114話 母に嬉ぶ妹と恐れる兄


「トマトは熱を通すとさらに甘く、美味しいのですね」


 洋食とはまったく無縁の海巴雫みはなは、晩ごはんの感想を素直に述べた。それを聞いた翔はものすごくほほ笑む。

 そしてその後、不満げに海巴雫の顔を斜視る。


「兄様?」

「おひい……なんでこんな処で」


 翔は今、海巴雫と二人きりで寝ている。

 一緒に寝たいという妹の久々要望に従ったことに翔は今、猛烈に後悔している。


 翔の声は張りがなく、被る毛布で遮断され細々隠る。

 海巴雫はくすふふふと笑うや、翔の髪を撫でた。翔は触れられた髪先にある海巴雫の手を掴むとぽすっと、毛布の中にしまう。

 そうして海巴雫を抱き竦め、もそもそ奥へと沈む。

 

「あら、兄様。ここでは名前を呼んではくださらない?」

「駄目だダメすぎる……」

「ですわね。だってここ……」

「そうだよ、バカ! もしここに、某アニメの測量器スカウターがあっても此処じゃあ役に立たない。そんだけ未知数極まりないゆえに恐ろしい場所なんだ。わかる?」

「ですが。寝泊まりしていいって兄様……」

「いいぞと言った手前。でもこことは」


 「思いもしなかった」と、もやる翔がいる。

 覇気が無い翔の理由は二人がいる所に、問題がある。


(くそお、なんで言う通りにしてしまったんだ?)


 今、俺と妹がいる場所は曰く付きの平野だ。

 曰くといっても元は、俺の家が建っていたのであって。今では俺を狙う術者を誘き寄せるあの、呪符土偶が埋まる野原であって。

 俺の心境は複雑だ。

 だってここは、母さんが守護する土地だもの。

 

(幾ら結界内でも、俺が張る結界ではなく……)


 翔はぶるっと全身を震わせると海巴雫を強く、抱く。


「おまえ、あったかいね。子供体温かな?」

「兄様も温かいですわ」

「くす、そうか。良かったよ、場所が場所だけに――風邪。引いてもらうと困るから」

「私、寝袋シュラフなんて初めてです」

「だよな、でもね」


 ふんふんと鼻息を立て、まるで玩具おもちゃを与えられたように無邪気にはしゃぐ海巴雫に翔はほころぶ。


(最近、優希と一緒にいるからか仕草が似てきてる気がするよ。でも物静かよりこっちの海巴雫の方が俺は好きだな……けど今は……)


 海巴雫は翔の胸に頬をぴたりとくっつけ、満足している。 


「しかも二人用なんてあるんですね」

「そうだよ。でね海巴雫おひい


 なんとかして寝つこうとする翔は、頭をかき困憊する。そんな翔に海巴雫は、「くすす、兄様」と可愛い声で訊ねると翔は、「ああ、くっそ」と不満を強調さす。


「寝袋は良いのよ。でもね……なんでほんと。なんだよここで天幕って、勘弁だよ」

「あら、素敵でしょ?」

「素敵なものか!」


 俺は海巴雫の髪に顔をうずめ、肩と背中を撫でつつ強く腕の中に閉じ込めた。


(俺、普段寝付き良いのに一向に寝れない)


 翔の気持ちと裏腹に海巴雫は、楽しんでいる。


「でも、ここ。お母様の加護も有りますから私がキャンプするには……」

海巴雫おひい!」

「あら、やはりお名前では?」

「呼べないよ! 俺でも手に負えない場所だよ? キャンプがしたければ俺や優希達が何処へでも連れてってやる。陽介さんが良い穴場スポットに釣り場に。初恵さんはバーベキュー拵えてくれるから」


 いつもの俺ではなく情け無い俺をって、もしかすると海巴雫には今更かもだけどでも、そんな姿を惜しげなく曝す。

 海巴雫もたぶん、俺の真意に気付いてるはずだ。

 此処は安全だけど本能では危ないと。お前も俺も、そう感じているのにお前は笑うんだね。

 幾ら護られているとはいえ、外には変わらない。


(何があるか分からないこんな場所、副人格ストッパーに相談して潰しておくんだった)


 今さら悩む俺はなぜ平然と、この地に足を着けていたんだろう。いくら術者を迎えるためとはいえ、こんな不完全この上ない揺らぎ場に……。

 

「兄様は此処で術者と相対し、時には盟約、時には浄化を。していたんですね」

「そうだよ」


 そう俺は時に、あいつストッパーに身体を開け渡してでも此処で龍遣いと争っていたんだ。


(最初の相手はヤミさんでこの間は春夜。そして海巴雫はヤミさんの主人。こうして考えるとって、笑ってる場合か!)


