第61話 それぞれの戦い方(1)
とある迷宮のとある階層。
そこには人々に黒い宝石と呼ばれるものが、ただひっそりと存在している。といっても、本物の宝石ではない。見た目も宝石からほど遠く、美しいものではない。その宝石は、平たく言ってしまえば食材なのだ。
それは何とも表現しがたいかぐわしい香りを漂わせ、ひとたび口に含むと、それまでどこに隠していたのかというほどの上品で豊潤な香りが花開く。
そう、それはまるで大切に大切に育てられた上級貴族の深窓の令嬢が現れたかのよう。鼻から抜ける香りは品よく心地よく、まるで恥じらう令嬢とワルツを踊るかのような心地にさせる。
そんな不思議な幸福感に酔いしれることができる一品が、この黒い宝石なのである。もちろん、怪しい薬ではない。
今日もその深窓の令嬢と表現されるそれは、地中に閉じ込められて暗闇に紛れ、ひっそりと存在していた。決して外界を知らず、閉じられた暗闇で少しずつ成長し、まるでこの暗い場所から解き放ってくれる王子様を待つかのようである。
そんな代り映えのしない毎日であったが、その日はいつもと様子が違った。ひっそりと存在している深窓の令嬢の元へ近づいてくる者がいたのだ。その者は、そっと令嬢を覆い隠す闇を取り払う。
「やっと見つけた」
生まれて初めて感じる光の中、こちらを見つめて手を差し出すのは、無表情な王子だった――。
訳ではなく、レイである。レイは本日、この黒い宝石もとい
この
まず、このキノコは特殊な環境下でしか生育しないので、繁殖地が極端に少ない。その上、地中にしか存在しないのでかなり見つけにくい。そして――。
この高貴なキノコを守る、
レイは、キノコを掘り返すために膝をついた状態のまま、隠すこともしない殺気を放つものを一瞥することもなく剣を抜いて、薙いだ。その軌道は正しく相手を一閃し、緑色の巨体が吹き飛ぶ。吹き飛んだ巨体は既にこと切れているものの、同じような個体が警戒するようにレイの周囲を取り囲み、今にも突進せんと頭を低くしている。
(今晩は、
のんきなことを考えながら、レイは高く跳躍すると緑豚の後方へ回り込んだ。親切に囲まれてやる筋合いもないし、レイが先ほど膝をついていた周辺には、まだ
レイは、この
レイが今回、
では何故かというと、単純にローグが「深窓の令嬢と酒が飲みたい」と言ったからだ。もちろん、ローグの言う深窓の令嬢は、本物の人間の令嬢ではない。つまり、レイにこの
それもこれも、この迷宮で
(またリリスにキノコマスターだと思われる……)
地面に這いつくばりながら、レイはふと遠い目をした。以前、何かの拍子に問われたことがあるのだ。なぜそのような思考回路になったのか、甚だ疑問である。
そんなリリスは、今日は禪と共に迷宮に潜っている。最近はリリスの調薬の合間に、二人で迷宮に潜っているようだ。残念ながらデートと呼べるような甘酸っぱいものではなく、禪がリリスに冒険者とは何たるかを叩き込んでいるようである。二人の恋の進展はまだない。相変わらず、隙あらば押せ押せのリリスが口説いているようだが、禪は踏みとどまっているようである。
(逃げる者を追うのは得意だからな、リリスは)
逃げる兎を追い回すリリスを嫌というほど見てきたレイは、心の中で禪に対して「ご愁傷様」と手を合わせた。
そんなこんなで、のほほんとキノコ探索をしているレイであるが、周囲の警戒はきちんと行っている。自身の警戒範囲内に入った魔物の気配を感じ取り、レイはすぐさま立ち上がって剣を抜いた。
迷宮や森で油断は命取り。それを嫌というほど知っているレイに、敵の出方を待ってやるなどという考えはない。殺るか殺られるか。そのような環境で幼少期から生きてきた、自分の根幹は随分と殺伐としたものだ。
なるべく手数を少なく、なるべく一撃で。誰よりも先を見て、先を読む。苦しむ隙も与えないほどに。無駄なく、早く、重く、確実に。手を、腕を、足をもっと速く、もっともっと速く――。
レイは、今日もそうして剣を振るう。
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