蛙の騎士
王女と騎士の裏表のコイン。表は溌剌とした少女の笑顔、しかし裏の騎士の顔はお世辞にもよいとは言えず、気むずかしそうにむすっとしている。ばかりかよく見ると細い目も離れ顔も下膨れで、どことなく蛙を思わせた。
このような顔をわざわざ彫らずとも、美化なり何なりすれば良いではないか。いつの戯れであったかそんなことを博識な友人に聞いてみたが、友人は溌溂と笑って、この顔を彫るのは王女たっての願いであったのだと答えた。
「大昔の話さ。こんなおとぎ話が残っている。君は他国から来たから知らないだろう」
「ふうん。聞かせてもらおう」
どうしてそう答えたのだったか忘れたが、冴えない騎士の顔に自分と似た物を感じていたのは確かだ。
遠い遠い昔、一人のお転婆な王女がいた。お転婆と言っても当時のお転婆で、今でいえば少し変わった少女くらいのものなのだが、彼女は家の中の仕事を得意とせずそれどころか遊ぶときは外に出てばかりで武道の稽古にさえ混じってしまうような王女だった。中でも周囲の人を困らせたのはその研究心で、何よりも植物や虫を好み、中でも蛙が一等好きであったという。
周囲の人の止めるのも聞かず、それどころか供の者もつけず今でいう野外調査に「研究よ!」と言って飛び出してしまうので王は一計を案じた。一人の男を護衛につけたのだ。
その男は性根やさしく元より騎士に向いておらず、周囲からもさげすまれていた。ストレスからか体もぶよぶよと肥え太り、何よりも容貌が醜く、肉に挟まれ細くなった目はもともと離れており下膨れで、声まで含めて「蛙」と揶揄され――騎士をクビになる寸前であったのだ。
王女はこの「蛙の騎士」を一目で気に入った。その気に入り様は並大抵でなく何処へ出るにも彼を連れ歩いた。王もとにかく安心した。いくら武道のうまくない騎士とは言え一人の男であるから何かあった時の盾くらいにはなろう。それに騎士として採用しながら不適と国元へ帰すような不名誉もない。いい逸材を見つけたとほっとした。
「だから騎士の顔を彫ったのか。お気に入りの蛙騎士の」
「いいや。王の工作はうまくいったのだが、上手く行き過ぎたんだ」
王女は初め蛙騎士の見目が自分の大好きな蛙に似ていることを大いに喜んだが、共に過ごす内に彼が王女の趣味を一度たりとも否定せず、また打算もなく根気よく付き合ってくれることに気づいた。それから一層蛙騎士に懐いた。
一方蛙騎士の方も、その見目や武道のまずいのもあって今までどこでも認められることがなかった。だからこそ王女の、変わり者と呼ばれ敬遠される辛さに共感し何より自分を頼ってくれること懐いてくれることをいつの間にか愛おしく感じるようになっていった。
こうなるともう、二人が恋に落ちるまでそう時間はかからなかった。
とは言え蛙騎士は自らの身分をわきまえていた。実家はそう高い家柄でもない。王女との婚姻など許される立場でもない。何より守るべき相手に恋慕を抱いてしまったことは罪悪であるとはっきり認識していた。王女が蛙騎士を心の奥底で好いていることにも半ば気づいていたが、王女自身がそれに気付かぬように立ち回り、自分の心は奥底に沈めた。
蛙騎士は敬遠された境遇もあってか、心を沈めることが得意であったのだ。
しかしお転婆王女はそうではなかった。一たびこれが恋と気づけばまっしぐらであった。かつて爬虫類の蛙にそうしていたように、今度は人間の蛙を相手取り、愛を囁き、また相手にも愛を乞うた。
余りに熱烈な愛に、蛙騎士は驚いた。一方で嬉しい気持ちもあったが、王女に醜聞を残すわけにいかない。
蛙騎士は悩んだが、やむなく一匹の蛙を残して、あたかも自分が蛙になったかのような工作をして王宮を去ったという。
「そうして王女はその蛙を愛し命つきるまで寄り添い、婚姻することなく一生を終えた。第二王女だったのにどこにも嫁にやられなかったらしい。その話はやがておとぎ話となり、そうしてできたのが今のコインだ」
「何だよそれ」
余りに唐突な終了だった。博識な友人は笑っている。可憐な王女と醜い騎士のラブストーリーかと思えば、最後があまりにも呆気なく現実味もない。所詮おとぎ話と言えばそれまでだが違和感がある。
「どれだけ夢見がちな王女なんだよ。騎士が蛙になったって信じたのかよ」
「いいや。思うに王女は、全てわかっていたと思う」
「全てって」
「騎士の苦悩も、彼が受け入れるわけにいかないということも。あちこちで生物の研究をするほど、頭は良かったらしいからな。それでも気持ちは止められなかったんだろう。だから蛙騎士の『私はとうとう蛙になりました』という返事に『お転婆で子供っぽい王女』は合わせて、蛙を生涯愛することで彼への愛を証明するしかなかった」
「見てきたように言うんだな」
解説されたところで、結末がやや不満であった。結局蛙騎士の方が身を引いただけだ。冴えない男が自覚をもって身を引いた。当時の王宮にとっては美談なのかもしれないが何となく蛙騎士に入れ込んでいた自分としては少々納得がいかない。冴えない男は出しゃばるなってか。
そのむくれた様子を見てか、友人は続ける。
「まあ案外、騎士の方の『蛙』かもしれないぞ、添い遂げたのは」
「え?」
博識な彼女は口の端に笑みを浮かべた。
「おとぎ話なんてのはいつの世も嘘と本当が入り交じっているものだ。じゃなきゃ、王宮を去って縁もゆかりもなくなった醜男のコインなんて誰がほしい? 事実だったら、王宮だってひた隠しにするはずだろう?」
「……なるほど」
それもそうかもしれない。あるいは幼い子供のように駄々をこねた自分に、友人が合わせてくれたのかもしれない。気を遣わせてしまっただろうか。博識な友人はいつも通りの美しい笑顔のままで真意が知れない。
「でも、そのほうがいいな」
友人が自分に合わせて付け足したのだとしてもその方がいい。
誰にも認められなかった蛙騎士と、王女としては型破りだったお転婆な少女。
変なコインだと思ったが、似合いの二人だ。冴えない蛙は身を引きました、よりも二人は幸せに過ごしましたの方がいい。できれば、真実はそうあってほしい。おとぎ話ですら幸せになれない醜男なんてかわいそうだ。
(本当にな)
自らも冴えない顔をしている自覚のある男は、美しい友人の顔を横眼に見ながらコインを空に弾いた。
お題:『王女』『騎士』『コイン』
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