第42話 煩悩と静寂

 


 安心して寝つく翔は傍らに在る、柔らかい寝息と温かい肌に触れた。


「!」


 翔の隣に艶めかしい柔肌があり、腕に可愛い寝顔を抱いてることに気づく。腕の中で寝返りをうつ優希の眩い乳白色の裸体に、翔は生唾を隠せない。翔はヤミの「性欲」という言葉に頭を叩かれ、顔を赤らめた。


(……俺、ほんとうに反省だな……)


 床に放られた優希の浴衣を手繰り寄せ、肌を隠すためゆっくり覆う。寝返り打つ優希に照れる翔がいた。

 優希の寝姿をぽーと眺めている翔に、囁く声が一つ。


(おい、翔。少し代われ)

「え、人格? 珍しどうし……」


 訊ねる翔に間髪入れず【ヅッぶッ──】と、回路が切り替わる。


「ふぅん、すまん翔。無理な願いとは解っているが……」


 いきなり表に現れる人格ストッパー。横で寝そべる優希を優しく眺め、微笑んだ。口に手を添えた人格はフゥと溜め息を訝しげについた。

 優希を眺め、本体主人格を笑うストッパーがいた。


(クスッほんと、翔は優希が好きだな)


 人格ストッパーは優希の髪を優しく撫で梳き、嬉しそうに微笑した。そんな折り、ヤミが部屋を覗き翔に話しかけた。


「翔、ちょっといイか?」

「ここでいいなら。何用だヤミ」


 睨むような目つきでいた。物腰は柔らかいが少し強め口調の翔に、気づいたヤミが笑う。


「いつ替わった? 優ちゃんはお前が抱いたのか?」

「俺じゃない。翔だよ、俺が抱いていいなら抱きたい」


 ストッパーはぼやき、足元にある夏布団を優希に掛けた。畳の上で脚を崩し、リラックスし落ち着かせていた身体を立たせた。


「やはり縁側で話そう。ここだと悶々する」

「おっ、正常心が足りンな。お前でも優ちゃんはクラクラすルのか?」

「うるさい!」


 優希のうちわを手にした翔はいそいそと歩き、縁側に足を投げ出し坐った。隣にヤミが腰掛けると、翔は柔らかく睨んだ。


「おまえ先ほど翔に半分は鍛錬と言ったな。あと半分は何だ?」

「そレは」

人格のことだよな? 何がりたい?」

「……青龍様に遭わせたらおまえ人格の翔が出てくるかと思ったが」

「そんなヤワな精神つくりでもないし、翔もそれなりに強い。俺が出てくる時は学習教えるかピンチの時だ。まあその内、精神統合すると思うが」


 ゆっくりうちわを扇ぎ、ストッパー人格は話す。


「龍に対し、予め構えて於かんと苦労する。ヤミもそうだろう? その濁音混じりの言葉遣い、龍にられたんだろう?」

「……俺のことは今はイイ。俺は人格おまえのことガ識りたい」

「そんなの母さんみなさに訊けと云いたいがいねーし、父さんみなともいない。俺を識るのは初恵だけだがヤミは薄々分かってんじゃねぇのか」

「翔の代理だけド御柱、の代理」

「フッ、分かってんじゃん。そう御柱だ。この身は銀龍龍神を宿したが本来の目的は龍を継ぐためだけでは」

「は?」

「フフ、七十麟なとりだ」


 翔はゆっくり顔を上に向け、夜の帳を見やった。扇がれるうちわの動きに合わせ、蛍がゆらりと舞う。


「ナトリって、湊様ノ」

「そうだよ。そもそも父さんは神宮やしろの人間でも日本人でもないしな」

「え、でも瞳海沙みなさ様はソんなことは一言も、たダ見合いで知り合い結ばれたと」

「!? 何だ少々詳しいな、生前の母さんから訊いたのか?」


 翔は柔らかくヤミを睨めつけ、鼻息を軽くついた。


「そうだよ。詳しくは海沙樹ばばぁにとまあ、訊いたところで解らんだろう。父さんの能力を認めたのは母さんだ。どうして出会ってそうなったのか……分からん。第一父さんは霊能力があるなんて思ってもいなかったことだし」

「湊様は能力者デはない?」

「ああ、違うよ。でも霊力はピカイチ、母さんより上。そして希少な『七十麟』だ」


 ヤミは人格から話を訊き、少し不思議に思った。


(瞳海沙様より上、霊力に気づかなかった本人。翔は龍ではなく本来『湊様』を継ぐ器?)


