第26話 なにも考えず今は家に帰ろう

 

 どれぐらい経ったのか……。


 芝生の上で、翔は気持ち良さ気に寝息を立てていた。やさしく風が吹くと、翔の髪をそっと弄る。夕刻の風は夏だと言うのに何故か冷たく、翔は肌寒さを感じ身震いをさせた。 

 墓場というのはなぜこうも空気が冷たいのか。それとも思い込みが加わるせいなのか? 

 芝生が茂る少し湿った地面の上に、身体を縮こませて寝る翔。

 夕陽の明るさが瞼を通し、橙色《オレンジ》の暉が優しく温かく、翔の目蓋に透かされた。

 翔はぼんやりと起き出す。


 静かだ。


 ゆっくりと手を動かし、空を握り捕む動作をする翔がいる。翔が起きるのを見計らうように、横から甘い声が囁かれた。


「おはよう、寝ぼすけさん」


 翔の耳に届く柔らかい、甘い声。

 安堵する翔はほくそ笑んだ。


「おはよう? おそようかな、優希」


 翔の横には、優希がいる。優希は、翔の前髪を優しく撫でた。

 笑みを返す翔は優希の手を握ろうとすると、振り払われた。優希の手は、前髪へと伸びた──そして。

 翔は優希の手からピリッと、何かが伝わるのを感じた。翔は気づく。優希が怒っていることに。

 ああ、そりゃあねと、黙する翔がいた。

 優希の伸びた手は翔の髪に触れるとグイッと軽く引っ張り上げた。翔の顔を優しく覗く優希だが、その心中は。

 翔の考え通り、髪を触る優希は怒っていた。


「痛いよ、優希」

「……」

「ごめん。謝るのが先だ」

「うん」


 翔は優希の手を取り、身体を起こし謝った。


「テツが知ってて……私が知らないなんて」

「テツはなんて」

「変な超能力を使うとだけ」

「超能力……」


 まぁ、知らない人間から見ればそう視えるのかも……。


 考える翔がおり──、ただじっと優希を目に収めた。そんな優希は翔をただじっと……真っ直ぐ、無言で静かに翔を見つめ──。

 優希の憂いた大きな瞳に、翔は躊躇する。

 優希も優希で躊躇った。優希は翔に、言葉を喉に詰まらせ話し出す。話の最中、何度もどもりながらゆっくりと。先ほどの翔の姿を、驚いた出来事を。

 髪を掴む優希の手は震えていた。あれはなんだったのか。夢を見たようで夢ではない、日中の陽炎ような、蜃気楼のような不可思議な捉えどころのない現実。話し終えた優希の手はまだ、震えている。

 言いたいことを吐き出した優希に、翔は優しく笑んだ。そして翔の顔は困っていた。


(優希、今はまだごめん。うまく説明できない)


 翔は優希を一直線に見据え。

 何かを訴えるように翔は優希を静かに捉え……たまま、だんまりだった。

 優希は、捉えられた瞳に躊躇する。


「なっ、内緒だったことに……。怒るんだよ?」

「ごめん」


 翔は謝ると、優希を力の限り抱き寄せた。そして優希の胸に、顔をうずめた。


「ヤワらぁ。落ち着く」

「翔、謝ってるように見えない!」


 優希は翔に怒鳴りつけた。反省の色が窺えない翔に鼻息をついて……!

 翔は振り落ちてきた優希の手に気構えをした。優希の気が済むのなら、されるがままに。

 と翔は思い、瞼を閉じた。


「心配したよ?」


 ……優希はか細く声を出し、翔の頬を抓り持ち、そっと引き寄せ……。

 黙り込む翔に優希は額を重ねる。

 翔は面食らった。

 ───平手を食らう……。

 そう思い、覚悟をしていたからだ。なのに優希は優しく額を。そして黙り込んだ。

 額を黙って重ねる二人を、風がそよぐ。

 翔は優希の額が離れると、優希の胸にうずくまり沈黙した。


「……黙秘?」

「……」

「……今はいいよ。きちんと話てくれるなら」

「優希」


 翔と優希が見つめ合う。挨拶を交わすかのように唇を寄せ合う──

 ─……が二人を見つめる顔がある。すぐ真横に、ジッと見つめる視線を翔は感じ、半目で睨んだ。視線の先にいたのは哲弥だ。

 哲弥は二人の横にしゃがみ、いい雰囲気の邪魔する。


「テツ……」

 

 翔は哲弥と目が合うと、溜息を吐いた。歯を見せ、やんちゃな笑みをさせる哲弥。

 哲弥は皮肉っぽく言う。


「あっ、ドゾ! 続けなよ。今さら隠す必要もないぞ」

「そういう問題では。普通は気を利かすよね」

「おまえが寝てるとき、二人にしてやった」

「……」

「アァア? なんだよ。その目は! 遠くから待つのは疲れんだぞ」


 哲弥は翔の額を軽く、指で小突く。

 横にいる優希の顔は茹で蛸になっており、そして耳まで赤い。哲弥は優希を見てはにかみ、優しく頭を撫でた。優希を撫でつつ、哲弥は翔に微笑んだ。


「翔って、あるの欲深だよな」

「なんだよ。あるって、欲深は認めるけど」

「認めちゃうんだ。欲深」


 歯を見せ笑う哲弥は、立ち上がると背伸びをした。続いて優希も立ち上がり、手をしゃがむ翔に差し伸べ言う。


「帰ろう、翔」


 哲弥と優希は笑顔で翔を見やり、満面の笑みで二人は翔の手を握り歩き出した。


(温かい)

 安堵する翔がいた。


 二人は翔を間に挟み、夕飯の話や明日の予定を語っている。

 日中の出来事は無かった……いや、敢えて二人は触れないようにした。


 いつか、翔の口から話されるだろうことを信じ……───。

 二人の温かさに翔は触れ安堵し、歩く。


(ああ、まだ夏休み……だが、いつもの夏は来ない───)


 翔は思い、二人を見て歩を合わせた。帰路につく三人を夕陽は優しく照らし、ゆっくりと沈んでいく。

 三人の足元の影はくっきりと伸びるがその先は……──、仲良い者たちが賑わい話す会話は、不安を掻き消すように明るく。

 各々が、笑いを絶やさないことに必死だった。




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