第42話 煩悩と静寂
安心して寝つく翔は傍らに在る、柔らかい寝息と温かい肌に触れた。
「!」
翔の隣に艶めかしい柔肌があり、腕に可愛い寝顔を抱いてることに気づく。腕の中で寝返りをうつ優希の眩い乳白色の裸体に、翔は生唾を隠せない。翔はヤミの「性欲」という言葉に頭を叩かれ、顔を赤らめた。
(……俺、ほんとうに反省だな……)
床に放られた優希の浴衣を手繰り寄せ、肌を隠すためゆっくり覆う。寝返り打つ優希に照れる翔がいた。
優希の寝姿をぽーと眺めている翔に、囁く声が一つ。
(おい、翔。少し代われ)
「え、人格? 珍しどうし……」
訊ねる翔に間髪入れず【ヅッぶッ──】と、回路が切り替わる。
「ふぅん、すまん翔。無理な願いとは解っているが……」
いきなり表に現れる
優希を眺め、
(クスッほんと、翔は優希が好きだな)
「翔、ちょっといイか?」
「ここでいいなら。何用だヤミ」
睨むような目つきでいた。物腰は柔らかいが少し強め口調の翔に、気づいたヤミが笑う。
「いつ替わった? 優ちゃんはお前が抱いたのか?」
「俺じゃない。翔だよ、俺が抱いていいなら抱きたい」
「やはり縁側で話そう。ここだと悶々する」
「おっ、正常心が足りンな。お前でも優ちゃんはクラクラすルのか?」
「うるさい!」
優希のうちわを手にした翔はいそいそと歩き、縁側に足を投げ出し坐った。隣にヤミが腰掛けると、翔は柔らかく睨んだ。
「おまえ先ほど翔に半分は鍛錬と言ったな。あと半分は何だ?」
「そレは」
「
「……青龍様に遭わせたら
「そんなヤワな
ゆっくりうちわを扇ぎ、
「龍に対し、予め構えて於かんと苦労する。ヤミもそうだろう? その濁音混じりの言葉遣い、龍にいじられたんだろう?」
「……俺のことは今はイイ。俺は
「そんなの
「翔の代理だけド御柱、
「フッ、分かってんじゃん。そう
「は?」
「フフ、
翔はゆっくり顔を上に向け、夜の帳を見やった。扇がれるうちわの動きに合わせ、蛍がゆらりと舞う。
「ナトリって、湊様ノ」
「そうだよ。そもそも父さんは
「え、でも
「!? 何だ少々詳しいな、生前の母さんから訊いたのか?」
翔は柔らかくヤミを睨めつけ、鼻息を軽くついた。
「そうだよ。詳しくは
「湊様は能力者デはない?」
「ああ、違うよ。でも霊力はピカイチ、母さんより上。そして希少な『七十麟』だ」
ヤミは人格から話を訊き、少し不思議に思った。
(瞳海沙様より上、霊力に気づかなかった本人。翔は龍ではなく本来『湊様』を継ぐ器?)
