第53話 微笑する妹と苦笑する兄

 

 扉が開き、水が吹き出した! 

 ヤミは開け放たれた扉が予知で視た通りであったにも拘わらず、驚いていた。

 戸口の前に佇むヤミ達を無視し、開いた入り口から勢いよく水が轟々と溢れ出す。

 水の元はもちろん、海沙樹の結界だ。

 ヤミは鋭く注視し、水とともに流れ出て来る三人の姿を待ち構えた。

 暫くすると水の音が止み、地面の上をゆっくりと水が引いた。

 ヤミの足下の水がゆらりと撫で落ち、吸いこまれていく。


(これから起きる事象も波起つことなく穏やかであってくれれば)


 ヤミは揺れる波を見て、抱いた疑念を確信へと巡らす。

 優希とおひいの様子を覗い、翔達三人に視線を戻した。ヤミは腕に抱く者と地面に転がる者、両方の無事を確認する。 

 翔、海沙樹、穂斑ほむら、は地面の上に横たわり気は失っている。外傷はなく、反応はないものの穏やかな顔つきの三人がそこに。

 ヤミは頭が描いた通りの構図であったがほぅと安息した。

 胸に抱く者たちに安全を伝える。

 優希はヤミの腕の中から抜け出そうとそっと、身体を離す。

 目線先に、翔を見付けたのだ。

 優希は翔に駆け寄ろうとしたがヤミに軽く腕を握られ、行く手を阻まれた。

 戸惑い、手を振り払おうとする優希にヤミは「お願い」をした。


「ちょっとノ間、俺の横で見守ってほしイ」

「? あっ!! もしかして」

「そウ、そのもしか……」


 ヤミは優希に相槌した。翔目掛けふうわりと羽ばたく蝶がある。

 二人は優しく、白い翅の行き先を見送った。蝶は青みがかった半透明のはねを小刻みに、はたはた動かし行きたい所へ進んでいく。

 優希とヤミは蝶をうっとり眺め、見守ることにした。


 空はまだ青く、陽は高く輝く。


 翔は顔に差す陽あたりの光を瞼に受け、薄らと目を開けた。

 講堂にいた時間は長く感じたがそんなに経ってないことを、空に告げられる。翔は胸に抱いた二人を確認し、安堵の息を細く吐いた。

 両眼を右掌で覆い、指の隙間から青空を眺め次に両手で額に触れた。「なんだよったく」と小言をつき己をにじろうとし出す翔だが、辛さの方が上回る。


(……だりぃし、っそ痛いし、眩いし……オィッ!)


 翔は頬に擦り寄る柔らかい何かに気付き、半眼で感触を確認し苦笑した。翔の眼前に淡青な翅を透かせた白いモノがちらついているからだ。


(なんで居るんだ!!)


 気付いた翔は薄らと開いた瞼から瞳を動かすと同時に、青白い姿を捕獲する。

 を指でわしっと抓み、驚くどころか溜め息をつき呆れた。嗚呼といった具合に長く吐かれた息に、抓まれた口吻こうふんをシュシュといきどらす。

 隙を窺い、指をすり抜けた。翔がジトッと睨む先に姿をまた顕し、ゆぅ~らり優雅に舞う。

 白い揚羽蝶は戯け、くすくす笑う。


「ハァアアア、マジかおまえ」

『くすくす、初めまして兄様いえ、今は「人格様」』

「ああ、そして」


 二人の間が一拍一息。互いが息を整えるための間が一つだけ、そして何故か睨み合う。


『また改めます、兄様』


 蝶はくうで翅を広げ止めお辞儀をし、消え入ろうとした瞬間! 

 

「……改めっ出来るか! こんボケェエ」

『いやぁあああ』


 いや、正確には人格がおひいを引き止めた。

 蝶は翔の溜め息と同時に、口吻をしゅっと出し引きさせた。蝶の動きを、「困っている」と捉えた翔だが怒り口調は止まらない。


「やる事あるよな!! 自称妹」

『あん、私帰らないと。ダメです?』

「阿呆ぅ!! 帰すかっ、海沙樹の代わりに手伝え」

『手伝いますわ。手伝いますからその自称を外して下さいまし、きちんとした妹ですわ!』

「あほぉ、会ったことない妹を妹と呼べるかこの自称がぁ!」

『もぅ! ふん!』

「ふん、じゃぁねぇ……もっと早く、来い──よ……」

『……』


 翔は憤慨し頭を軽く掻き撫で、下を向く。隠された顔は、どんな表情をしているのか見えない。

 気になる蝶は翔の顔面を伺おうと低く跳ぶと鷲掴まれ、壊れた扉を指差された。


「おいっ、出来るな?!」

『もぅっ! お人使いがお粗い兄様ですこと』


 翔は講堂の前に立ち、壁に手を翳す。蝶は翔の指先で翅を広げ、触角をピンと立て息注いだ後、二つのが重なり響く。


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやこと十種とくさ御寶みたからを己がすがたへと変じ光導け那迦捨爾曳薩婆訶めいぎゃ・しゃにえいそわか」(生魂に導かれ十種の神器姿示せ龍神よ光示し我らを導け)