 俺は、吹き出しそうになる口を抑えた。

 「兄様」と、不思議がる声に安堵する。腕の中にいる小さな存在が今、なぜか大きく感じる。


「海巴雫……」

「ふふ、やっと名を……あら、震えてらっしゃる」

「当たり前だ、今もの凄く気を張りつめておまえを呼んだわ!」

「あん、ありがとうございます♪」


 海巴雫は喜ぶと俺の胸に顔をうずめさす。外で妹の名を呼ぶのは俺だけだ。だからいつ何時でも、俺には呼んでほしいのだろう。

 その気持ちは分かる。


「ごめんな」

「ふふ、謝らないでくださいまし」


 海巴雫はこういうことに関しては俺より先輩で、龍神序列だと上だもんな。


「今は二人でないと意味なさないんです」

「なんだよ、それ」


 まつ毛をぱちぱちと上下に瞬く、無邪気に微笑む顔に俺は覗かれる。


(本当に。面影が母さんだな)


 一瞬。母さんが子供時代はこんな感じ? と、頭に過った。


「ここの風は不思議な匂いがします」

「そうか?」

「はい、蒸しった草の夏の匂いかと思いきや、小麦の穂が薫る。チューリップの甘い蜜が鼻をくすぐると朝顔が顔を覗かす」

「ん?」

「苺の甘酸っぱいが広がると葡萄に柿に蜜柑。ふふふ、不思議です」

「ああ、どれも母さんの好物だね」


 母を知らない海巴雫が、母が好きな物を述べる。でも海巴雫が言うことには矛盾がある。

 此処の空間は不安定で本来は土しか無い、平野なんだ。

 まあ、稀に。背高く黄色の我が物顔が空向かい、伸びているけど……。


「うん、ここは不思議だよ。季節関係なくこの間は向日葵が咲いていた」

「まあ、見たいですわ」

「朝、外を窺おう」

「はい」

「……咲いてるといいね」


 でも本当に、何も無い地面が伸びるだけなんだ。海巴雫に話している俺はなぜか、とある書物を思い出す。

 妖怪は出て来ないけど物語に出て来る遥々伸びる薄野すすきのとどこか、雰囲気似る此処を回視しさせていたんだろう。


「はい」

「きっと─……、咲いてるさ」


 海巴雫が、観たことない情景を思い浮かべている。

 母は春はチューリップ、夏は朝顔と向日葵が本当に好きだったんだ。そして秋は必ず、ゴッホの絵画に似た小麦畑を。

 四季折々の趣きを楽しむ為に、家族でよく外に出向いたものだ。


「母さんに会いたいんだな?」

「あら、兄様は会いたくありませんの?」

「俺? 俺今は。そんな気分じゃない」

「……そうですの?」

「ごめん」


 俺の腕を握る海巴雫の拳に、力が入っているのがわかる。

 そうだよね。俺は家族を味わっているけど海巴雫は違う。【金龍】を宿らせる為に生まれてすぐ、海沙樹おばあさんに引き取られたんだ。

 その原因は俺の中にいる住人暴食の所為だけど、そう仕向けた【金龍】にもある。


「兄様、私と競ってくださいませ」

「それは出来ない話だよ」

「どうしてです」

「……おまえに上げたそのネックレスの石。それは加護でもあるけどね」


 翔はつぶらな瞳を前にし、戸惑いの笑みを見せた。


「それはおまえの中【金龍】を一時的に、封印する物でもあるんだよ」

「……やはりそうでしたのね」

「……だって、そうでもしないとこのままだとお前。そいつに支配される恐れがある」

「ですから、なのです。この隙に兄様の【暴食】で私を喰らってくださいませ」

「あほ抜かすな」


 俺は海巴雫を強く、もの凄く壊れるかもと思うぐらい力任せに抱きしめた。

 海巴雫は黙って俺に、潰されている。


(ごめん、不甲斐ない兄で。でもそんな割り切れるものでもないんだ)


 俺も妹に出会ってから何度も考えた。でも海巴雫の中にいる龍を喰らうととんでもない事が起きそうで、怖くて。

 何も出来ずにいる。

 俺は臆病だ。


 そんな時だった。


 目をきつく閉じる俺の耳に、甘く懐かしい囁きが届く。

 俺は海巴雫を抱き竦め縮こまる身体を伸ばし、辺りを窺う。『……』と細々していた音がはっきりと今、聞き取れる。


『翔。海巴雫』

「え!?」

『ふふ、大きくなったわね』


 甘い声色が翔と海巴雫に、降って来た。

 ふわりと、温かい心地よさが抱き合う兄妹に腕を伸ばして来る。そして二人を包み込むと明るくも切ない吐息に混じり、名前を何回も呼んでいる。


『仲良くて、嬉しいわ』


 驚く翔と海巴雫が顔を上げると、二人を覗き込む美麗な姿がそこに浮きぼっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る