちか」

「ん~~。微妙に私たちの来た方角からずれてるね」

「あぁ。ひとまず依頼主に話を聞こう」

「了解ッ!」


 ほどなく入口が見つかったので、その戸を叩く。中から現れたのは、憔悴しきった中年男性とその夫人とみられる女性であった。


「あの、依頼を受けた冒険者なんですが」

「あら、依頼を受けてくださったんですね。感謝いたします。まずはこちらへどうぞ」

「うぅっ、ミラがッ。ミラがッ。俺の麗しのミラとチョンがッッ」


 リリスが口を開いた途端、中年男性は号泣である。その男性を困ったような顔でみた、推定夫人が二人を中へと促す。聞くところによると、この泣いている男性が今回の依頼主のマークのようだ。女性はその夫人で間違いがなかった。


「この人がすいませんねぇ。うちは、動物たちもみんな家族みたいなものなんで、昨日の朝からこの調子で……。あぁ、すいません、依頼の話ですよね」

「うっ、うっ、うっ。ミラが、チョンが……」

どうやらミラというのが逃げ出した牛、チョンが牧畜犬の名前らしい。


「あぁ。来る途中、柵に穴が開いている場所があった。とりあえずそちらの方角を探してみようと思うが、他の動物たちのためにも、その穴は早急に塞いだ方がいい」

「あら。どの辺りかしら? ほら、あなたもしっかりして! 他の動物たちを守らないといけないんだから!」


 バッチン、と夫人の手のひらが、大きな音を立ててマークの丸まった背を打った。かなり痛そうな音がしたが、マークの背はしゃんと伸びた。

 レイは鞄から取り出した地図を机の上に広げて、穴の開いていた場所と探索の方角を指し示す。涙目のマークは、それを真剣に聞いていたので、ひとまず穴はマークに任せても問題ないだろう。

 ミラとチョンの特徴を手早く聞き取った二人は、早速探索に向かうことにした。


「それでは、どうかあの子たちをよろしくお願いします。魔獣の出る森なので、無理はしないでください。暗くなったら、一度戻ってきてくださいね。お夕飯は準備しておきますので」

「た、頼むっ! どうかあいつらを助けてやってくれッ」

「約束はできないが、出来るだけのことはさせてもらう」


 再び泣き出してしまったマークに、何を言っていいのかわからないリリスは、黙ったまま二人に頭を下げてレイの後に続いた。


「あぁ言われたが、気負う必要はないからな。私たちは私たちの出来ることをするまでだ」

牧場からある程度離れた場所で、レイは口を開いた。既に生きていないかもしれない二頭である。軽はずみな約束は出来ない。自分たちのやることをやるだけだ。


 リリスはレイの言葉に静かに頷いて、目の前のことに集中した。いつも好奇心に煌めいている新緑の瞳は、いつになく真剣な光を宿し、目の前の森を見据えていた。



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