廃墟の古書店にて

 ある日一夜にして世界は氷漬けとなり、ヒトは消え、文明と知識とは一切にして閉ざされた。

「いらっしゃい」

 後に誕生した新しき人類は教訓からか海の中に都市を築いたが、一部の好事家や学者の中には万年氷の中に眠る過去の知識と廃墟とを欲しがって、海から地上に上るものもいた。

「今日は何を買うんだい」

「できるだけ古い本を」

「じゃあお代を先にいただこう。ここで読むかい」

「ああ」

 客は極厚の防寒着を何とかまさぐって、緑色に発光する美しい円形の石を取り出す。店主は無造作に受け取ってエプロンのポケットへ入れ、和綴じの古めかしい本を差し出した。

 氷漬けにされた地上には「古書店」がある。件の好事家の一部が古の廃墟を買い取って、物好きに古の店の真似事をしているものだ。「古書店」の文字通り売られる本の中身は大層古く、海に都市のできる前のもの。当然海中の政治や経済には役立たない。そんなガラクタを気候も機構もまるで整っていない不毛の氷の地上で、海生まれの物好き達がヒレをふらふらさせながら気まぐれに売るのである。要は文字通りの道楽商売だが、考古学者や好事家、果てはロマン求める若者まで需要は広くそこそこ儲かっているようだった。

 おしいただくようにして受け取った本を開き、訪れた客は読みふける。貴重な本を汚さないため、水掻きのある手もヒレのついた腕も防寒着の中だ。

 この「古書店」の本はよそと比べて質が良く、氷による浸潤がほとんどない。店だって傷みも氷の侵食も少ない良質店だから、そんなへまをするわけにいかない。

(……創世の神話か)

 古いものを、と言ったからか店主は本当に古いものを出してくれたらしい。太古のヒトが地上に生まれるさらにその前の、創世の神話が挿し絵つきで描かれている。

「おや、学者先生」

 驚いたような声。活字に目を落として必死に読み込む客の様子を、感嘆の目をもって店主が見つめている。

「それは本当にとびきり古い本なのだが、読めるんだね」

「ある程度なら。海中では最古語の解読も進んでいる」

「ああ、それはよかった。本当に」

 自分のことのように嬉しそうに店主は喜色を浮かべる。外ではごうごうと風が鳴り、時折雪混じりの風が店内にも吹き込んで店主のエプロンを揺らしていた。

 風の止むのを待って、客が問う。 探求心旺盛な学者には聞きたいことがあった。


「あんた、本当は、生き残りじゃないのか」

 店主は面食らった顔をしたが学者は怯まなかった。この古書店はよそと少し違うのだ。さらに続ける。

「何でこの本が最古語とわかる? それに……」

 学者は店主を眺める。

 冷たい風の容赦なく吹き込む、氷に覆われた古書店。なのに店主はものともせずに軽装であるし、海中で生きるにはあるべきヒレも水掻きもない。今だって、最先端研究である最古語で書かれた本をあっさり探して差し出した。

 これではまるで古代のヒトが生きながらここにいるようだと、知識ある客は以前より思っていた。

「古代のヒトは随分前に滅んだろう。寿命もそう長くない」

「知っている。しかしあんたは俺たち人類とも違うように見える。ヒレも水掻きもない、だから……」

「……」

 店主の口許がにんまり弧を描く。やはりか、答えを待つ学者に緊張が流れる。しかしそれは学者の意に反して、店主ののけぞらんばかりの大笑いへと化けてしまった。

「だからどうにか寿命を伸ばしたヒトだって? あはは、違う、違うよ」

「しかし――」

「学者先生」

 店主は遮って続ける。

「俺のこれは、道楽商売だよ。今も、昔も」

 言い募る学者を店主はそう突っぱねる。学者が継ぐ言葉を探していると、店主は大袈裟に自分の肩を抱えて震えて見せた。

「おお、寒い寒い。実はあんたが来るときはいつも、痩せ我慢をしていたんだ。さあ今日はもう店じまいだよ」

「早くないか?」

「早かない、早かない。遅すぎたくらいさ。……さようなら、楽しかったよ」

 学者の疑問に耳も貸さず、店主はあっという間に店じまいを始めてしまう。学者は仕方がなしに立ち上がると、海中への戻り道を歩き出した。

 一度だけ立ち止まる。不毛の大地は、見渡す限り氷で覆われている。きらびやかな都市を築いた海中と異なって、地上の文明は疾うに滅びている。そのはずだ。


「正体を暴くべきではなかったな」

 数日して、学者が再び古書店のある場所に向かえば、建物など初めからなかったかのように氷だけが広がっていた。

 煙のように消えている、とは言えケムリの何たるかを知らない学者は今日も冷たい雪の降る天を見上げる。

「何者だったかくらい、聞きたかったが」

 防寒着のなかで学者は呟く。


 ふと、創世神話に出てきた挿し絵の一柱が、あの店主によく似ていることを思い出した。


お題:『古書店』『廃墟』『氷』

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