 ヤミは翔のを覗き込むように、瞳の中に深く潜り込んだ。を探るヤミはストッパーに気づかれ、掌で顔面を叩かれた。

 ヤミは少し悔しく思い、目元を引き攣らせ翔を睨んだ。


可怪おかしなことを。湊様は何なのダ?」

「父さん? 何者と云われれば人だけど霊力の本質はたぶん名字の一字、『麟』から来てるのではと俺は思う」

「え、麟ってでは、キリ……」

「シィイ、聲に出してはならない」


 翔はヤミの考えを否定せずにただ、言葉を止めた。ヤミの唇に添えられた翔の人差し指は力ずくで口の動きを塞ぎ、ジッとした。


「俺も初恵も死した二人も確証が在るわけではない。伝説史上神に近い存在、龍以上未満の天子神獣の存在をお前達は赦すか?」

「?!?」

「千年に一度、顕れるモノがずぅうと普通に横にいた──赦せるか?」

「それは」

「しかもそいつは『暴食』の封印に遣われましたとさ」

「!!」

「そうだろう? 神聖な者に対する冒涜だ、海沙樹ババァが識ったら怒る……いや、もう識ってるだろうなぁたぶん」


 ストッパーはゆっくり頭を掻き、項垂れ、静かに思いつめた。


「すまんな、ヤミでも『七十麟』は詳しく教えられん。自分で調べろ」

「そうなノか」

「そうだ、今は深く考えるな。俺はこのように、翔に付き合うおまえが好きだ」


 静寂な木々のをりりぃーんと鈴虫の啼き聲が賑わう。そこに蛍が合わせてきた。


「綺麗だ」


 翔はうちわで蛍をふわりと追い立て、泳ぐ暉を楽しんでいた。


「もうそろそろ翔に替わろう、優希も起こそう。蛍が良い感じだ」

「ほんとうに教えてくれなイ?」


 翔は起ち上がり、横で情けなさそうに眉尻を下げるヤミに笑顔を向けた。


「俺が一つ云えるのは海沙樹は腹黒。霊能者というか能力者全員俺から云わすと皆、腹黒」


 背伸びする翔は周りを一望し、羨ましそうに白い歯を見せていた。


「短い生命、コイツらは力強くあがきそして……」


 翔は蛍をそっと掌で柔らかく包みその隙間から覗いた。

 淡い点滅が翔の眼を明るく、仄暗く、を繰り返し照らす。


「おまえができることをすれば良い、俺は俺で出来ることを……今はただ流されろ。深く考えると長生きできんぞ?」


 嘲る翔にヤミは躊躇う。

 翔はヤミにニヤリと口角を上げきびすを返し、優希の元へ。


「優希」


 ヤミは翔の姿を眼で追った。

 翔は優希の上半身を起こし、浴衣を整え、頬にキスをしていた。

 二人の姿にヤミは相変わらずだなと細い狐眼をさらに細め、微笑した。


(そうだな、前も思ったがやれることをやるだけだ)


 蛍に魅入るヤミの横に、ストンと腰を据える翔がいた。腕には寝惚ける優希を抱き、離さない姿にヤミは戯ける。


「おまえ、優ちゃんヲいつも抱き枕のように抱えて」

「だって優、気持ち良いんだもの」


 白い肌を高揚させた翔は朱いをヤミに晒した。気づいたヤミは申し訳なさそうに言う。


「今気がついた。すマんな、結構あちこチ傷になってたんだな。治癒は?」


 翔の顔や腕には擦り傷、痣と、先ほどヤミと遣り合った体術のすべてが体に浮き彫り出来上がっていた。


「消すなんて勿体ない。これは修行でつけられたんだから反省のため置いておくんだ。治癒は自然任せ」

「! そウか」


 喋り口調から、翔自身に戻っていることを確信したヤミが訊ねた。


「おまえも大変ダな。あちらこちらトほんとうの自分は理解してるのか?」

「うん、大丈夫」


 満面に笑みする翔にヤミは安堵し、静かに微笑した。


「ねぇヤミさん、先ほど人格が何か云ってたかもだけど、俺おひいのこともどうにかしたい」

「おひい様?」

「あっでも、その前にやる事山積みだけどさ」


 首を捻り、破顔する翔にヤミは可愛いと思い軽く吹き出し、翔の髪をくしゃくしゃに撫でた。


「そうだな、ユっくり行こう」

「ヤミさんありがとう」


 翔の膝上に乗せられていた優希が、二人の話し声で眼を覚ました。優希の眼前を行き交う光玉は各々色違いに淡く、儚い姿を見せびらかす。


「わぁ、綺麗」

「うん」


 強い光を放つ蛍が立木の葉簇はむらの輪郭をなぞり、高く低く飛び交う。見ている者たちに夏の、今年最後の宴を披露した。


「ヤミさん、ほんとありがとう」


 可愛いく微笑む翔の礼をヤミは素直に受け取り、微笑み返し。


「また、来れバいい」


 ヤミはひと言ぽそっと告げ、翔の髪をまたくしゃくしゃに撫でた。そして静かに去って行った。

 優希はヤミの背中を見送り、翔に相槌をうつ。


「ヤミさんって最初恐かったけど、優しいね」

「そうだね」


 優希は翔の腕の中、光の粒を指で突き楽しんでいた。翔は黙って優希を眼で追う。

 

「優希、宿題やった?」


 優希は翔の訊ねた言葉に現実に戻され、憤りを翔の頬にぶつけた。優希に力強く頬を捻られた翔は、楽しそうであった。


「いらい、いらいほめん」

「もう、今言わない!」


 抓り終えた優希は翔の膝の間にストンと落ち着き、蛍の光を楽しむ。翔は優希と瞳に入る淡い点滅色を眺め、ほくそ笑んだ。


 あと少しでこの夏は終わる。


 


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