第73話 キリリクの宝石迷宮(5)

 二人は、十層の安全地帯セーフティーゾーンを覗き込んでいる。想定通りそこは、冒険者でビッチリと埋め尽くされていた。

 ここでの休憩は無しだな。レイは即座にそう判断した。


「やっぱり人多いね」

「この迷宮は、十一層から三十層くらいまでが一番混み合うらしい」


 トントン、と階段を降りながら、リリスは先ほどの光景を反芻はんすうする。ごつい冒険者がぎゅうぎゅうにひしめきあっていて、とても窮屈そうであった。そういった場所では、諍いも多い。先ほども場所の取り合いで、言い争いになっている冒険者がいた。

 これが日常かぁ、都会ってすごい。そんなのんきなことを考えながら、前を行くレイの後頭部にかかるフードの凹みを追う。


「さっき休憩しておいて良かったね」

「あぁ、全くだ。お腹は空いてないか?」

「大丈夫だよ!」


 そういうリリスの手には、ピークが握られている。リリスが好んで食べる果物のひとつだ。先ほど安全地帯セーフティーゾーンで食べようと、取り出していたものである。

 レイの視線が、手の中のピークに注がれていることに気が付いたリリスは、エヘヘとちょっと照れた笑いを浮かべたまま、ピークに噛り付いた。ほどよい酸味と甘みが口いっぱいに広がって、リリスのほっぺたが幸せそうに膨らんでいる。

 しばらくの間、階段を下りるトントンという足音とシャリシャリという音がその場に響いたが、すぐに他の冒険者たちのざわめきにかき消されることになった。




「海だ~~!」


 十一層におり立ったリリスは、目前の光景に目を輝かせた。

 目前に現れたのは海である。洞窟からいきなりの海辺。違和感が半端ではないが、これが迷宮である。今までずっと薄暗い洞窟を歩いてきたのだ。この開放感は何物にも代えがたく、違和感など一瞬で吹き飛んだ。


 澄み切った青空に白く輝く砂浜、遠浅の海は青にも緑にも見える不思議な色合いで美しい。少し前までクワァトで毎日のように見ていた海であるが、やはり海は何度見てもいいものだ。

 リリスは大きく息を吸い込んで、青い空に息を吐きだした。降り注ぐ陽の光が目にまぶしく、じんわりと温まる肌に心地良い。


「油断するなよ」

「はぁい」


 大きく伸びをしながら全身で陽の光を浴びていたリリスは、レイの注意に対してあくびをしそこなったような声を返した。


 そんなリリスに呆れを隠さない目線を送ったレイは、サクサクとその白い砂浜を進んでいく。十層まで肩に担いでいたツルハシは既に役目を終えて、アイテムバッグの中だ。


「あ、この海も幻影だ」

浅瀬に足を踏み入れたリリスが、濡れていない足元を透かす、ゆらゆら漂う水面みなもを見て言った。


「リリス!」


 レイの警告にハッとしたリリスが、すぐさま反応し、反射的に投げナイフを投じる。そこにはリリスのナイフに貫かれた灰海月くらげが、ポトリと沈んで落ちていた。


「……海月くらげ?」

「素手で触るなよ」


 そっと幻影の海に手を入れて灰海月を見てみようとしたが、それを嗜める声がすぐ近くから聞こえてきて、リリスはピャッとその手を引っ込めた。恐る恐る後ろを振り返ると、すぐそばに片手に抜き身の剣を持ったレイが無表情で立っている。


「リリスは気付いてなかったかもしれないが、随分たかられている」

レイがそう言って剣で指し示す先には、よくよく見れば数多くの灰海月が漂っていた。


「げ、幻影の海でも泳げるのか~」

「迷宮ではよくあることだ。トラップのひとつだな。奴らは、この幻影に紛れて姿を隠して近づいてくる。さっき、油断するなって言ったよな?」

「うぅ……、おっしゃる通りデス」

「罰として、今日の探索はこの階層までだ」

「エッ、そんな~~! レイ~~!」


 嫌だ嫌だと纏わりついてくるリリスを言葉少なくいなしながら、レイは岸のほうへ誘導していく。

 どっちみちリリスの集中力は切れかけている。人の多い環境に薄暗い洞窟、暗闇から現れる慣れない魔物との戦闘に疲れたのだろう。それに気付いていたレイは、今日はこの辺りまでかな、と考えていたのだ。罰というのは、ただの口実である。


「あれ? レイ、あれ何?」

幻影の海からあがった二人は、砂浜の上でうごめくその姿を視界に捉えた。


「あぁ。珍しいものがいるな。リリス、気配を消せるか?」

「う、うん」


 気配を消した二人は、気付かれないようにゆっくりとそれに近づいていく。それは小さめの亀の魔物であった。小さめと言っても、この世界の魔物は大きい。この亀の魔物は小型犬ほどの大きさである。

 見ればこの魔物、自分の周囲の砂に穴を掘り、その中に何かを産み落としている。


「レイ、あれは何をしているの?」

コソッと、リリスは囁いた。


「まぁ、待てばわかる」

そう言ったレイは、心なしか楽しそうである。それを見たリリスの口角も自然と上向く。


 しばらくして満足したのか、その亀の魔物はのっしのっしとどこかへ行ってしまった。二人はそれを確認してから、先ほどまで亀がいた穴へと近づいていく。


「……これって、宝石?」

「あぁ。この迷宮の魔物には、稀にこうして宝石を産むのがいるんだ」


 見下ろした穴には、ツルツルとした楕円形の宝石が重なるように位置している。もちろん卵ではないので、ねばねばもしていないし、綺麗なものだ。

 レイはその中のひとつを手に取った。手の中に収まるそれは、それほど大きくない。十一層なので、まぁこんなものか、といった大きさである。

 だがまぁ、これだけあればリリスのお財布も少しは潤うだろう。


 光に透かして見ていたレイは、それをリリスに手渡した。リリスは手の中に渡ってきた宝石を、不思議な気持ちで弄ぶ。


「ねぇ、レイ。これって、貴族的にいいの?」

「……発言を控えさせてもらう」


 リリスが気になるのは、やはりそこであった。

 宝石迷宮から得られる宝石は、魔物の体内から得られるものもある。そう知っているものは貴族内にもいるはずなのだが、未だに一部の貴族の極端に魔石を忌避する宝石信仰は根強い。


(世界は、不思議に満ちている)


 リリスは手の中で光る宝石を遊ばせながら、世界の不思議に思いを馳せた。

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