第54話 クワァトからの旅立ちと白兎(3)

 兎。白兎。白い色の兎。白い……。


 リリスの手に鷲掴みされている白兎それを見て、レイは思いっきり固まった。可能ならば、意識を飛ばしたいと思った。


 この世界の動物や魔獣は、その色で判別できる。茶色は魔獣ではない普通の獣。魔獣は、灰・黄・緑・青・赤・紫・黒色をしており、この順に強くなる。では、白色は?



――――その答えは、神獣である。


(誰か、嘘だと言ってくれ)


 リリスの手に鷲掴みにされているその尊き白い兎は、白目を向いてピクピクと痙攣けいれんしている。



「レイー! 見て見て! 白い動物? 魔物? 初めて見た!」


 レイの切実な願いは無情にも無視され、リリスはよく見えるようにその珍妙な兎をそのまま高く天に掲げた。勢いよく天に突きあげられた手につられて、その白い兎がびょ~んびょ~んと左右に揺れる。


「ひぃッ」


(あれ? レイが「ひぃッ」って言った?)


 リリスは、レイの普段にはない様子に戸惑いを浮かべ、首を傾げた。そんなリリスを意に介さず、レイは未だかつてないほどの瞬発力と俊敏性でリリスからその白い兎を奪い取り、その両腕に白いもふもふを囲い込んだ。


「……あれ?」


 リリスは、一瞬のうちに自分の手の中から無くなった兎に首を傾げた。見れば、レイが凄い勢いで白兎の怪我をチェックしている。心配しなくても、珍しいから苦労して生け捕りにしたのに。

 特に攻撃もしてこず、ちょこまかと逃げ回っていた白兎を捕まえるのは、リリスをもってしても本当に大変だったのだ。


 レイは、白兎の全身チェックを終えて怪我がないことを確認すると、それはもう重い息を吐いた。どうやら白兎は、捕まったショックで意識を飛ばしているようだ。可哀そうだが、外傷がなくて本当にほんっとうに良かった。


(一瞬、心臓が止まるかと思った……)


 これまでにもリリスの行動には驚かされることはあったが、更に上があったとは。恐らく、リリスはことの重大さを分かっていないが、これは、正真正銘の神獣なのだ。


 レイの腕の中で『はっ』と意識を取り戻した白兎は、きょろきょろと辺りを見回した後、瞬時に状況を理解して『ヒシッ』と爪を立ててレイの服にしがみついた。どうやら、その超越的な何かで自分を守ってくれる存在は誰なのかを感じ取ったらしい。レイは、腕の中でぶるぶる震える白兎を見下ろした。


「レイ、それ何?」


 リリスが喋ると、腕の中の振動が酷くなった。自分の服に深く食い込む爪が、絶対に離れないという強い意思を感じさせる。腕の中のこれは、まごうことなき尊き存在であるが、今は哀れで仕方がない。

 レイは、左手でその白兎の尻を支え、右手で落ち着かせるためにゆっくりとその毛並みを撫でた。信じられないほどに毛ざわりが良い。さすが神獣。レイは密かに感動を覚えた。


「リリス、まずは頬の擦り傷に薬を。説明はその後だ」

「あれ? 怪我してる?」


 白兎を散々追い回したリリスは、珍しく小さな擦り傷を沢山作っていた。リリスはひとまず、先ほどレイが腰かけていた岩に腰を下ろし、怪我の手当てを行った。レイがリリスに近づこうとすると、腕の中の振動が酷くなるので、仕方なくレイはリリスから少し離れて立っている。

 ある程度、リリスが薬を塗り終えたところで、レイは口を開いた。


「リリス、白色の獣は見たことがないだろう?」

「うん、初めて見たよ! 珍しくてついつい深追いしちゃったもん」


「それはそうだ。白は神の色と言われている」

「……神の色?」

「あぁ。一般的に白い獣は神獣と呼ばれている」


 薬を塗っていた手を止めて、ゴクリ、とリリスは唾を飲み込んだ。その白くて細い喉が、静かに上下する。


「……神獣?」

「あぁ」

「……神様の使いの?」

「そうだ」

「…………」


 さすがのリリスも押し黙った。神獣とは、おとぎ話に出てくる神の使いである。大ババ様が小さい頃によく聞かせてくれたおとぎ話に、幾度となく登場していた記憶がある。先ほどから、じわじわと冷や汗が滲んできていた。


 不幸なことに、リリスの故郷ではおとぎ話というものは、口承こうしょうされるものなのだ。その神獣の外見的な特徴が、白色だなんて知らなかった。


「ひいッ」


 リリスはようやく、ことの重大さに気づいた。昔、大ババ様の聞かせてくれたおとぎ話が、脳内で蘇る。



『――神獣様は、神のお使い様。神の御心の一端を担うもの。穢れなきもの。見たもの全ては魅せられる。とてもとても美しい、尊き御方じゃ。


 昔むかし、そのあまりにも美しいお姿に魅せられた強欲な王が、お使い様を捕らえて殺してしまった。あぁ、あぁ、なんということか。神はたいそう嘆かれた。その涙は、大地を飲み込み、強欲な王は神の怒りに触れた。強欲な王は、いかずちに打たれ、王の国は一晩で神の涙の底に深く、深く沈んだ。あぁ、あぁ、なんということか。欲をかいたばかりに。愚かなことだ。


 人々は言う。神の可愛い、かわいい神獣様を虐めてはいけないよ。人々は伝える。運よくたいそう美しいものを見つけても、強欲な心を持ってはいけないよ。強欲な王の国は、美しくも恐ろしい海の底。強欲な王は神に焼かれて消え失せた。


 神獣様は、神のお使い様。神の御心の一端を担うもの。穢れなきもの。見たもの全ては魅せられる。とてもとても美しい、尊き御方。運よく見つけても、触れてはならぬ。よぉく、覚えておいで――』



 それからしばらく、リリスは日々、天罰に怯える生活を送ることとなった。

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