第67話 キリリク(1)

 ローグの家からキリリクまで、馬を使えばそれほど遠くはない。日帰りで十分、往復できる距離である。

 とは言え、リケ村はとても小さな村であって、当然貸馬屋なんてない。徒歩を移動手段とした三人は、途中で森や茂みに突撃していくリリスによって、その工程を大いに伸ばし、その日の夕暮れを大きく過ぎたあたりでようやくキリリクに到着した。それが昨晩のことだ。


 禪のおすすめだという宿に泊まった三人は、簡単な朝食を終えて、今まさにこれから冒険者ギルドへ向かうために宿を出るところであった。


 禪の紹介してくれた宿は、さすがというか料金も良心的で料理も美味しく、とても良い宿であった。レイも何度か訪れてはいるのだが、キリリクは大きな街である。宿屋は多種多様に多く、その分当たりはずれも多い。自分で情報収集をしなくていいのは楽だな、などと考えいるレイの横で、リリスは朝から期待に目を輝かせていた。

 何せ、ずっと訪れてみたかった街である。昨晩キリリクに到着した時には既に辺りは薄暗くなっていたため、街を見て回ることはできなかったのだ。


 宿の扉を開け放った先では、石畳の街並みに朝の少し肌寒い、ひんやりとした空気が流れている。昼間は雑多にざわめく街が、今はまだひっそりと人々の目覚めを待っているかのようだ。


 石畳を踏みしめて目線を上げると、宿の看板が目に入る。美しい鉄細工に彩られたそれは、作られた当時の繊細さを残したまま、何年も野ざらしにされてきたであろう趣を感じさせる。

 さらに目線をあげれば、優しい光で昨晩自分たちを宿へと導いてくれた街灯が、今はただひっそりと佇んでいる。


 頬に感じる冷えた空気に、レイは目を細めて空を仰いだ。今日もいい天気になりそうだ。


「リリス。まずはギルドだろう」

「はっ。そうだった」


 こんな時間から開いているのは冒険者ギルドくらいだろうに、ギルドとは逆の方向へ歩き出そうとしたリリスを、レイがすかさず制止する。


「……パーティーの申請に行くんじゃないのか?」

「行く! 行きます、行きます!」


 今まさに踏み出そうとしていた足を、クルリと反対側に向けたリリスは、石畳の上を軽やかに跳ねた。

 幸い、この宿からギルドまではさほど遠くない。馬車を使用しなくても辿り着ける距離である。変な歩き方をして、所々デコボコとした石畳に足を取られて転ばなければいいが、などと思いながら、レイはリリスの後を追った。更にその後ろをのんびりと少し眠そうな禪がついてくる。


 キリリクのギルドは大通り沿いにある、重厚で立派な石造りの建物である。その押し開きにくい扉を潜ると、まだ早朝であるというのに、ざわざわとした喧騒の波が押し寄せてきた。この時間、ひときわ賑わっているのは依頼票の掲示してあるボード周辺である。


 依頼票の奪い合いで小さな諍いが起こるのはよくあることで、レイはリリスがそれらに巻き込まれないようにその背中を押して、空いている受付の窓口へ並んだ。


 一方の禪は、依頼票を見に行くようである。フードを被っている二人と違い、堂々とした足取りでその騒ぎの中心へ近づいていく。

 禪がそこへ近づくにつれて、周りの冒険者からざわめきが広がっていく。聞き耳を立てなくても、二人の耳は「鬼人だ……」「でかい」「あれ、ゼンじゃないのか」「ゼンってSランクの?」といった声を拾う。


「ゼン師匠って、本当に有名人なんだね」

コソッと、リリスは周りに聞こえないようにレイに囁く。レイはそれに頷いて答えた。周りに人が多くなると、途端に口数が少なくなるレイである。


 その後二人は、順番がくるまで大人しく並んでいた。若干リリスは禪の方をうかがってソワソワとしていたが、ギルドにいる冒険者の大半が同じような態度であったので、そう目立つものではなかった。大半の者が、いつも通りギルドに来たら、思いがけず有名人に出くわしてしまった、といった反応である。


 なんとなく禪と一緒にギルドに来てしまったが、これは思った以上に面倒だな、とレイは思っていた。この中で禪から話しかけられようものなら、注目されることは間違いない。

 目立ちたくないので、一応事前に釘をさしておいたが、これから行動を共にするのなら、それも果たしてどこまで効果があるのか。いっそ、禪個人を隠蔽してしまいたい……などとと考えていたところで、自分たちの順番が回ってきた。


 リリスはサクサクとパーティーの申請を行いたい旨を受付嬢に話して、書類を出してもらっている。パーティーの申請は、ギルドで申請を行わなければならない。少々手間だが、申請用紙一枚で済むので意外と簡単なものである。


「パーティー名を決められるみたいだよ?」

「……必要か?」

「長く活動するパーティーでは、名前を付けられる方が多いですね。功績をあげれば、名を上げやすいという利点もあります」


 受付嬢の言葉に、レイとリリスは顔を見合わせた。


「必要ないな」

「だね。とりあえず、保留でっと」


 普段から目立ちたくない、面倒、などと言っているレイである。リリスはきちんとレイの意をくんだ。そういうところは、本当に空気の読めるリリスである。レイとリリスは、ちゃちゃっと記入を済ませた申請用紙と共に、それぞれのギルドカードを提出した。


「では、このまま処理しますね」

「はいッ! お願いします」

「レイさんはCランク、リリスさんはEランクですね」

「あぁ。そういえば、リリスはあとどれくらいで、Dランクに上がれそうだろうか」


 そういえば、リリスのランクを上げることも考慮しなければ、と思い出したレイが、俯いていた顔を上げる。フードの隙間からチラリと見えたレイの顔に、受付嬢は一瞬見惚れたが、何事もなかったかのように手元に目をやると、気を取り直して魔道具を操作し始めた。


「少々お待ちください。……そうですね、魔物の討伐数がまだ少ないですね。必要数に足りていません。灰狼なら――、――……」


 クワァトのギルドではいくつか依頼を受けたり、山で討伐したものを売ったりしたが、リケ村には冒険者ギルドは無い。迷宮で狩ったりしたものは、まだアイテムバッグに入ったままだ。


 先に買取カウンターへ回れば良かったな、と思いながら、レイはぼんやりと受付嬢の読み上げる必要討伐数を聞いていた。

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