第54話 おばあちゃんのカンロ飴



  

 海沙樹との一戦が終え、そのまま帰路に着こうとしていた者達は不穏な影に呼び止められる。影に潜んでいたのは穂斑ほむらを悩ます、あの黒龍であった。

 ヤミが影を睨み、暗い表情を落とし腕の中に抱くおひいを心配する。

 蝶はヤミの不安を吸い込み、蒼白い翅を余計大袈裟にはためかす。

 ストッパーはそんな二人を気遣い、声掛け落ち着かす。


「ヤミ、気落ちするな。忘れたか? 俺が現れると予知は変換される。以前もだったろう?」

「! 確かに」


 ヤミは翔に言われ、陽向ひなたのことを思い出し、はっとする。そして、今を考える。

 現に、姿を消すはずのおひいここにいる。

 ヤミは翔と眼を合わせす。

 翔はまだ、の方が前に出たままだ。


「そうだ、俺は未来不確定要素だ」


(まあ、結果の善し悪しは別として。だが……)


 ストッパーは優希の細腕に海沙樹を託す。優希はしっかりと海沙樹を抱え、地べたに腰を落ち着かせてやる。

 いや、正確には腰を抜かしている。に近い。

 詳しく状況を把握仕切れない優希には影の声は得体知れなく、不安なものであった。優希は翔に不安げな瞳の色を見せ、ストッパーはそれに応えるよう優希を暖かく抱きしめる。


「ごめん、大丈夫だから」


 ストッパーはヤミに目配せで優希を見るや、ヤミはその意図を察し優希の肩へと寄り添う。

 小さな水龍せせらぎも優希を、皆を守るように頭すれ擦れに飛び回る。

 ストッパーは優希と額を重ね、瞳も重ね、凛とした声を放つ。


「優希、ここにいて動かずに」


 翔は優希の安全を確保すると穂斑へと、足を向け進む。

 翔が一歩、近付くにつれ影はじわり這い出し、腕を生やし暗い声で囁きかける。


≪ほう、これはこれは。銀だけではなく、までここに……≫

「だからなんだよ。わざとらしいヤツだな黒龍オロチ

≪……≫


 翔は刀を一刃ひとはねさせ、黒龍へと歩を進ませて行く。

 その最中、声に怒りを。


「フン、まずは返して貰おう」

≪何を!≫

「知れたこと! 喰われたくなければ嘔け!」


 翔は怒りを刃先に乗せ、刀を振るう。刃先から鎌鼬かまいたちがほとばしり、地面を裂く。影も切られるが、一瞬で元に戻っていく。翔はハンッと息を吸い込み、手で柄を打ち鳴らし。


「そいつを! その内に隠す魂を離せ!!」


 翔の叫びと同時に炎龍も動く。

 炎龍は穂斑ほむらの身体に炎を、燃え上がらせる。

 翔が刀を合図に振るうと、怒号の如く火焔をえらせ地面の黒龍を焚たく。

 黒龍から突き出た炎は人の髪が焦げたような、何とも不快な匂いが立ち……。

 翔はしてやったと言わんばかりに口角を上げ、厭らしく笑い刀のきっさきに綺麗な指先をこすり付けいんを、結んだ。


雷蛟はたたみずち・遠来莫大ばく(それを吸い寄せろ)」


 指印いんと刃先から、雷纏うみずちが黒龍を目指し弾んだ。細く紐状の稲妻が黒龍と複雑に交差し合い、身体を縛っていく。


≪!?≫


 翔は先ほどの荒げた声ではなく、和らかい声で言う。


「悪いが貰おう」


 ばくと言う通りに黒龍の中からぽわりと青白い光玉が一つ吸い上げられる。

 光はもちろん、翔の元に。

 翔はふいに言葉つく。広げられた掌に光玉を乗せ、たゆたうと優しい光を顔に受け、「おかえりなさい」と。


 頬に白い涙が伝う。


 光球は蛍のように淡く、翔の中へ消え入ると片眼からは血の涙が垂れた。

 血涙が頬伝う前に手でなすり、歯を食いしばき前を向く。

 黒龍に冷たい視線を投げ、息を大きく。そして吐くとともに穂斑の名を。

 翔は声を大にして叫んだ。


「穂斑!!!」


 穂斑は翔の叫びに応え、瞳をゆっくり瞬く……。

 焼きつく光景に驚きが隠せない。影が呑まんとする下半身、炎龍ほむらに巻かれ引き留められる上半身。


 どうしてそうなってしまったのか。


 考える穂斑に声が届く。小さく皺がれてはいるもののカンロ飴の甘さを思い出さす、懐かしく優しい音が名を呼んだ。


 穂斑、元気かい? ──と。


(おばあちゃん)


 穂斑は身体に巻き付く炎龍と瞳を交わすことなく気を失い、意識を自身の中へと潜らせてしまう。

 近くで聞こえていた翔の叫び声が遠く離れていく。

 黒龍の囁きだけが、穂斑の耳に木霊しやる。

 穂斑~、ほむら、ほむらと。


 ほ……むら……ほ───……ら、

≪ちゃ~ん、あそっぼおよぉ〜≫


「だあぁれ」

 

 穂斑は想い出す。そう遠くはなく、まだ幼かった自身の記憶。

 そう──。

 あれは炎龍に気付き始め、炎の能力が操れずに一人泣いていた時のこと。 

 自我意識が増すと手が付けられない炎がうねる。その炎を勝手に止める炎龍の愚痴も聞き飽きた、小学生の頃。

 何かにつれ、耳障りに思い始める年頃のこと。


(まあ、耳障りは今も。ついて──……回る)