 詠唱終え、翔の手からは膨大な光が放たれた。土に刺さり壊れていた扉はカタカタと浮き形を戻し、元ある戸口に飛んで行く。壁に沿うと元に戻る。

 濡れた床板、壊れた柱、教壇は翔達が訪れたとき同様、元の姿を留め見せた。そこだけ時間が遡ったかのように全てが綺麗に片づいた。

 翔は眉間、こめかみに皺を寄せ歯を食いしばった表情のままに膝を折る。尻つき、片手を地べたに置くと長い息を洩らした。


「ふうぅうう」

『さすが兄様、もとい人格様は「修復施し」の能力にお気づきでしたか』

「……」


 翔は元通りの扉を見つめ、蝶は真っ直ぐ翅を畳むとまた広げ、跳ねた。


「いや。おまえもいたから完璧に使えたんだ……この能力は、本体が使わんと……俺では。意味がないんだ」


 人格は顔を手で伏せ、胡座をかくように膝を折る。口を一文字に結び、哀しみ、悩む人格がいた。

 顔は険しく、口の端から血が流れ、地面に黒く染みがつく。

 おひいは翔の姿を複眼に捉え、悲しげにゆっくり翅を広げ、優雅に踊る。

 妹が兄に話し掛けようとした矢先、人影が二人の頭上に差し込んだ。影に気付いた者は透かさず、ヤミの方へと逃げるもストッパーはまったく気が付かない。

 顔を隠し、屈んだままであった。

 悩む翔を、とある腕と胸が温かく包んだ。

 その優しさ、人影に、翔はやっと気付く。

(? ……温かい)

「優希?」


 翔は優希の存在、柔らかさがそこに在ることを知る。


「お疲れ様、翔」


 優希は翔を更に、優しく抱き包んだ。翔は抱きつく優希に手を差し伸べようとするも、悩む。翔は抱かれた肩越しにヤミを覗き見た。


(今の俺が抱きしめて良いのか?)


 ヤミは翔の目配せに気づくと頷き、微笑む。ヤミは翔の躊躇いに気づいたのだろう。

 今の翔はもう一人の【龍の停止装置ストッパー】。

 なのだから……。

 翔は考え、優希越しに掌を見つめた。


(俺は優希を抱きしめたい。でも……良いのか、本当に?)


 優希は悩む翔を見透かすように腕の力を強め、笑いだす。


「あれれ、可笑しいなあ。いつもなら力一杯目いっぱいに抱きつくのになぁ。ふふふ、目の前で泣くのは翔だよね?」

「ゆ……うき」


 翔は優希の言葉に安堵し強く、顔を胸にうずめた。


「翔……」


 優希は翔の頭を子をあやすように、撫でた。

 優希の姿に人格は気持ちを落ち着かせ、穏やかにさせる。


 温かい。優希──……


 ……人格は嬉しくなり、優希に深く口付け、強く抱き締めた。彼女を見つめた後、首筋に優しく吸いつく。優希には見えないが赤い花びらの痕を、残した。

 髪を撫でられる優希はピクッと反応し、感触でそこに何が残るか理解すると頬も耳も赤らめた。目一杯潤んだ瞳で翔を見つめた。

 優希の瞳に、翔は哀しげに微笑む。


「クスッ。今度【俺】に抱かせてよ」

「? 可笑しな翔。いつも抱いてるよ?」


 翔の【今】を知らない優希は赤らめている両頰を手で隠し、応えた。

 翔が優希の仕草にほくそ笑み躊躇うと、眼前に蝶がふぅわりふわり。


『兄様、姉様を困らせますと怒るわよ?』

 

 蝶は翅に雷を放ち、口吻を動かせ複眼には無数の翔を映し捕らえた。翔は蝶をきつく睨んだ。


「フン、ほざけ困らせるつもりはない」


 人格は優希を優しく見守ったまま、立ちつくす。くすくすと笑う蝶は、鈴蘭の声色を奏でた。


『人格様も姉様を』

「言わすな。なあっヤミ、自称妹を黙らせろ」

『自称、自称って!!』


 文句を言うおひいをヤミは優しく手で包んだ。


「おひい様、そろそろいとまを」


 ヤミが『おひい』を帰るように宥めている矢先、また未来を見通した。翔も同じことを感じ取り、ヤミと蝶に叫んだ。


「オイ、逃げろ! そこから」

「言われなくとも、優ちゃん」


 ヤミは蝶を抱き、優希の手を引っぱり翔の背後へと移動した。翔は急いで海沙樹を抱きかかえ移動するも、穂斑は地面に放置したままだった。

 翔は後ろを確認した後、穂斑の影を睨んだ。


「焔、唸れ!」


 翔が炎龍に命令を下した。炎龍は言われるまま炎を出し唸った。翔は辺りの様子を窺い、眉をひそめ舌打ちをした。


「次から次へ」

(何の祭りだよ、今日は)


 ストッパーは穂斑の影がある地面に再び視線を落とした。炎龍が唸ると穂斑の身体が揺れ、その下の影がうねうねと蠢く。影の中の気配を感じるとストッパーは叫んだ。


「来る!」


 人格ストッパーが穂斑だけを放置したのにも、炎龍を唸らせたのにも訳があった。蠢く影から、地響きに似た声が響いた。


≪ほう、揃いも揃って何とまあ≫


 穂斑の身体に影が纏わり付き、そこに居る者たちをニタァと厭らしく笑みそれは声を発した。


 翔が穂斑を置き去りにした理由は影に潜み、隠れる者がいたから。炎龍の唸り声は影に潜む者を誘き出すため。

 穂斑が地面に落とす影はますます黒ずみ、歪んでいく。

 ヤミが抱いた疑念通り、黒い影がじわじわと這い翔達に躙り寄っていった。

 翔は苦笑するもこの場面に、少し楽しんでいる。

 皆に見えぬよう、白い歯を浮かせた。



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