第55話 クワァトからの旅立ちと白兎(4)
「申し訳ございません。神獣さま――! どうかお許しくださいぃぃ」
リリスは今、レイに抱きかかえられている白い兎に向かって、誠心誠意謝罪を行っていた。膝を折り、頭を地面につけ――いわゆる土下座である。これは、リリスがこの兎が神獣と知ってからずっと続いている。
初めのうちはリリスが近づこうものならば、レイにしがみついてガクガクと震えていた神獣であるが、レイの腕の中ならば安全であるとすっかり学習したようで、今では我が物顔でレイの懐に居座り、リリスを無視している。
ツーンと顔を背けた白兎は、切り株に腰掛けるレイの手ずから、迷宮産の
レイが心を砕いて色々と試したところ、神獣は迷宮産の野菜と聖水がお好みのようだ。いよいよレイの所持する聖水の在庫が心もとないが、神獣様がお望みとあらば、差し出すほかない。
リリスはここのところ、天罰を恐れてあまり眠れていない。
「神獣様」
レイが神獣に話しかけると、神獣はレイの方へその小さな顔を向ける。喋ることこそしないが、様子を見るに、どうやらこちらの言っていることは通じているようである。
神獣の目は、見る時によって色を変える不思議な目だ。見れば見るほど吸い込まれそうなその瞳に、自分の姿を映してレイは言葉を紡いだ。
「そろそろリリスを許していただけないだろうか」
リリスが天罰に怯えるせいで、ここ数日ほとんど先へ進めていない。本来であれば、あと一日もしないうちにリケ村まで到着できる距離であるのに、今夜も野宿になりそうだ。
リリスの為にも、自分の為にも、レイは神獣の機嫌を取るべく色々とこの小さな生き物の世話を焼いていたが、レイのお願いも空しく、神獣はプイッと顔を背けた。それを見たリリスは、絶望に顔を歪めて嘆いた。
レイはため息を吐きたいのをこらえ、空を見上げる。気持ちのいい青空に、ぷかりぷかりと呑気な白い雲が浮かんでいる。
(あぁ、今日もいい天気だな――)
少しくらい現実逃避をしたって罰はあたるまい。レイは、神獣とリリスの攻防に痛む頭を抱えつつ、のんびりと空を眺めながら、うっとりする肌触りの毛並みを撫でる。
ここ数日、リリスに天罰が下る様子はない。恐らく、リリスに天罰が下ることはないのだろう。だが「ビビらされた仕返しをしないと気が済まない」と、なんとなく、そんな気配をこの腕の中の尊い存在から感じる。
レイは、神獣の気持ちを想像しながらも手を動かした。この神獣、何が気に入ったのか、何を言ってもレイの懐から離れてくれないのだ。下手に神獣なだけに、手荒な真似はできない。正直なところ、めちゃくちゃ剣を抜きにくい。つまり、「ちょっと邪魔だな」だなんて、そんな不敬なこと思っていない。少ししか。
(もしや、私はこの神獣をこの先もずっと抱えていかないといけないのか?)
レイは、痛む頭が余計に痛むような気がした。
***
一方その頃、ローグは朝から庭の薬草の世話を行い、作りかけの薬を仕上げ、少し早いが酒を飲みながらのんびりするか、と考えていた。
「いかんいかん。そういえば、酒を切らしておったの~」
いつもの場所に酒を取りに行こうとして、そう言えば昨晩残りの酒を飲み干してしまったことを思い出す。
「今日の酒がないとな。なんということじゃ」
レイはローグと別れる際に、結構な量の酒を置いて行ったのだが、それも全て飲み干してしまった。しばらく自分で買っていなかったので、つい買い足すことを忘れてしまったのだ。残りが少なくなっていたことは分かっていたが、昨晩はいい気分で「明日は明日の酒を買えばええ」と気分よく飲み干してしまった。
酒は飲みたいが、今から買い出しに行くのは、少し面倒である。
「そうじゃ。こういう時こそ、秘蔵の酒じゃ」
ローグは作業場に戻ると、作業台の奥をゴソゴソと漁り始めた。乾燥した雑多な部屋に、薬の配合をまとめた紙が舞う。
「お? これじゃこれじゃ」
膝をついて雑多な作業台の奥を漁っていたローグは、見つけた酒瓶を確かめ、頷いた。それは、火酒に薬草を浸けた薬草酒であった。もちろん薬草を浸けたのは、ローグである。いつだったか、試しに浸けてみたのだ。味の保証はない。
「ん? ん~。ちょっと色が怪しいかの? ま、大丈夫じゃろ」
酒瓶を光にかざすと、薬草の色味で酒の色が変わっていた。だが、今から買い出しにいくのも面倒である。今日はこの酒を飲む。浸けた薬草も薬効の確かなものだし、問題ないだろう。例え問題があったとしても、まぁなんとかなる。自分は何と言っても薬師である。
そんなことをつらつらと考えながら、酒瓶を大事そうに抱えて立ち上がると、足元にコロコロと転がるものがあった。レイとリリスが錬金術師を訪ねる元となった、年季の入った乳房だ。それを見て、ローグはつい先日まで一緒に過ごした二人組に思いをはせた。
「リリスはそろそろ新しい道具を手に入れたかの。おっと、ひとりでおると独り言が増えていかんいかん」
今宵の酒も無事見つかったことだし腰を据えて飲もう。ローグはいつもひとり酒を飲む、所定の場所にどっかりと腰を下ろした。ちょうどその時、店舗側の入り口をガンガンガンガンと、叩く音が聞こえてくる。
「なんじゃ、客かの。そんなに叩かんでも聞こえておるわい。まったく。儂の酒盛りに水を差すとは……」
ブツブツと言いながら、どっこらせ、と言わんばかりに立ち上がったローグは、年季の入った板張りの床をギシギシと音を立てながら、のんびりと店舗の入り口側へ向かっていった。
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