 最初の頃はこの炎がウザくも、また気持ちの良いものでもあった。


 誰もが出せない炎が出せる。


 人間離れた優越感。人に怖がらせる力。

 それを知った家族は穂斑を叱るも前向きに考え、一緒に悩んでくれる。

 ……友達は減ってしまったが。

 自由に出来ない炎のジレンマに苛立つことの方が多くなり、それを炎龍や両親、祖母にやつ当たる穂斑の日々が続く。

 だからって……。

 なぜ……、あの囁きに耳を向けてしまったのか。


 後悔すれど遅い。


 気がつくと近くにいる影と遊ぶようになり、炎も自然と操れるように。

 友達の数はさらに減っていくが、そんなことどうでも良い。

 他の子の代わりに自身を理解する影が横にいる。影はいつの間に唯一の友と、なった。


《ほむらちゃん、僕と来なよ》

「どうして?」

《一緒にいたいから》

「お母さんが居るから行かない」


 幼い穂斑にとって大切とは言え両親に比べ、影はそれほどではない。


《ふうん。じゃ、いなくなればいいんだね》

「ぷっ、なぁにそれ?」


 穂斑は子どもなりにこの時、影に不安を感じるが深く追求しなかった。炎龍が代わりに穂斑自身が抱いた疑念を、ぶつける。


『良いのか穂斑。影とこのまま親しくして』

「どうして?」

『あれは、よくない。良くないぞ』

「?! そういえばこの間おばあちゃんにも言われた。「最近よくないモノを感じる」、「変わりはないかい」って」

『……』


 炎龍は穂斑と言葉を交わすと黙り、近付く人の気配を悟るとすぅと消えいく。

 穂斑は声を掛けられ振り返る。そこには大好きな祖母がおり、夕飯が出来たことを伝えに来ていた。


「おばあちゃん、大好き」


 穂斑は自身のわがままも、嘆きも、怒りも、失敗のすべての感情を受け入れてくれる家族が大好きだった。

 もちろん、いつも愚痴零す炎龍も。


 『いなくなれば』の言葉を境に、影は。

 穂斑を訪れることはなくなった。


 もう影は来ないんだと考え、帰宅したある日のこと。

 穂斑は家の様子がおかしいことに気づく。帰宅するとまず、玄関の扉に鍵が掛かっている。

 いつもは鍵が掛かってはいない、不思議ながらも持っている鍵で扉を開け入った。

 中に入ると鼻にフワッと、優しい匂いが薫るのに今日はしない。それどころか、鼻がツンと嗅いだことのない匂いをらえた。いや、嗅いだことはある。あるがこんなに噎せ返ることはない。

 穂斑は恐る恐る床を踏みしめ、中に進んだ。

 怪我をした時に嗅ぐ、鉄と塩みがかったえぐみが鼻に付く。キッチンに徐々に近付くとそれに加え、生々しい覚えある生肉や魚の血生臭さに嘔気さす。


「お母さん?」


 キッチンからいつもカタゴソと「いい音」が響くのに、今日はカタゴソと何かを「漁る音」がする。

 覗こうとした穂斑はさらに刺激臭に襲われ、見た物に驚愕する。


「いやあぁアアアアアアあああ」


 叫びと同時に穂斑は炎を出してしまう。炎龍は直ぐさま、穂斑を咥えその場から離れた。


 穂斑が出した炎は瞬く間に、家を飲み込んだ。


「お母さん、お母さん、お母さん!!!」


 外に出た穂斑は叫び続けた。だが、母は──。

 穂斑は泣きじゃくりながら、ある囁きを耳にする。


《これで穂斑ちゃんは僕のところに来るよね?》


 穂斑は震え、炎龍は影を探すも辺りに何もない。すると、ボトッと何かが落ちる音……が。

 穂斑の前に降ってきたは、覚えある白く細長い──。

 力ない腕。

 穂斑は地面に落ちた腕を拾い見る。さらにショックを。

 胸に抱く腕の傷口は明らかに……、囓られている。

 穂斑は呆然と。


(お母さ……ん?)


 血が垂れる腕を抱きしめ、自失茫然する穂斑を祖母は迎え抱く。

 祖母は穂斑を胸に強く、護るように。

 穂斑が祖母の腕の中だと気が付いた頃には、家は跡形もなく焼け焦げ。残っていたのは、黒ずんだ柱と放水され濡れた地面。

 穂斑は祖母に手を引かれ祖母の家へと。


 祖母の家に帰る穂斑だが、悲劇はまだ終わってはいなかった。


 その日、帰るはずの父が帰って来ない。祖母の家で、祖母と二人して父を待つ穂斑だが、父は帰って来ない。

 警察と消防、色々と立て込んでいるのであろう。と、思っていた矢先、警察署から父の行方を尋ねられる。

 警察署の控室にいた父が消えたのだ。

 血痕だけを残し……。


 ……父が消えた。


 この日から祖母と二人の生活が始まる。炎龍は気が付いていた、穂斑もまた──。

 父と母はによって消されたということに……。影は再び現れ、穂斑に色々と要求をする。

 穂斑はそれに応えるしかなかった。


 応えなければ今度は祖母が……。


 祖母は穂斑を黙って優しく見守り、悩んでいる時はなぜかカンロ飴を渡し慰めてくれる。

 穂斑は嫌々ながらも掌に乗せ、にこっと微笑む。


「おばあちゃん。私もう中学生だよ? いつまで飴玉なのよ、もう!」


 穂斑は開かれる瞼から、すうっと涙を流した。





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