ヤミは翔の
ヤミは少し悔しく思い、目元を引き攣らせ翔を睨んだ。
「
「父さん? 何者と云われれば人だけど霊力の本質はたぶん名字の一字、『麟』から来てるのではと俺は思う」
「え、麟ってでは、キリ……」
「シィイ、聲に出してはならない」
翔はヤミの考えを否定せずにただ、言葉を止めた。ヤミの唇に添えられた翔の人差し指は力ずくで口の動きを塞ぎ、ジッとした。
「俺も初恵も死した二人も確証が在るわけではない。伝説史上神に近い存在、龍以上未満の天子神獣の存在をお前達は赦すか?」
「?!?」
「千年に一度、顕れるモノがずぅうと普通に横にいた──赦せるか?」
「それは」
「しかもそいつは『暴食』の封印に遣われましたとさ」
「!!」
「そうだろう? 神聖な者に対する冒涜だ、
「すまんな、ヤミでも『七十麟』は詳しく教えられん。自分で調べろ」
「そうなノか」
「そうだ、今は深く考えるな。俺はこのように、翔に付き合うおまえが好きだ」
静寂な木々の
「綺麗だ」
翔はうちわで蛍をふわりと追い立て、泳ぐ暉を楽しんでいた。
「もうそろそろ翔に替わろう、優希も起こそう。蛍が良い感じだ」
「ほんとうに教えてくれなイ?」
翔は起ち上がり、横で情けなさそうに眉尻を下げるヤミに笑顔を向けた。
「俺が一つ云えるのは海沙樹は腹黒。霊能者というか能力者全員俺から云わすと皆、腹黒」
背伸びする翔は周りを一望し、羨ましそうに白い歯を見せていた。
「短い生命、コイツらは力強くあがきそして……」
翔は蛍をそっと掌で柔らかく包みその隙間から覗いた。
淡い点滅が翔の眼を明るく、仄暗く、を繰り返し照らす。
「おまえができることをすれば良い、俺は俺で出来ることを……今はただ流されろ。深く考えると長生きできんぞ?」
嘲る翔にヤミは躊躇う。
翔はヤミにニヤリと口角を上げ
「優希」
ヤミは翔の姿を眼で追った。
翔は優希の上半身を起こし、浴衣を整え、頬にキスをしていた。
二人の姿にヤミは相変わらずだなと細い狐眼をさらに細め、微笑した。
(そうだな、前も思ったがやれることをやるだけだ)
蛍に魅入るヤミの横に、ストンと腰を据える翔がいた。腕には寝惚ける優希を抱き、離さない姿にヤミは戯ける。
「おまえ、優ちゃんヲいつも抱き枕のように抱えて」
「だって優、気持ち良いんだもの」
白い肌を高揚させた翔は朱い
「今気がついた。すマんな、結構あちこチ傷になってたんだな。治癒は?」
翔の顔や腕には擦り傷、痣と、先ほどヤミと遣り合った体術の
「消すなんて勿体ない。これは修行でつけられたんだから反省のため置いておくんだ。治癒は自然任せ」
「! そウか」
喋り口調から、翔自身に戻っていることを確信したヤミが訊ねた。
「おまえも大変ダな。あちらこちらトほんとうの自分は理解してるのか?」
「うん、大丈夫」
満面に笑みする翔にヤミは安堵し、静かに微笑した。
「ねぇヤミさん、先ほど人格が何か云ってたかもだけど、俺おひいのこともどうにかしたい」
「おひい様?」
「あっでも、その前にやる事山積みだけどさ」
首を捻り、破顔する翔にヤミは可愛いと思い軽く吹き出し、翔の髪をくしゃくしゃに撫でた。
「そうだな、ユっくり行こう」
「ヤミさんありがとう」
翔の膝上に乗せられていた優希が、二人の話し声で眼を覚ました。優希の眼前を行き交う光玉は各々色違いに淡く、儚い姿を見せびらかす。
「わぁ、綺麗」
「うん」
強い光を放つ蛍が立木の
「ヤミさん、ほんとありがとう」
可愛いく微笑む翔の礼をヤミは素直に受け取り、微笑み返し。
「また、来れバいい」
ヤミはひと言ぽそっと告げ、翔の髪をまたくしゃくしゃに撫でた。そして静かに去って行った。
優希はヤミの背中を見送り、翔に相槌をうつ。
「ヤミさんって最初恐かったけど、優しいね」
「そうだね」
優希は翔の腕の中、光の粒を指で突き楽しんでいた。翔は黙って優希を眼で追う。
「優希、宿題やった?」
優希は翔の訊ねた言葉に現実に戻され、憤りを翔の頬にぶつけた。優希に力強く頬を捻られた翔は、楽しそうであった。
「いらい、いらいほめん」
「もう、今言わない!」
抓り終えた優希は翔の膝の間にストンと落ち着き、蛍の光を楽しむ。翔は優希と瞳に入る淡い点滅色を眺め、ほくそ笑んだ。
あと少しでこの夏は終わる。
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