第64話 小刀のつぶやき

 衣替え直後、まだ半袖シャツで賑わっていた教室だが今は皆が長袖シャツに落ち着いている。

 それは哲弥も同じである。

 哲弥はいつもの指定席に坐り机にもたれ、顔を窓に向けている。

 少し曇った空を眺め、ズボンのポケットに忍ばせていた小刀を机に出す。置いた刀を触り、鞘から出し入れしては溜め息をつく。

 哲弥がいじる小さな合口は、翔が傘刀護り刀の代用として与えた護符おまもりだ。

 

 今日の空模様は哲弥の気分、そのものである。


(何度見ても、だよなぁあ)


 哲弥は譲られるはずだった長刀に思い馳せ、手に受け取った小刀に思いがくすぶり、少々ご立腹だ。

 愚痴を零したいあいては今日は私用で、学校を休んでいる。


「クッソ、翔のヤツ。あっちの方が断然カッコ良かった!」


 手にある小刀を翔に見立て、文句言う哲弥の頭上にふと黒い影が覗き込んだ。

 顔を上げた哲弥にハスキーな声がふはっと笑う。そしてすぐ、話し掛けて来た。


「あら、かわえぇ刀やなぁ。鉛筆でも削るんかぇ」

「ハア??」

「なんや可愛いけども怖いやいなぁ」

 

 哲弥はいきなり話され面食らうも、降り注がれた言葉が訛っていた所為もあり、見知らぬ関西人になぜか気が弛んだ。


「不思議やぁ。美味しい匂いもぷんぷんするしぃ尖端から、こぅ醸す危ない香りと甘さとのギャップがあり過ぎやない?」


 訛り口調の者が綺麗な指を出し、哲弥の手に有る小さな尖りを掴もうとする。  

 慌てた哲弥は刀を片そうとしたが間に合わず、白魚のような指がプツリと切っ先に……じんわり。

 白魚の先丸みに、円状帯びる緋真珠が浮かんだ。


「わぁああ、何で、何で」


 哲弥は服のポッケからチェック柄のハンカチを出し、急いで疵口を結んだ。

 男なのか女なのか、誰の指なのか分からず、ぐるぐると大柄模様に巻きつかれた指は不格好な姿を晒す。

 大きな布にジワッと茶色い染みが広がり、ある程度すると留まった。

 止血を終えた哲弥はほっと胸を撫でおろし、自身の指も疵ついてないか手を探る。


「ふふふ、ハンカチを出すの子おるんですなぁ、珍しい」

「?! きさまは誰?」


 哲弥は本腰を入れ、訊き慣れない透んだ声に耳を傾ける。目線上げ、眼前にいる人物が自身にとっての敵か味方か、品定めを仕始める。


「ふふふ、ハンカチは貰いますよってに、おおきに」


 京都弁が似合う黒髪ボブの者ははにかんだ。さらっとした濡れ羽色の細糸が哲弥の頬を流れていく。

 可愛いピンクの唇が哲弥の耳元で、囁く。


「今日、龍の子はいなせんなぁ?」


 哲弥は小声で訊ねられた言葉に、椅子から落ちてしまう。

 尻もちを突いた哲弥は尻を叩き、ゆっくり顔を上げるもその表情はは青く引き攣っている。

 同じ位置にある顔を凝視し、頭からつま先まで観察をし始め唸る。


(背はおれより少し低いな。そして、うん! 知らない顔だ)


 哲弥の前にある精悍せいかんな眼つきの者は女子の制服を着ているが、漂う雰囲気が少々ている。

 不思議な感覚に哲弥は、首をかしげる。


(なんだ妙だな、それにこのねっとりとした執拗さはなんだ?)


 緊張感に襲われた哲弥はワイシャツのボタンを胸部分まで外し、白い服はガッシリとした胸板をチラつかせる。吹き出た汗が分かるほどに、小麦色の肌を服は透かしていく。


(苦しい……息が重い)


 息が乱れ始めた哲弥は相手のを覗き込んでしまう。整った顔についている黒い二つ穴に鳥肌をゾワッと立たせ、汗をさらに滲ませていく。

 哲弥が伺う白皙はくせきの長い睫毛の奥に付いている黒水晶は穏やかな耀きとは別に不似合いな深淵を、覗かせていたのだ。

 

「会えると楽しみにしてたんやぁ、綺麗な龍に」


 柔らかく微笑する顔は綺麗だがどこか陰りある含み笑いに、哲弥は悪寒が隠せない。


「残念やなぁ、居なせんかぁ」


 哲弥は噴き出る汗に困るも不気味な人が見せた白い歯に、顔を綻ばている。


「殿の好みストラぁ─イク」

「葵」


 嫌味を言う葵は二人の間を割り込み、机に手をドンと置き哲弥にうっすら冷ややかに微笑する。

 冷笑が似合う葵に哲弥は肩を竦め、「あのな」と、口を歪め話しかけたが葵の興味は哲弥から離れ、横にいる者に向けられる。

 葵は眉間にきついシワを寄せており……。


「哲弥に何用ですか? 先輩」

「へェあんた、テツヤ言いますん?」

「先輩、自己紹介は必須でしょう? 男なのに男漁りですか。雄輔センパイ」

「なんやぃて? 葵ちゃん」

「もうこれだから男のは」


 葵は机に坐り、雄輔のスカートのひだプリーツを掴んだ。

 哲弥は葵が来たことでホゥと、胸を撫でおろすがしかし、感じる異様さは変わらない。

 

(こんな三年、前から居たか?)


