春びいき
春には菜の花を食べる。スーパーで何把かを百何円だかで買って、炒め物にも添え物にも、吸い物にだって使ってしまう。 苦味の中に確かに春の味があって何とも言えずに美味しいのだ。特にスープには最強の具材である。
あれは春の味がするからあんなにうまいのだ。
「だからって夏に朝顔を食うやつがあるか」
「コスモスはいいのか」
「狂気の沙汰だ」
「ポインセチアは」
「花屋は八百屋じゃねえんだぞ」
みーんみーんと蝉が鳴き始めている。夏だ。夏の、夏らしい、夏色の食卓だった。
しかし彼は私の用意した朝食の朝顔を取り上げて流しに持っていき、俊巡したあと結局ガラスのコップに活けてしまった。捨てるのは躊躇したらしい。何だよ、せっかく種からちまこま育てたと言うのに。「きゅうりにしろきゅうりに」、彼はいつもそうやって、私から季節の花を取り上げてしまう。春の菜の花はうまいうまいと食べてくれるのに、他の花はダメらしい。あれも本当は咲いた後が良いのだがダメだと取り上げられた。曰く、菜の花の咲く前のやつは良いが咲いた後のやつはダメ、チューリップもダメで、桜やタンポポ、スミレまではぎりぎり許すがひまわりもコスモスもダメらしい。さっきの様子じゃ朝顔もダメだったようだ。「普通の人はそんなもの食わない」らしい。しかし何だか春の花ばかりじゃないか。「春びいきだ」「ああそうだ」、いつだか言った不満に胸を張られたらもう返せなかった。
彼は洗い物を始めたらしい。私は背中に不満をぶつける。
「夏の味も秋の味も、美味しいじゃないか」
「せめてスイカとかさ、……秋も芋とは言わんから紅葉にならないか」
「紅葉は良いな。秋の味がしそうだ。しかし西瓜はうまかったが、花じゃない」
「あのな」
「私は花が主食なんだ。季節の味を感じなければしんでしまう。花の神だからな」
「……」
おっ、彼が黙ったぞ。これはチャンスだ。
「自然由来のものであれば何でも良いというわけではないのだ。花だ、あくまで花が必要なのだ」
「……」
「知っているはずだよな? なあ、お前も分かっていたはずだろうに。それだのにあれは食うなこれは食うなと」
「俺は……」
彼は黙る。洗い物の音に混じり、みーんみーんと蝉の声が活発になり始める。とどめだ。
「だいたい、神(わたし)を嫁にと望んだのはお前だろう?」
彼は答えない。そして洗い物の耳障りな音もしない。水を出したまま、黙りこくっている。
「寿命まで減らしおって。人が神を嫁になど高望みするから、こんなすれ違いが生じるのだ。もっとよく考えるべきだったな」
勝ったぞ。これで春夏秋冬、季節の花を食べ放題だ。彼は元々学者だった。初めて会った時もアニミズムだかアニメブームだか言っていた。神の座にも飽き飽きしていたしこいつと生きるのも面白そうだと思ったから怪しげな奇術だか妖術だかにわざわざかかって人に堕ちてやったのだ。だのに文句ばっかり。お前がしたことだろうに。そう口を尖らせていると、水の音に混じって、すすり泣くような声が聞こえてきた。
「……それでも。俺が好奇心だけでとんでもないことをしでかしてしまったにしても……、それでも……、一緒に、普通の生活を送りたくて……」
振り向いた彼は泣いているようだった。
(大袈裟な……)
――人とは何とわがままで、愚かで、そして可愛らしいことか。
神を嫁にしたことを悔い、しかしそれを言葉にもできず、春の花だけをひいきする。神の異常性を目の当たりにして怯えながら、それでも人と近いところだけを見つめて愛そうとする。
「仕方ないなあ」
私だって案外満足しているんだから、笑い飛ばせばよかろうに。
やむをえず、今日はトーストを一枚焼くことにした。
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