 不思議に感じる哲弥の横で、葵は普通に女装子センパイと会話をしている。


(いやいや、待て待て)


 頭を振る哲弥を余所に、葵は普段と変わらない。そういえば……と哲弥は訝し、教室を窺うが皆はに普通に挨拶している。

 

(変だ。おれは。こんなセンパイがいたら常に話題に上がるはずだ)


「あのな、葵」

「何? 哲弥」

「テツヤくん」


 スカートを裾を軽く持ち上げた男娘おとこは返事をする葵に言葉を重ね、哲弥を呼んだ。


「あては黒江、黒江雄輔くろえゆうすけ。よろしゅう」

「先輩、マジで挨拶してます。まぁ初対面なら仕方ないですがただ、哲弥が知らないのが変です」

「ああ、おれは知らない」


(何度でも考えてやる。おかしいのはおれ? 翔は知っているのか? 級友クラスメートは?)


 周りをらし見、考える哲弥の鼻を抓んだ黒江は嘲笑している。


「じゃあ。テツヤくん、葵ちゃんまたやね」


 可愛いく笑う黒江センパイは哲弥の鼻先に軽くキスし、手を振る。


「じゃあ、こから龍の恋人つがいに会いに行くよってに」


 スカートを翻し、男娘黒江は鼻歌交じりで教室を出て行った。


「何し来たんでしょう」

「翔はいるか──と」


 哲弥は顎に垂れている汗を拭い、引いた椅子に尻を乗せようとしたがまた落ちてしまう。

 そんな哲弥を葵は大笑いした。

 笑われた哲弥は葵の額をぴんと弾きチェッと舌打ちし、服をパタつかせ小言を言うはずが普通にぼやいた。


「あんな三年いたか?」

「? いまし……た、よぅ?」


 葵の言い方に不審を抱いた哲弥は自身の記憶を確信すると再度、葵に訊き返す。

 先輩について繰り返されり哲弥の問いに葵は、あやふやな態度を取り始め……最終的にきっぱりと、ある言葉を言い切る。


「いません! あれ?」

「葵、もう一度ようく考えろ。あんな三年いたか?」

「いない!」


(アイツを一瞬でも可愛いと思ったおれが馬鹿だった……)


 葵の肩をしっかり掴み、哲弥は項垂れる。


「でも、哲弥の好みでした」

「言うな! 反省してるんだ」


 哲弥は赤らめた顔を血の気引く青い顔へと、そして視線は教室の扉を睨む。

 至って普通な扉、普通な教室。何も変わらず、いつもと似た会話が流れる。

 

(男が入ってきた。おれには見知らぬ人だが、皆には変わった年上なんだろう? なのに──)


 少しは注目されても良さそうなものの話題の一つも「三年と知り合い?」と訊ねる者もいない。

 葵は何かが腑に落ちないらしく、哲弥の横でフクロウのように首をかしげる。哲弥は葵の様子も含め、周囲を俯瞰し、翔に訊かされていた術者の話を思い出す。


『暗示や幻視、掛けられた者は正に狐に化かされた状態なんだ。そこの異常にはまったく触れない、気付かない』


(コレが「暗示」というモノなのかは分からない。が……)


 哲弥はズボンのポケットにある、

小刀護符を握る。


(おれが思うことはただ一つ。あれは敵だ!)


 重い頭の中、整理がやっとついた哲弥は葵の肩を掴んだ。


「おいっ、優は?」

「えっと」


 哲弥は葵の返事を待たず、鞄を手にした。


殿テツ? どうしたのです」

「葵、帰るぞ!」

「え、でも授業は?」

「優だ! 優希はどこだ!」

「調理教室です」

「そうか」


(クソッ気づけ、おれ。あいつは恋人つがい」と古い言い回しを。あれは優希のことだったんだ。それに翔を龍と言った時点でそういうことだろう?! バカ馬鹿なおれだ、ほんとうに)


「あれ、哲弥帰るの」


 クラスの男子が急ぐ哲弥に、声を掛ける。


「おうっ、帰る」

「自習は」

「受けない。プリント引き出しに入れておいて、優希とおれと」

「私のもです」


 二人は指をブイサインで決め、級友に頼んだ。


「分かった。え、優ちゃんも!?」

「おうよ」

「うわぁ、今日は見張りがいないから狙ってたのに」

「ハハハ、止めとけ。翔がいなくても小姑がここにいるから」

「小ジュってせめて騎士ナイトと呼んでください」


 クラスの男子は「確かだ」と言い、葵の頭を軽く小突いた。

 出て行く二人は級友に手を振ることを忘れず、急ぎ去って行く。

 哲弥は葵の手荷物を奪い、せかせかと歩き出した。


「あら珍し、殿が自主的に荷物を。今から雨ですよ、絶対」

「持たなけりゃ文句、持ったら待ったで厭味。おまえな?」

「フフン。嘘ですよ、ありがとうございます。哲弥」

「おっ、おうっ」


 意気揚々と二人は優希がいるであろう二階の調理室へと向かう。

 生徒が次の授業のため教室に入っていく最中、哲弥達は優希を迎えに階段を駆け下りていく。


 人気なく、静まる廊下を二人はこれから迎える危機感とは別に楽しげに走る。

 足音を軽く響かせる者を校内のチャイムは送り出すかのように、鳴り響く。

 

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